143話 同じ声が届く先
143話 同じ声が届く先
異世界に召喚されてはや百四十三日。
俺――ちゃっぴーは神殿を漂っていた。
ドーナツ状に広がる精霊の森、その内側。
石畳の広場の中央に、世界樹の太い根が地表に顔を出していた。
苔むした石柱が根を囲むように並び、その隙間から精霊たちの気配がいくつも動き回っていた。
《来たか、声の者》
昨日と同じ、精霊王の気配だった。
「三日連続じゃん。仲良くなってきたね」
《儀式の準備をしている。今日は捧げものの日だ》
気配が広場全体に一度大きく広がった。
《捧げる用意をしてくれ》
声はそれだけだった。
誰に向けた言葉かは、俺にもわからなかった。
水の精霊たちが器を抱えて一斉に走り出した。
同じ瞬間、土の精霊たちが根元の土を掘り返し始めた。
二つの流れが広場の真ん中でぶつかった。
器を抱えた水の精霊が、掘り返された土を避けて足を止め、回り込んで、また止まった。
木の精霊たちも枝を整え始めていた。
水の精霊が整っていない枝を避けようと回り道をして、木の精霊の作業の前で立ち止まった。
進めずに、また別の道を探して動き出した。
風の精霊たちが何度も風を送っていた。
そのたびに水の精霊が掲げていた器の水面が揺れて、手が止まった。
止まっては歩き、また止まっては歩いた。
水の精霊が器を持ち替えるたびに、土の精霊の足元を避け、木の精霊の伸ばした枝の下をくぐり、風がやむのを待ってからまた歩き出す。
四種の精霊が同じ広場の中で、それぞれ別の方向に動きながら、誰も前に進んでいなかった。
俺はしばらく眺めていた。
「あー、これはあれだ。動線設計の問題だね。広場のレイアウトがそもそも――」
《広場は昔からこの形だ》
「じゃあ人数配分がおかしいのかな。水の精霊が多すぎて土の精霊とかぶってるとか」
《数は毎年同じだ》
俺は的外れなまま喋り続けた。
「器の持ち方、あれ両手だから小回り利かないんじゃない? 片手で持てば――」
《両手でなければこぼれる》
「風のタイミングも気になるんだよね。水を運んでる最中に風送るから揺れるわけで、風の精霊のリズムを見直せば――」
《風は昔からこの間隔で吹く》
「じゃあ号令のタイミングも見直そうよ。捧げものの合図、いつも同じ長さで出してる? 短すぎると全員が焦って動き出しちゃうんじゃない?」
《合図の長さも毎年同じだ》
「うーん、じゃあ精霊たちの並び順は? 水、土、木、風って毎回同じ順番で配置してる? 配置換えすれば動線が――」
《配置も昔からこの通りだ》
何を言っても、精霊王の返事は変わらなかった。
広場の中では相変わらず、四つの流れが絡まり合ったまま止まらなかった。
器を持った水の精霊が、土の山を避けて、木の枝を避けて、風が吹くたびに立ち止まって、また歩き出す。
同じ動きが、何度も繰り返されていた。
「てかさ」
半分喋り疲れたところで、ふと思いついた。
「今のって、全員に同時に言っただけじゃん。水だけ先に呼べばよくない?」
軽い一言だった。
特に確信はなかった。
風のリズムの話のついでに出た、ただの思いつきだった。
精霊王の気配が止まった。
広場のざわめきが、一瞬だけ静かになった気がした。
《……水だけ》
気配がすっと収縮した。
森全体に広がっていたものが、一点に絞られていく。
《水の精霊、器を持て。まずお前たちだけでいい》
声の向きが変わっていた。
さっきまでの、どこにも向いていない声じゃなかった。
水の精霊たちが顔を上げて、迷わず動き出した。
器を抱えて、まっすぐ世界樹の根元へ向かう。
誰もぶつからなかった。
《土の精霊、次はお前たちだ。水が通った跡を広げよ》
土の精霊たちが水の流れた道に沿って土を掘り始めた。
《木、枝を整えよ。水の通り道を空けたまま》
《風、最後に吹け。水を根元へ送るように》
四つの流れが、順番に、一つずつ動き始めた。
ぶつかる音が消えた。
水が世界樹の根元に注ぎ込まれていく。
根の隙間を土がゆっくり覆い、整えられた枝の間を風が抜けていった。
世界樹の幹が、根元から光を帯び始めた。
光は幹を伝って上へ広がり、枝という枝の先まで届いた。
森全体が一瞬、薄い金色に染まった。
精霊たちが手を止めて、光を見上げていた。
「うわ、光った! 俺の一言、完全に刺さったじゃん」
《……そのようだ》
精霊王の気配が世界樹を見渡した。
「俺のやることはやった。次行くわ」
《感謝はする。……だが、声を分けて届けることくらい、いずれ我も思いついたはずだ》
「いつ?」
《……いずれ》
「今日思いついたんだからいいじゃん」
反論はなかった。
俺は神殿を出た。
次なる宿主を求めて。
石畳の向こうから、水の流れる音がまだ細く続いていた。
土を踏みしめる音がいくつも重なって、根元の方へ集まっていくのが聞こえた。
「やっぱり俺、声の届け方の設計が得意だわ。水だけ呼べばいいって言ったの俺だしね。精霊王も感謝するって言ってたし、実質俺の手柄だよ。たぶん」
地面の奥から、低い震動が続いていた。
さっきまでの掘り返しの勢いがそのまま地中に潜り込んで、四方八方へ広がっているような、そんな響きだった。
石柱の根元で、小さな何かが、かたりと位置をずらした気配を感じた。
誰も気づいていない場所で、地面の奥がまだ静かにうごめいていた。
反省はゼロだった。
自己評価だけが、金色の光の名残の中で静かに膨らんでいった。




