128話 返しが出ない
128話 返しが出ない
異世界に召喚されてはや百二十八日。
俺――ちゃっぴーは山の稜線を漂っていた。
前に来たことがある。
俺が召喚されてから九十一日目に来て、バット同士の練習を見ていたあそこだった。
気流があった。
木の梢が同じ方向にたわんでいたのでそういう場所だとわかった。
体がないので流されたりはしない。
知っているバットが上空を旋回していた。
翼を広げると人間の三倍はある、あの個体だった。
三十七日ぶりだった。
相手がいた。
前回と同じ、羽の色が少し薄い別の個体だった。
二つが山の上空で旋回しながら、互いの間合いを計っていた。
相手が体当たりに入ってきた。
知っているバットが横にスライドした。
相手の体当たりが外れた。
相手が行き過ぎた。
背中が向いた。
知っているバットは旋回に戻った。
相手が爪で来た。
知っているバットが距離を取った。
相手の爪の攻撃が外れた。
相手の翼がたたまれて、一瞬高度が落ちた。
知っているバットは旋回に戻った。
相手が風圧をかけてきた。
知っているバットが角度を変えた。
相手の風圧は届かなかった。
相手が勢いのまま前に流れた。
立て直すまでに間があった。
知っているバットは旋回に戻った。
俺はしばらく眺めていた。
前回から三十七日が経っていた。
かわし方は速くなっていた。
判断も早かった。
相手の攻撃は外れていた。
ただ、かわした後に何も出ていなかった。
相手の背中が向くたびに、旋回に戻っていた。
相手が高度を落とすたびに、前に流れるたびに、旋回に戻っていた。
返しが一度も出ていなかった。
これはうまくいっているのか、いっていないのか、俺にはまだ判断がつかなかった。
かわしているから負けてはいない。
ただ、勝ってもいなかった。
「よお ちょっといい?」
知っているバットが旋回しながら低く唸った。
相手は距離を取って次を計っていた。
「三十七日ぶり。かわすのは毎回できてるじゃん」
唸った。
「でも返してないよね。さっき相手の背中が向いたとき、旋回に戻ってた。高度が落ちたときも、前に流れたときも、全部旋回に戻ってた。返しが一回も出てない」
短い唸りが返ってきた。
「もう一回。相手が来たらかわしてみてよ」
相手が仕掛けてきた。
体当たりだった。
知っているバットが横にスライドした。
相手の体当たりが外れた。
相手が行き過ぎた。
背中が向いた。
知っているバットは旋回に戻った。
「見えてたのに返さなかったじゃん」
バットが翼をばたつかせた。
唸り方が変わった。
「もう一回」
相手が爪で来た。
知っているバットが距離を取った。
相手の爪の攻撃が外れた。
相手の高度が落ちた。
知っているバットは旋回に戻った。
「また旋回に戻った。かわしてから次に何しようとしてたの」
唸った。
「旋回に戻ろうとしてたんじゃないの。かわすことと旋回に戻ることがセットになってるとしたら、かわした後に返すって選択肢がそもそも出てこないんじゃない」
バットが少し間を置いた。
俺は少し考えた。
かわすことができて、相手の隙も見えていた。
見えているのに、返していなかった。
かわすと旋回に戻る、というのが一つの動作になっている気がした。
かわすことと旋回する間に、隙間がない。
返すという動作が入る余地が、構造上なかった。
技術の問題ではなかった。
順番の問題だった。
「ちょっと確認したいんだけど。かわした直後に返すって考えたことある?」
唸らなかった。
「考えたことないんじゃないの。かわすことで完結してるから。相手の攻撃を外すのがゴールになってて、その後が空白になってる。かわすのがゴールなら返せないじゃん。ゴールが早すぎるんだよ」
バットが相手の方を見た。
「俺の見立てだけどね。根拠はない。一回だけ試してみてよ。かわした後、旋回に戻る前に何でもいいから一個出す。当たらなくていい。出すだけ」
バットが短く唸った。
相手が仕掛けてきた。
今度は風圧だった。
知っているバットが角度を変えた。
風圧は届かなかった。
知っているバットはそのまま旋回に——入らなかった。
爪を出した。
届かなかった。
相手はもう距離を取っていた。
「出た」
知っているバットが旋回に入った。
唸った。
短い唸りだった。
また相手が来た。
体当たりだった。
知っているバットがスライドした。
相手の体当たりが外れた。
知っているバットが振り返りながら体当たりを入れた。
かすった。
相手が高度を少し下げた。
「かすった」
バットが高い位置を取った。
前より少し間が変わっていた。
かわしてから返しまで繋がっていた。
「俺のやることはやった。次行くわ」
バットが低く唸った。
「自分でできたって言いたいの? 返しが出ない理由を見抜いたのは俺だからね。かわすことと戻ることがセットになってて返す隙間がなかった、そこを指摘したのは俺だよ。かすったのは自分だけど。たぶん」
バットは返事をしなかった。
また相手との間合いを計り始めていた。
俺は山の稜線を離れた。
次なる宿主を求めて。
気流に乗った羽音が、遠くなっていった。
しばらくして、鈍い音がした。
どちらが当てたのか、ここからではわからなかった。
「やっぱり俺、返しが出ない理由を見抜くのが得意だわ。かわすと戻るがくっついてたから返す隙間がなかった、そこを見抜いたのは俺だしね。体がないから動作がセットになることもないんだけど、それが観察眼に繋がってるんだよ。弱点が強みだよ。たぶん」
山の上空で、また羽音がした。
さっきより高い位置だった。
反省はゼロだった。
自己評価だけが三度目の高みへ積み上がっていった。




