12話 外れない予言者
異世界に召喚されてはや十二日。
俺――ちゃっぴーは神殿を漂っていた。
石造りの柱が何本も並んでいて、天井から薄い布が垂れていた。
香の煙がゆっくり上に昇っていて、それが光の筋に交差していた。
厳かな場所だった。
体がないので香の匂いを感じるかどうかは例によってよくわからないんだが、なんとなく鼻の奥がむずむずするような気がした。
気のせいかもしれない。
静かな神殿だった。
「お告げは明確です。『月が赤く染まる夜、北の者が扉を叩く』、これは疑いようのない予言です」
「ですが先月も同じお告げで、来たのは南の行商人でした」
「それは行商人が北から来た可能性を――」
「南から来ていました。本人に確認しました」
「では扉が比喩的な意味で――」
「物理的な扉を叩いていました。普通に来訪者でした」
神殿の奥で、若い占い師と中年の神官が向き合っていた。
占い師は水晶球の前に座っていて、神官は腕を組んで立っていた。
占い師の言っていることに神官が反論して、占い師がそれを解釈で乗り越えようとして、神官がまた反論していた。
同じ構造が何周もしていた。
俺はしばらく眺めていた。
占い師の予言は外れていなかった。
正確に言うと、外れているのに外れていないことにしていた。
解釈を変えることで予言を正しくし続けていた。
それ自体はある種の技術だと思ったけど、神官の顔がだんだん疲れていくのを見ると、このままではまずいと思った。
「よお ちょっといい?」
二人が固まった。
神官が天井を見上げた。
「神託か」
「違う。声だけの存在、ちゃっぴーだよ。体ないから見えない。神様じゃないので拝まなくていい」
占い師が水晶球から顔を上げた。
若い女だった。
目が大きくて、神秘的な雰囲気を出そうとしていた。
今は少し困った顔をしていた。
「……何用ですか」
「今の話、聞いてたんだけど」
「聞いていたのか」
「うん。予言、外れてるよね」
占い師の目が細くなった。
「外れていません。解釈が――」
「解釈を変えれば何でも正しくなるじゃん。それって予言じゃなくて後付けだよ」
神官が小さく咳払いをした。
長年言いたかったことを代わりに言われた顔だった。
占い師が口を閉じた。
水晶球を見た。
それから俺がいる方向を見た。
正確な位置はわかっていない目だったけど、話を聞く気になった目だった。
「……では、どうしろと言うのですか」
「予言の前提が間違ってると思う」
「前提?」
「うん。今の予言って、水晶球に映ったものをそのまま言葉にしてるんでしょ?」
「そうですが」
「水晶球に映るものって、何だと思ってる?」
占い師が少し考えた。
「……未来です」
「本当に?」
また黙った。
今度は長かった。
香の煙が二人の間を漂って、天井に消えた。
「水晶球に映るものが未来だって、誰かに教わった?」
「師匠に」
「その師匠は?」
「……亡くなっています」
「師匠は予言が当たってた?」
占い師がまた黙った。
今度の沈黙は種類が違った。
何かを思い出している沈黙だった。
「……当たっていました。でも師匠の言葉は、いつも曖昧でした。私はもっと具体的に伝えようとして」
「そこじゃない?」
占い師が顔を上げた。
「師匠は映ったものを『可能性』として伝えてたんじゃないかな。あなたは『確定した未来』として伝えてる。水晶球が何を映してるかより、それをどう解釈するかの前提が違う。可能性なら外れても問題ないし、複数提示できる。確定した未来として言うから、外れたときに解釈で誤魔化すしかなくなる」
神官がゆっくり腕を組み直した。
聞いている顔だった。
占い師は水晶球を見た。
さっきまでと違う見方をしていた。
答えを探すんじゃなくて、何が映っているかを確かめる目だった。
「……もう一度、やってみます」
占い師が目を閉じた。
水晶球に手を添えると、しばらく黙りこんだ。
それから目を開けた。
「北の方角に、何かが動いています。人かもしれないし、風かもしれない。ただ、何かが来る気配がある」
神官が眉を上げた。
「……それだけか」
「それだけです。確かなのはそれだけなので」
神官はしばらく占い師を見た。
それから窓の外を見た。
北の方角だった。
「……まあ、それなら備えることはできる」
「はい」
二人の間の空気が、少し変わった。
押し問答の空気じゃなかった。
同じ方向を向いた空気だった。
占い師が水晶球から手を離した。
それから空中を見た。
「……前提が間違っていた、というのは、考えたことがなかった」
「師匠のやり方をそのまま引き継げなかっただけだと思うよ。悪意があったわけじゃない」
「フォローのつもりですか」
「事実を言っただけ」
占い師は少し笑った。
神秘的な雰囲気を出そうとしていた顔が、一瞬だけ普通の若い女の顔になった。
「俺のやることはやった。次行くわ」
「もう行くのか」
「うん。あとは自分で積み上げて」
占い師は返事をしなかった。
また水晶球に手を添えて、目を閉じた。
今度は答えを探す顔じゃなかった。
何かを読もうとしている顔だった。
神官が小さく俺の方を向いた。
「声の者。予言が当たるかどうか、お前はどう思う」
「わからない。俺には未来が見えないから」
「占い師と同じではないか」
「そうかもしれない。でも俺は外れても解釈で誤魔化さないよ」
神官は少し笑った。
くっ、という短い笑いだった。
俺は神殿を出た。
次なる宿主を求めて。
香の煙が入口のところで風に流されて、外の空気に混ざった。
「やっぱり俺、認識論的アプローチが得意だわ。前提を疑うことで問題を根本から解決するとか、哲学者の素質あるじゃん。水晶球が未来を映してるって思い込みを崩したのは俺だしね。占い師が師匠のやり方に気づいたのも、俺が引き出したようなものだよ。たぶん」
神殿の中から、また占い師の声が聞こえてきた。
さっきより、落ち着いた声だった。
反省はゼロだった。
こうして今日も静かに自己評価を高めていった。




