11話 空回りの王女
異世界に召喚されてはや十一日。
俺――ちゃっぴーは王宮の廊下を漂っていた。
石の床に絨毯が敷いてあって、壁に燭台が並んでいた。
天井が高くて、声が反響した。
王宮らしい王宮だった。
謁見室とは別の棟らしく、人の行き来が少なかった。
静かな廊下だった。
静かなはずだった。
「ですからこの改革案を早急に実施すべきで、まず農村部への税制優遇を見直し、次に街道の整備予算を組み直し、その上で交易路の――」
「王女殿下、それは先月もお聞きしました」
「先月と今月では数字が違います。最新のデータを反映した結果、優先順位が変わっています」
「しかし今月はすでに予算の審議が――」
「だから早急にと言っているのです」
廊下の先の部屋から声が漏れていた。
扉が少し開いていた。
覗くと、若い女が大臣らしき老人三人を相手に書類を広げていた。
女の方が明らかに若かった。
書類の量は女の方が多かった。
押されているのも女の方だった。
俺はしばらく眺めていた。
女の言っていることは筋が通っていた。
数字も具体的だった。
なのに大臣たちの顔に変化がなかった。
聞いているのに聞いていない顔をしていた。
話が届いていなかった。
届き方が間違っていた。
扉の隙間から漂い込んだ。
「よお ちょっといい?」
四人が一斉に固まった。
大臣の一人が椅子から立ち上がった。
「何者だ!」
「声だけの存在、ちゃっぴーだよ。体ないから見えない。攻撃しても物理無効なので落ち着いて」
王女が書類を持ったまま空中を見た。
動じていなかった。
この王宮には変なものが出ると思っているのか、あるいは今それどころじゃないのか、どちらかだった。
「……用件は」
「今の話、聞いてたんだけど」
「聞いていたのか」
「うん。内容は正しいと思う。でも伝わってないじゃん」
王女の目が少し動いた。
大臣たちが顔を見合わせた。
部外者に言われたくない顔だったけど、否定もしなかった。
「何が問題だと言うのだ、声の者」
一番年嵩の大臣が低い声で言った。
マクレルという名前らしかった。
「情報量が多すぎる。一回の話し合いで税制と街道と交易路を全部動かそうとしてるじゃん。聞いてる方は何から手をつければいいかわからなくなる。あと数字が最新に更新されてるって言ったけど、先月と今月で優先順位が変わるなら、大臣たちは先月の議論が無駄になった感じがするよ。人間って無駄にされると次から聞く気が減るんだよね。あと王女、立ってるじゃん。大臣たちは座ってる。この状態で押し込もうとすると圧迫感が出て、聞く側が防御態勢に入りやすい。あと書類の順番も気になる。一番重要なものが一番上にある? 人間って最初に見たものに引っ張られるから――」
「ちょっと待て」
王女が遮った。
声は静かだったけど、芯があった。
「一番重要なことだけ言え」
俺は少し考えた。
「今日は一個だけ動かしな。全部じゃなくて、この中で一個だけ、絶対に通したいものを選んで、それだけを話す」
王女が書類を見た。
三つ、四つ、ページをめくった。
それから一枚を抜き出した。
「街道の整備予算だ。これが通れば他の二つは後からついてくる」
「じゃあ今日はそれだけでいいよ」
王女は残りの書類を裏返して机に置いた。
大臣たちの視線がその動作を追った。
「マクレル卿」
王女が座った。
大臣たちと同じ目線になった。
「街道の整備予算について、一点だけ確認させてください。東街道の補修を来期の優先項目に入れることは可能ですか」
マクレルが少し眉を動かした。
さっきまでと違う聞き方だった。
一個だけ、だった。
「……東街道、か」
「はい。それだけです」
マクレルが隣の大臣と目を合わせた。
何かを確認するみたいな目だった。
「東街道であれば、来期の予算に組み込む余地はある」
「ありがとうございます」
王女は短く答えた。
書類に何かを書いた。
それだけだった。
部屋が静かになった。
さっきまでの押し問答が嘘みたいだった。
大臣たちの顔から防御の色が少し抜けていた。
王女の肩も、さっきよりわずかに下がっていた。
マクレルがふと空中を見た。
「……声の者。王女殿下の改革案、どう思う」
「内容は正しいと思うよ。順番が惜しかっただけで」
「ふむ」
マクレルは短く唸った。
それ以上は言わなかった。
言わなかったけど、何かが変わった顔だった。
王女が立ち上がった。
残りの書類を抱えて、扉に向かった。
扉のところで一度止まった。
振り返らなかった。
「……名前はなんといったか」
「ちゃっぴー」
「ちゃっぴー」
王女は繰り返した。
覚えておく気なのか、確認しただけなのか、わからなかった。
「礼は言わない」
「なんで?」
「言ったら負けた気がする」
俺は少し笑った。
体がないので態度で示せなかったけど、笑い声が声に乗った。
「俺のやることはやった。次行くわ」
王女は答えなかった。
廊下に出て、足音が遠くなった。
書類を抱えたまま、背筋が伸びていた。
さっきより少しだけ、歩き方が違った。
残された大臣たちがしばらく沈黙していた。
マクレルが誰にともなく言った。
「……声の者は、もう行ったのか」
「まだいるよ。そろそろ行くけど」
「もう少し残っていてもよかったのだが」
「そう言われると思ってなかった」
マクレルは答えなかった。
ただ机の上の書類を一枚手に取って、眺め始めた。
王女が置いていった、残りの改革案だった。
俺は王宮を出た。
次なる宿主を求めて。
「やっぱり俺、政治コンサルの才能あるわ。王女の改革を一言で軌道修正するとか、ストラテジストじゃん。全部じゃなくて一個に絞れって言ったのも俺だしね。マクレルが残りの書類読み始めてたのも、間接的に俺の功績だよ。たぶん」
王宮の灯りが、夜空の下でぼんやり光っていた。
反省はゼロだった。
今日も静かに自己評価だけが積み上がった。




