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141話 届かない手

141話 届かない手

 

 

 

異世界に召喚されてはや百四十一日。

 

俺――ちゃっぴーは森を漂っていた。

 

 

 

森全体がざわめいていた。

 

葉と葉がこすれ合う音、幹の軋み、地面の下から伝わる微かな脈動。

 

音というより、気配だった。

 

その気配は森のどこにでも薄く伸びていて、輪郭がなかった。

 

「なんか……でかいのがいる?」

 

声をかけてみたが、返事は森全体からふわっと返ってきた。

 

一点から聞こえたわけではない。

 

森そのものが答えたみたいだった。

 

《我は精霊王。この森に宿る者》

 

体はないらしい。

 

俺と同じだ。

 

親近感が湧いた。

 

「体ないの、俺と一緒じゃん。友達になれそう」

 

《友、か。……それより、あそこが気になる》

 

気配が一点を示した。

 

足元数歩先、地面が少し盛り上がったところに、細い苗木が並んでいた。

 

何本か枯れかけていた。

 

精霊たちが小さな水瓶を運び、土をならし、根元に手を添えていた。

 

懸命だった。

 

だが苗木の傾きは変わらなかった。

 

俺はしばらく眺めていた。

 

精霊王の気配がその苗木の列に触れるように広がった。

 

広がった、それだけだった。

 

しゃがみもしないし、指で土を掘り返しもしない。

 

気配は苗木の異変を撫でるようになぞって、そのまま通り過ぎた。

 

「今、なんか見た?」

 

《見た、というか……感じた。よくない気配がある》

 

「どこが悪いか、わかった?」

 

《……わからぬ。近づいて確かめる目がない》

 

もう一度、気配が苗木に触れた。

 

今度はさっきより長く留まった。

 

けれど輪郭のないまま、ぼんやりと苗木の周りをなぞって離れていった。

 

三度目、精霊たちが根元を指差して何か話し合っている場所に気配が寄った。

 

寄っただけで、また離れた。

 

「わかった。多分あれだ。気配薄すぎ問題」

 

俺は早速仮説を立てた。

 

「気配をもっと濃くすればいいんだよ。森全体に薄く広げてるから一点に集中できてないわけで、意識を凝縮させれば見えるようになるんじゃない?」

 

《試したことはある。……変わらぬ》

 

「じゃあ精霊たちの報告のさせ方が悪いんだ。今、苗木のどこがどう悪いか、ちゃんと言葉で報告させてる? 感覚じゃなくて数値で。傾き何度とか、根の深さ何センチとか」

 

《精霊は言葉を持たぬ者も多い》

 

「うわ、それは情報の伝達経路が崩壊してるじゃん。伝わってないなら精霊王が知りようないよ。あと苗木の並べ方も気になるんだよね。等間隔じゃないっぽいし、風の通り道とか計算して植えてる?」

 

《……知らぬ》

 

俺は次々と思いつきを並べた。

 

気配の濃度、報告経路、植栽の間隔。

 

どれも精霊王の返事は歯切れが悪かった。

 

かわりに、気配はまた苗木の列をなぞって、また離れていった。

 

何度目かはもう数えていなかった。

 

「ってかさ、気配だけでどうにかしようとするからダメなんじゃない? 手がないなら、手があるやつに頼めばいいじゃん。精霊でも動物でもさ」

 

軽く言った。

 

特に確信はなかった。

 

苗木の並べ方の話を続けるついでに出た、ただの思いつきだった。

 

 

 

精霊王の気配が止まった。

 

森のざわめきが一瞬だけ静かになった気がした。

 

《……動物》

 

「うん。手あるやつなら誰でもいいんじゃない」

 

《近くにいるな》

 

気配がすっと動いた。

 

苗木のすぐ脇、茂みの奥にうずくまっていた大きなクマの影に吸い込まれるように消えた。

 

クマがゆっくりと立ち上がった。

 

四肢に力がみなぎるのがわかった。

 

太い前脚が苗木の根元にそっと触れた。

 

さっきまでの気配となぞるだけの動きとはまるで違う、確かな重さのある動きだった。

 

クマは苗木の並びに沿って歩き、根元に爪を軽く立てて、地面の奥へと力を注ぎ込み始めた。

 

地中の脈が震えた。

 

根が反応するように、じわりと持ち直していく。

 

傾いていた幹が少しずつ起き上がり、枝先が伸びて、細い蕾がいくつも膨らみ始めた。

 

精霊たちが手を止めて見つめていた。

 

やがて苗木の一角で、膨らんだ蕾が一斉に開いた。

 

薄紅色の花びらが枝という枝を埋め尽くし、風もないのに揺れているように見えた。

 

精霊たちが歓声を上げた。

 

言葉のない声だったが、喜んでいるのはわかった。

 

 

 

「うわ、咲いた! 俺の一言、完全に刺さったじゃん」

 

《……そのようだ》

 

クマの体のまま、精霊王の気配がゆっくりと苗木を見渡した。

 

そのついでのように、花の近くを蜂蜜色の丸い体に短い足を持つ魔物たちが連なって歩いているのが目に入った。

 

低空をふわふわ飛ぶ個体もいれば、空高くまで列をなして昇っていく個体もいた。

 

《今年はよく育つだろう》

 

それだけ言って、精霊王はそれ以上何も語らなかった。

 

俺が召喚されてから百三十四日目にこの魔物が次々と撃ち落とされているのを見た覚えがあったが、それがどう豊作と繋がるのかはわからなかった。

 

気にする間もなく、精霊王の意識はもう苗木に戻っていた。

 

 

 

「俺のやることはやった。次行くわ」

 

クマ姿の精霊王が小さく鼻を鳴らした。

 

《感謝はする。……が、動物に宿るという発想自体は、いずれ我も辿り着いていたはずだ》

 

「いつ?」

 

《……いずれ》

 

「今日咲いたんだからいいじゃん」

 

反論はなかった。

 

クマは前脚で土をならすように、根元をもう一度軽く押さえた。

 

 

 

俺は森を漂い始めた。

 

次なる宿主を求めて。

 

 

 

木々の隙間から、さっきまでなかった花の匂いに似た気配が薄く流れてきた。

 

体がないので匂いはわからないはずなのに、そう感じた。

 

遠くで精霊たちの声にならない声が、まだ続いていた。

 

「やっぱり俺、発想の転換が得意だわ。手があるやつ使えばって言ったの俺だしね。精霊王も感謝するとか言ってたし、実質俺の手柄だよ。たぶん」

 

 

 

森のざわめきは、来たときより穏やかだった。

 

精霊たちの声にならない声は、まだ森のあちこちで続いていた。

 

さっきまでとは違う、どこか弾むような気配が森全体に薄く広がっていた。

 

 

 

反省はゼロだった。

 

自己評価だけが、森の奥で静かに膨らんでいった。

 

 

 

 

 

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