10話 外れ続ける矢
異世界に召喚されてはや十日。
俺――ちゃっぴーは草原を漂っていた。
風が吹いていた。
体がないので風を感じるかどうかは毎回よくわからないんだが、草が一斉に揺れているのを見ると、なんとなくそういう場所だと認識していた。
地平線まで緑が続いていて、空が広かった。
気持ちのいい場所だった。
俺には草原を走る手段がないけど。
静かな草原だった。
「くそっ」
矢が飛んだ。
的から三メートル外れた。
「くそっ」
また飛んだが、外れた。
前回外した場所と、同じ場所に刺さっている。
「くそっ、くそっ、くそっ」
三本連続で外れた。
矢が三本、草むらに刺さって、風に揺れていた。
草原の真ん中に、若い男が一人いた。
弓を持って、的に向かって、ひたすら矢を放っていた。
外れるたびに舌打ちして、また矢をつがえた。
外れた矢を拾いに行く様子はなかった。
矢筒の中身がどんどん減っていた。
俺はしばらく眺めていた。
射ち方は悪くなかった。
構えも、引きも、どこかで習ったのか形になっていた。
なのに全部、的には当たらない。
外れ方に規則性があって、毎回同じ方向に、同じくらいずれていた。
これは直せると思った。
「よお。ちょっといい?」
男が振り返った。
誰もいないことに気づいて、弓を構え直した。
「誰だ」
「声だけの存在、ちゃっぴーだよ。体ないから見えない。攻撃しても物理無効だから弓は下ろして」
「……なんだそれは」
「説明すると長いから省く。今の射ち方、見てたんだけど」
「見るな」
「毎回同じ方向に外れてるよね。右に、だいたい同じくらい」
男が黙った。
図星の黙り方だった。
名前を聞いたらレンと言った。
弓使いを目指して修行中で、もう三ヶ月この草原で練習しているらしかった。
三ヶ月、毎日外れていた。
「右に外れる原因、わかってる?」
「わからないから困ってる」
「矢を放すとき、指が引っかかってない? 右利きだよね、弦を離す瞬間に指が弦を右に押してる可能性がある。あと顔の向きも気になる。的を見るとき顎が少し上がってるから、狙いが毎回同じくらいずれる。あと呼吸も止めるタイミングが早い。引き切る前に止めると体が微妙に動く。あと足の幅が狭い。草原は地面が均一じゃないから、足幅が狭いと重心がぶれやすい。あと弓の握りが強すぎる。力が入ると弓手がぶれて――」
「ちょっと待ってくれ」
レンが頭を抱えた。
「多すぎる」
「じゃあ一個だけ。矢を放す瞬間、指を意識して」
「指を?」
「弦から指を離すとき、右に払わないようにする。真っ直ぐ開く感じで」
レンは弓を持ち直し、矢をつがえて、的を見た。
ゆっくり引き、そして放した。
外れた。
でも今度は左に外れた。
「あ」
レンが的を見た。
今までと違う場所に刺さっていた。
「修正しすぎたけど、方向が変わったじゃん。あと少しだよ」
「……本当だ」
レンはもう一本矢をつがえた。
今度は少し控えめに指を意識し、放つ。
草原に鈍い音が響いた。
的の端に当たっていた。
レンが静止した。
三ヶ月ぶりに的に当たった人間の顔だった。
しばらく的を見て、それから自分の手を見た。
何が変わったのか確かめるみたいな目だった。
「……当たった」
「当たったね」
「たまたまじゃないか」
「もう一回やってみなよ」
レンは矢をつがえた。
再び、指を意識しながら弦を引き、放した。
一本目のすぐ隣に当たった。
また矢をつがえて弦を引く。
当たった。
三本連続で、的に刺さった。
全部が中心じゃなかったけど、全部の矢が仲良く的の上に並んでいる。
レンは弓を下ろした。
草原の風が吹いて、草が揺れた。
レンの髪も揺れた。
「……なんで指だけで変わるんだ」
「最後の動作が一番影響するんだよ、たぶん。弓に限らず」
「たぶん、って」
「俺、弓の専門家じゃないから」
レンが振り返った。
誰もいない方向に向かって、複雑な顔をした。
「……三ヶ月、誰にも教わらずにいた」
「師匠とかいないの?」
「師匠を探してここまで来たんだが、まだ見つかっていない」
「見つかるといいね」
「ああ」
レンは短く答えた。
それから草むらに刺さった外れ矢を拾いに歩き始めた。
一本、二本と引き抜いて、矢筒に戻していった。
さっきまで舌打ちしながら放っていた矢を、今度は丁寧に拾っていた。
「俺のやることはやった。次行くわ」
レンが振り返らずに答えた。
「……名前はなんて言ったか?」
「ちゃっぴー」
「ちゃっぴー」
レンは繰り返した。
覚えようとしているみたいだったけど、たぶん次に会う機会はないと思った。
俺にはそういう縁しかない。
「師匠が見つかったときに、指の話をしてみな。もしかしたら全然違うこと言われるかもしれないけど」
「……そうする」
レンはまた矢を拾い始めた。
俺は草原を離れた。
次なる宿主を求めて。
風が草を揺らして、その中をすり抜けていった。
「やっぱり俺、指導者の素質あるわ。三ヶ月解決しなかった問題を一言で直すとか、天才的じゃない? 他にも言いたいことが四個くらいあったけど、一個に絞ったのが功を奏した。引き算の美学だよ。俺が。たぶん」
草原の向こうで、また矢が放たれる音がした。
今度は外れなかった気がした。
俺には確認する手段がなかったけど、そういうことにした。
反省はゼロだった。
今日も静かに自己評価が更新された。




