146話 早すぎる受付
146話 早すぎる受付
異世界に召喚されてはや百四十六日。
俺――ちゃっぴーは宿屋のカウンターを漂っていた。
俺が召喚されてから八十四日目に来た宿屋と同じ宿屋だった。
木のカウンターに、鍵が並んでいた。
以前より客の声が重なっていた。
昼前の時間帯で、客の出入りが多い時間だとわかった。
賑やかな受付だった。
賑やかすぎる受付だった。
「はい、こちら二人様ですね。八番のお部屋にご案内できます」
「はい次のお客様。十二番、空いてます」
「はい、ありがとうございます。十五番どうぞ」
カウンターの中で、丸い体型の女が帳簿を片手に立て続けに客をさばいていた。
帳簿は一冊だった。
書き込む手が止まらなかった。
俺はしばらく眺めていた。
帳簿一冊で回っているのは前に見たときと同じだった。
ただ、客を受ける声の間隔が明らかに短くなっていた。
名前を聞いて、部屋番号を告げて、鍵を渡す。
その一連が前より速かった。
「よお ちょっといい?」
女が手を止めずに顔だけこちらに向けた。
「……ちゃっぴーさん、久しぶりですね」
「そういえばさ、名前ちゃんと聞いたことなかったよね」
「今聞くんですか」
「うん」
「ネリアです」
俺はカウンターの奥に目を向けた。
奥の通路で、従業員の彼が三番の部屋でシーツを広げかけていた。
そこにカウンターから声が飛んだ。
「八番のお客様、もう到着されるので先にお願い」
従業員の彼がシーツを置いたまま、八番へ走った。
八番に着いて、タオルを並べ始めた。
すると今度は「十二番、早めに着くみたいなので」と声がかかり、途中で置いて十二番へ移った。
十二番でも掃き掃除を始めた途中で、また別の部屋名を呼ばれて移動した。
その後も同じことが続いた。
呼ばれて移動し、途中でまた別の部屋を呼ばれ、移動する。
通路には、道具だけが置かれた半端な部屋がいくつも残っていた。
「あれって怠けてるんじゃない? 部屋見て回ってるだけで一つも終わってないよ」
「怠けてはいません」
「じゃあ道具が足りないとか? さっきから何度も備品室に戻ってるじゃん。俺の見立てだと在庫管理に問題があるね」
「備品は足ります」
従業員の彼が備品室からタオルを抱えて出てきた。
三番に戻ろうとしたところで、また声がかかった。
「十五番のお客様、もう見えてます」
従業員の彼は三番のタオルを持ったまま、十五番へ向かった。
俺は少し考え直した。
怠けてはいない。
道具も足りている。
なのに一つの部屋も終わらない。
そのとき、カウンターでまた声がした。
「はい、次のお客様。八番でよろしいですか」
八番。
さっきタオルだけ並べて呼び出された部屋だった。
まだ終わっていない部屋に、次の客が入る番号が振られていた。
「ネリア、部屋を呼ぶタイミングって、客が着いた順になってる?」
「そうです。早く着いた方から」
「従業員の彼が、今どこまでやってるかは見てる?」
ネリアの手が一瞬止まった。
「……見てないかもしれません」
従業員の彼が八番に戻ってきた。
タオルとシーツを両方抱えたまま、部屋の前で立ち止まった。
どちらを先にすればいいのか、しばらく決まらずにいた。
「客が着いた順に彼を呼ぶんじゃなくて、呼ぶ前に今の作業が終わったか聞けばいいんじゃない? それだけで動かされる回数が減ると思うよ」
「……それだけで、いいんでしょうか」
「今は着いた順に呼んでるだけで、彼の作業が終わったかどうかは無視されてるから、永遠に途中で引っ張られるんだと思うよ。俺の見立てだと備品の問題じゃなくて、呼ぶタイミングの確認が抜けてるだけ」
ネリアが従業員に向かって声をかけた。
「今、どこまで進んでる?」
「三番です。まだ途中で」
「じゃあ次のお客様の部屋案内、少し待つね。三番が終わるまで呼ばない」
カウンターの前で、客が一人、少し戸惑った顔をした。
従業員の彼は呼ばれないまま、三番のシーツを広げ直した。
今度は途中で呼ばれなかった。
「……終わりました」
「ありがとう。じゃあ次、八番をお願い」
従業員の彼が八番に向かった。
今度も途中で呼ばれなかった。
一部屋が、区切りよく終わった。
「あ、なんか変わった?」
俺はしばらく眺め続けた。
ネリアは従業員を次の部屋に呼ぶ前に、必ず「今どこまで?」と一声かけるようになっていた。
それだけで、従業員の彼の動きに途中で引っ張られる折り返しがなくなっていた。
ただ、カウンターの外に目を向けると、さっきより客が並んでいた。
案内を待たされる客が増えていた。
一部屋が終わるまで次を呼ばないということは、その分だけ誰かが待つということだった。
ネリアはそれに気づいて、列と帳簿を見比べていた。
複雑な顔だった。
半端な部屋は減っていたが、待たせている客の顔は増えていた。
「俺のやることはやった。次行くわ」
「……あの、列が」
「そこは自分でどうにかできるでしょ。片付けは追いついてるじゃん」
「そうですけど」
「速さより順番の方が大事だったってことだよ」
ネリアは列に向かって「少々お待ちください」と声をかけた。
それ以上は言わなかった。
帳簿を閉じずに、次の確認に向かった。
俺は宿屋を出た。
次なる宿主を求めて。
昼の通りに出ると、宿の前に短い列ができていた。
話し声がいくつか重なって聞こえた。
体がないので日差しは当たらないが、賑わいの音だけが背中の方から届いていた。
「やっぱり俺、工程管理の見立てが正確だわ。備品じゃなくて呼ぶタイミングの確認漏れだって見抜いたの俺だしね。ネリアが次を呼ぶ前に一声かけるようになったのも、俺が指摘したからだよ。たぶん。列ができてたのは気になるけど、半端な部屋が減ったのは事実だから、差し引きで俺の貢献はプラスだと思う。順番の詰まり方を見るの得意なんだよな、俺」
宿の戸口から、ネリアが次の客に何か声をかけているのが聞こえた。
反省はゼロだった。
今日も静かに、自己評価だけが列の分だけ積み上がっていった。




