137話 いつもの並び順
137話 いつもの並び順
異世界に召喚されてはや百三十七日。
俺――ちゃっぴーは教室の隅を漂っていた。
給食の時間だった。
廊下からワゴンが運び込まれて、白い湯気が立っていた。
机は四人ずつの島になっていて、教室の奥に見覚えのある半透明の壁の跡が薄く残っていた。
前にここで魔法の唱和をやらせていた結界の教室だとわかった。
前より生徒が増えていた。
壁に「配膳順」と書かれた紙が貼ってあった。
「一列目」「二列目」と教室の机の並びに沿って列番号が書いてあって、呼ばれた列からワゴンに取りに行く決まりらしかった。
教卓の前に先生が立っていた。
俺が召喚されてから九十七日目に会った先生だった。
名前はリゼットといった。
静かな配膳時間のはずだった。
「一列目、どうぞ」
リゼットの声が飛んだ。
一番手前の列の子たちが立ち上がって、すんなりワゴンに向かった。
問題なかった。
「二列目、どうぞ」
二列目のはずの子の一人が立ち上がりかけて、止まった。
立ったまま、紙の方を見た。
それから自分の机を見た。
座り直した。
俺はしばらく眺めていた。
止まった子は迷っているようだったが、何に迷っているのかまではわからなかった。
「よお。ちょっといい?」
リゼットが振り返った。
「……また来たか」
「ちゃっぴーだよ。体ないから見えない」
「知っている」
子どもたちがざわっとした。
たぶんお玉の重さでも気にしてるんだと思った。
トレイの持ち方とか、重いと怖いもんな。
「トレイ、両手で支えた方がいいよ。片手だと傾くから」
子どもは何も答えなかった。
代わりに隣の子に小声で何か聞いて、それから立ち上がった。
外れた仮説だった。
「三列目、どうぞ」
今度は別の子が、立とうとした姿勢のまま固まった。
腰が浮いて、また下がった。
隣の子が先に立って、ワゴンに向かってしまった。
固まった子は一拍遅れて追いかけた。
ワゴンの前で前の列とぶつかりかけた。
汁物が少し揺れて、お玉から零れた。
たぶん呼ぶ声が聞こえてないんだと思った。
リゼットの声、教室の奥まで届いてないんじゃないか。
「リゼット、もうちょい大きい声で呼んだら?」
「聞こえている。今ので聞こえなかった生徒はいない」
外れた。
「四列目、どうぞ」
また一人、立とうとして止まった。
紙を見て、自分の席を見て、隣の机の並びを見た。
迷ってから、ようやく立った。
ワゴンの前に着いたときには、もう次の列が呼ばれていた。
配膳待ちの列が重なって、押し合うような形になった。
トレイを持った子同士が肩をぶつけ、トレイが少し傾いた。
リゼットがその様子に気づいて、呼ぶ手を止めた。
壁の時計をちらりと見た。
給食時間は限られている。
混雑の原因はわからないまま、迷っている顔のまま、それでも次の列名を口にした。
俺はもう一度、紙をよく見ることにした。
列番号が並んでいる。
端の方を見ると、他より新しい字で、数人分の名前が後から書き加えられているのに気づいた。
転入生らしかった。
名前を一つ拾って、その子が今どの机にいるか探した。
紙の上では「三列目」になっていたが、机は窓際の列にあった。
窓際の列は紙の上だと「五列目」だった。
止まっていた子の名前を確かめると、同じことが起きていた。
紙の列番号と、今座っている物理的な列が、ずれていた。
「リゼット、この紙の列番号、今の机の並びと合ってる?」
「……確認していない」
「窓際の子、紙だと三列目になってるけど、今は五列目の位置だよ」
リゼットが紙を見た。
机の並びを見比べた。
手が止まった。
「……前の机の並びのままだ」
「いつの?」
「転入生が入る前の。机は組み直したが、配膳の紙は直していない」
「呼ばれた列の子は、自分が呼ばれたのかすぐわからないってこと?」
「……そうなる」
リゼットは短く答えた。
「迷ってる間に次の列が呼ばれて、列が重なるんだと思う」
俺がそう続けると、リゼットはしばらく黙った。
「呼ぶ順番を変えればいい」
俺がそう言うと、リゼットが顔を上げた。
「番号順は決まりだ」
「決まりだけど、今ぶつかってるのは決まりのせいだと思うよ」
リゼットは紙を見たまま、しばらく動かなかった。
それから紙を剥がして、今の机の並びに沿って、呼ぶ順番を書き直し始めた。
新しく書く端に、転入生の名前を、今いる列の位置へ書き直していった。
「窓際、どうぞ」
新しい紙を見ながら、リゼットが呼んだ。
窓際の子たちが、迷わず立った。
止まらなかった。
ワゴンの前にも、誰もぶつからなかった。
「あ、ぶつからなかった」
近くの子が小さく言った。
配膳が止まらなくなった。
呼ぶたびに子どもたちが続けて立ち上がった。
呼ばれてから立つまでの間が短くなった。
トレイを持った子同士の間隔も、さっきより空いていた。
ただ、窓際の列は配膳ワゴンから一番遠い席だった。
新しい順番だと、窓際の列がいつも最後に呼ばれる位置になっていた。
最後に呼ばれた子たちが席に戻る頃には、もう食べ終えている子もいた。
「先生、僕らいつも最後なんですけど」
窓際の子の一人が言った。
リゼットが新しい紙を見た。
呼ぶ順番は机の並び通りで、それ自体は崩れていなかった。
ただ、窓際だけが常に列の最後に固定されていた。
「……ああ。そうなる」
「直す?」
「直すと、また別の列が最後になる」
リゼットは新しい紙を見たまま、しばらく動かなかった。
「俺のやることはやった。次行くわ」
リゼットが紙から目を離さずに言った。
「お前は途中で外す案を平気で出すな」
「外すのも観察のうちだから」
「声が小さいとも言っていたな」
「気づいたんだから、それも貢献じゃない?」
リゼットは何も返さず、窓際の列の名前のところを指でなぞっていた。
俺は教室を出た。
次なる宿主を求めて。
廊下に出ると、配膳の音がさっきより軽くなって聞こえた。
配膳の音だけが規則正しく続いていた。
「やっぱり俺、構造を見抜く目があるわ。紙と机の並びがズレてたって見抜いたの俺だしね。トレイの持ち方じゃなかったし、声の大きさでもなかった。順番に潰した結果だからな。紙を書き直させたのも俺だよ。たぶん。窓際がいつも最後になる件は知らないけど、まあ次の問題でしょ」
廊下の奥から、リゼットの声がまた一つ飛んだ。
すぐに、椅子を引く音が続いた。
反省はゼロだった。
自己評価だけが、窓際の列の人数ぶん積み上がっていた。




