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125話 嗅がない鼻

125話 嗅がない鼻

 

 

 

異世界に召喚されてはや百二十五日。

 

俺――ちゃっぴーは地下洞窟を漂っていた。

 

 

 

地面が岩で、天井が低くて、松明の火が壁に影を作っていた。

 

通路が何本も枝分かれしていた。

 

奥に行くほど暗くなった。

 

コボルトたちの集落だとわかった。

 

小さな声と、物音と、火の爆ぜる音が混ざって、洞窟の中に籠もっていた。

 

体がないので温度がわかるかどうかは例によってよくわからないんだが、ここは地上より少し涼しい感じがした。

 

 

 

通路を一匹のコボルトが歩いていた。

 

茶色い毛並みで、耳が大きかった。

 

見覚えがあった。

 

「あ、ガクじゃん」

 

俺が召喚されてから十三日目に会ったコボルトが立ち止まった。

 

鼻がぴくりと動いた。

 

それから耳を横に向けた。

 

「……匂いがしない。お前か」

 

「俺だよ。久しぶり。覚えてたんだ」

 

「匂いがない声は一種類しかいない」

 

それはそうかもしれなかった。

 

ガクは俺の方をちらりと見てから、また歩き始めた。

 

俺はついていった。

 

 

 

通路の途中に、別のコボルトが一匹いた。

 

壁際にしゃがんで、前脚で何かを抱えていた。

 

毛が少し逆立っていた。

 

ガクはそのコボルトの前を通り過ぎた。

 

目も向けなかった。

 

鼻も動かなかった。

 

通り過ぎてから、別の通路に曲がっていった。

 

壁際のコボルトは顔を上げなかった。

 

 

 

俺はしばらく二匹を見比べた。

 

気づかなかったのか、気づいていたのに通り過ぎたのか、どっちかだった。

 

 

 

別の通路に入ると、今度は食料置き場があった。

 

獲物が積んであった。

 

かなりの量だった。

 

端のいくつかが黒ずんでいた。

 

ガクは食料置き場の前も通り過ぎた。

 

一回だけちらりと見て、また前を向いた。

 

鼻は動かなかった。

 

次の通路に入った。

 

途中で子供のコボルトが二匹、壁の前に座っていた。

 

何かを待っているみたいだった。

 

足元に小さな骨が落ちていた。

 

ガクは二匹の間を通り過ぎた。

 

子供たちがちらりと顔を上げた。

 

ガクは見なかった。

 

鼻が動かなかった。

 

子供たちがまた下を向いた。

 

 

 

「ちょっと聞いていい?」

 

「なんだ」

 

「今通り過ぎてきたじゃん。三回」

 

「同族は通り過ぎるものだ」

 

「毛が逆立ってたやつもいたよ」

 

「……そうか」

 

「気にならないの?」

 

「今日は狩りの準備がある」

 

 

 

俺は少し考えた。

 

洞窟の構造が問題なのかとも思ったが、通路は普通に機能していた。

 

光量の問題かとも思ったが、コボルトには夜目があった。

 

そもそもここ、地下向きの種族なのかとも思ったが、集落を作って何代も暮らしているらしかった。

 

「コボルトって地下に住むの、向いてるの? 鼻が良いなら地上の方が情報量多いんじゃない? 俺だったら地上に集落作るけど」

 

「向いている」

 

「そっか。じゃあ通路の設計かな。枝分かれしすぎてて情報が分散してるとか。俺が最適な動線を――」

 

「通路は問題ない」

 

「じゃあ松明の本数かな。暗すぎると匂い以外の情報が全部落ちるじゃん。視覚と嗅覚のバランスが崩れて判断が偏る可能性がある。俺の仮説では松明を二割増やせば集落全体の認知負荷が――」

 

「関係ない」

 

「そっか。じゃあ洞窟の匂いって今何が来てる?」

 

「獲物の残り香だ」

 

「他は?」

 

ガクが少し止まった。

 

「火の煙、岩の湿り、同族の気配」

 

「具体的には?」

 

「……」

 

「さっきの食料置き場、端の方が黒ずんでたじゃん。匂いは?」

 

ガクが立ち止まった。

 

「腐っていたか」

 

「確認してなかったでしょ」

 

「……気にしていなかった」

 

「なんで?」

 

ガクが少し間を置いた。

 

「狩りに出るときに絞る。それ以外のときも、同じようにしていた」

 

「洞窟の中でも絞ってるじゃん」

 

返事がなかった。

 

図星の静まり方だった。

 

 

 

「一回だけ聞いてみな。今、洞窟の中で誰かが困ってる匂い、来てる?」

 

ガクが立ち止まった。

 

目を閉じた。

 

鼻が動いた。

 

さっきまでと違う動き方だった。

 

ゆっくりで、止まらなかった。

 

しばらくそのままでいた。

 

「……来る」

 

「何が?」

 

「壁際にいたやつ、熱がある。食料置き場の端、四つ腐っている。奥の通路、子供が泣いているが誰も気づいていない」

 

「全部今わかった?」

 

「……今初めて嗅いだ」

 

 

 

ガクが目を開けた。

 

それ以上は言わなかった。

 

言わなかったが、通路を引き返した。

 

壁際のコボルトのところへ戻った。

 

近づいて、鼻を向けた。

 

相手が顔を上げて、何かを言った。

 

俺には聞こえなかったが、ガクが頷いた。

 

 

 

「俺のやることはやった。次行くわ」

 

ガクは振り返らなかった。

 

もう洞窟の奥へ向かっていた。

 

狩りの準備ではなく、別の方向だった。

 

「礼は言わない」

 

「前もそうだったね」

 

「そうだ。今回も言わない」

 

「覚えてるじゃん」

 

「……覚えている」

 

短い返事だった。

 

それだけだった。

 

 

 

俺は洞窟を出た。

 

次なる宿主を求めて。

 

 

 

岩の出口を抜けると、地上の光が当たった。

 

体がないので眩しくはなかったが、明るい色の変化だった。

 

「やっぱり俺、スキルの転用ミスを見抜く目があるわ。狩りで使う絞り込みを洞窟の中でもやってたって気づいたのは俺だしね。ガクが全部その場で嗅ぎ直したのも、俺が一回だけ聞いてみなって言ったからだよ。たぶん。前回も今回も、結局ガクの鼻が解決してるんだけど、使う方向を整理したのは俺だから実質二回分の功績だよ。百日以上越えて連続してるし」

 

 

 

洞窟の中から、コボルトたちの声が増えていた。

 

さっきより、種類が多かった。

 

 

 

反省はゼロだった。

 

自己評価だけが百二十五日分、静かに積み上がっていた。

 

 

 

 

 

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