134話 来ない方向から
134話 来ない方向から
異世界に召喚されてはや百三十四日。
俺――ちゃっぴーは城壁の上を漂っていた。
夜だった。
篝火が城壁沿いに並んでいた。
外には魔物が群れていた。
丸くてふくらんだ体に、小さな足がちょこんと生えていた。
動きは遅かったが、止まることなく城壁を登っていた
西側と東側から来ていた。
城壁の上に二つの集団がいた。
西側に十数人、東側に十数人。
矢を放ち、槍を構え、上がってくる足を叩き落としていた。
よく動いていた。
息が合っていた。
西側の先頭に立つ大柄な男、ズィールが号令を出すたびに周りが動いた。
東側の細身の男、タヴも同じだった。
乱れがなかった。
俺はしばらく眺めていた。
二つの集団はそれぞれの方向に集中していた。
西側は西を向いていた。
東側は東を向いていた。
よく守っていた。
ただ、全員が下を向いていた。
城壁の外側、下から這い上がってくる足を見ていた。
上を向いている者が、一人もいなかった。
北側が静かだった。
篝火の光が届きにくい場所だった。
誰もいなかった。
矢も飛んでいなかった。
城壁の北面だけ、音がなかった。
俺はもう一度、北側を見た。
何かいる気がした。
何かいた。
影がいくつか、北の方向に漂っていた。
ゆっくり、こちらに近づいていた。
地面ではなかった。
地面のどこにも足がついていなかった。
俺には魔物の知識がないので、何がどこから来ているのかはよくわからなかった。
ただ、下からではなかった。
「よお ちょっといい?」
ズィールが振り返らずに怒鳴った。
「今忙しい!」
「北、誰もいないじゃん」
「北は地上に別の部隊がいる」
「でも北から来てるよ?」
ズィールが一瞬止まった。
「来るはずがない。北は抑えてある」
「いや来てるよ。今」
「……何が見える」
「影がいくつか。地面じゃなくて」
ズィールが短く舌打ちした。
また号令を出してから、こちらを向いた。
「北の地上部隊が対応してるはずだ。城壁上からは関係ない」
「地面じゃないって言ってるんだけど」
ズィールが返事をしなかった。
足が一本這い上がってきた。
そちらに集中した。
俺は東側に移動した。
「タヴ、北から来てるよ」
「北は別の部隊が守ってる」
「地面じゃないところから来てる」
「地面じゃない?」
「そう」
「……意味がわからない」
タヴが矢を放った。
足が落ちた。
また次の足に矢をつがえた。
「地面じゃないなら何だ」
「わからない。でも北に何かいる」
タヴが少し止まった。
隣のコーシャが矢をつがえたまま、一瞬だけ北の方向を見た。
すぐ東に戻した。
「地上部隊が対応する。ここは東だ」
それだけだった。
俺の話を聞いていたのかいなかったのか、よくわからなかった。
俺は城壁の北面に移動した。
影がはっきり近づいていた。
地面からは来ていなかった。
どこから来ているのか、俺には正確にはわからなかった。
下ではない、それだけはわかった。
上の方向から、何かの影が漂っている動きだった。
俺が見ていても、誰にも伝わっていなかった。
そのとき、篝火の炎が一斉に揺れた。
上から来る風だった。
体がないので感じないはずだったが、炎の動きがそういう方向だった。
羽ばたきみたいな風だった。
コーシャが最初に顔を上げた。
「……上」
声が小さかった。
でも届いた。
ズィールとタヴが同時に空を見た。
暗い夜空に、いくつかの影が滑っていた。
翼のない体が、空中を泳ぐように移動していた。
「飛んでる」
誰かが言った。
誰が言ったかわからなかった。
「……飛ぶのか」
ズィールが短く言った。
驚きとも怒りとも取れなかった。
「上に誰か回せるか!」とタヴの方向に怒鳴った。
「こっちも手が足りない!」
「じゃあ各自で上も見ろ!」
返事が重なった。
全員が一斉に下と上を交互に見始めた。
混乱していた。
さっきまでの落ち着いた動きが崩れた。
下を向きながら上を警戒するのは、単純に難しかった。
両方に意識が割れていた。
城壁の一角で、槍が一本、手から落ちた。
すぐ拾った。
でも落ちた。
さっきまでそういうことは起きていなかった。
「俺のやることはやった。次行くわ」
誰も聞いていなかった。
全員が忙しかった。
「……まあそりゃそうか」
俺は城壁を離れた。
次なる宿主を求めて。
地上に降りると、上の方から怒鳴り声と矢の音が混ざって聞こえた。
下向きと上向きが交互になっている音だった。
篝火の煙が夜空に上がっていて、その煙の中を影がいくつか横切った。
「やっぱり俺、盲点の指摘が得意だわ。北から来てるって言ったのは俺だしね。地面じゃないとも言った。誰も信じなかったけど、コーシャが上って言ったとき、あながち外れてなかったと思う。たぶん。その後ちょっと混乱してたけど、気づいてなかったよりはマシだから、あれはあれでよかった。体ないけど」
城壁の上で、また何かが落ちる音がした。
今度は魔物の方だった気がした。
反省はゼロだった。
自己評価だけが夜空より高く積み上がっていった。




