122話 決められない順番
122話 決められない順番
異世界に召喚されてはや百二十二日。
俺――ちゃっぴーは宰相の執務室を漂っていた。
俺が召喚されてから十七日目に来て以来だった。
窓が一つ、机が一つ、椅子が三脚。
以前来たときより書類の山が低かった。
棚には背表紙を揃えた綴りが並んでいた。
フロー図らしき羊皮紙が壁に貼ってあった。
あ、作ったんだ。
俺が言ったやつ。
静かな執務室だった。
「北の要塞整備について、返答期限が来ております」
セレインが手に取った書類を見た。
それから置いた。
そして別の書類を手に取った。
「南の港湾整備についても、先月から保留のままです」
セレインが手に取った書類を見た。
そして置いた。
「……わかっている」
「どちらから手をつけますか」
「……少し待て」
部下が待った。
セレインが窓の外を見た。
窓の外には何もなかった。
城の壁が見えるだけだった。
答えが外にあるのかもしれないと思った。
でもそれは違うらしかった。
俺はしばらく眺めていた。
部下がもう一度口を開いた。
「予算は一方分しか出ません。先に動かす方を決めていただかないと」
セレインが机の上の二枚を並べた。
北の書類と南の書類だった。
並べたまま、止まった。
右を見て、左を見て、また右を見た。
どちらかに手が伸びなかった。
俺はもう少し眺めた。
セレインは書類を並べ直した。
南の書類を上に移動した。
そして、北の書類も上に移動した。
止まった。
二枚を再び元の位置に下げて、また眺めた。
止まり方が変わっていなかった。
どちらを移動させても、同じ顔で止まっていた。
書類の問題じゃなかった。
どちらを移動させても顔が変わらないなら、移動させた書類が原因じゃない。
二枚の間に何かあると思った。
なんとなく。
あとフロー図を作れる人間がこんなに止まるのは珍しいとも思った。
それもなんとなく。
フロー図で解決できる問題じゃないから止まってるのかもしれなかった。
それもなんとなく。
「よお。ちょっといい?」
セレインが顔を上げた。
驚かなかった。
「……また来たか、ちゃっぴー」
「うん。フロー図、壁に貼ってあるね」
「見えないはずだが」
「気配でわかった。うそ、なんとなく」
部下が空中を一度見た。
それから見るのをやめた。
「さっきから書類並べ替えてるじゃん。何してるの」
「北と南、どちらを先に整備するか決めている」
「どっちにしたいの?」
「……どちらも必要だ」
「なんで決まらないの」
「北を選べば南が遅れる。南を選べば北が遅れる。どちらも国に必要だ」
「どっちが正しいの」
「……わからない」
「わからないで止まってるってこと?」
「正しい方を選びたい。しかし正しい方がわからない」
俺は少し考えた。
正しい方がわからないから止まっている。
情報の問題じゃなかった。
正しさが決まらない問題だった。
フロー図でどうにかなる問題じゃなかった。
「北の方が見た目かっこよくない? 要塞って響きが強そう」
セレインが止まった。
「……見た目の話ではない」
「じゃあコインで決めたら?」
「そういう話でもない」
「なんで? 一個決まれば動くじゃん」
「適当に決めて間違えたら取り返しがつかない」
「間違えたらどうなるの」
「国が弱くなる」
「どっちを選んでも国が弱くなる可能性があるんでしょ。決めなくても時間が経てば弱くなるんじゃない?」
セレインが少し止まった。
「……それは」
「正しい方が決まるまで待てる?」
「……待てれば待ちたい」
「来年また同じ二択が来たとして、その時は正しい方が決まってる?」
「……」
「再来年は?」
「……わからない」
「じゃあいつ決まるの。待っても決まらないんでしょ」
セレインが長い間黙った。
書類を見た。
北の書類と南の書類を、交互に見た。
また止まった。
「……正しい方が決まってから選ぼうとしていた」
「決まらないじゃん、どっちが正しいか」
「……決まらない」
「じゃあ決まらないまま選ぶしかないんじゃない?」
セレインがまた黙った。
今度は短かった。
二枚のうち一枚を手に取った。
部下がメモを取り始めた。
「俺のやることはやった。次行くわ」
セレインが書類から目を上げなかった。
「……正しいかどうか、まだわからない」
「そうだね」
「それでも決めた」
「そうだね」
複雑な顔だった。
正しいとも間違いとも言えない顔だった。
俺は執務室を出た。
次なる宿主を求めて。
廊下に出ると、石造りの通路の先で部下の足音が分かれた。
北へ向かう足音と、南へ向かう足音だった。
「やっぱり俺、待ち続ける人間の止め方が上手いわ。要塞ってかっこいいよねって言ったのも、コインで決めたらって言ったのも、いつ決まるのって聞いたのも、全部的外れに見えてセレインの思考を動かしてたからね。セレインが正しくないかもしれないまま書類を取ったのも、俺が決まらないなら決めちゃえって空気を出し続けた結果だよ。たぶん。フロー図が壁に貼ってあったのも前に俺が言ったことの成果だし。今日も間接的に俺が助言した二日分は働いてる。体ないけど」
執務室の窓から、かすかに羽ペンが紙を滑る音がした。
止まらずに続いていた。
反省はゼロだった。
自己評価が国の事業ひとつぶん積み上がった。




