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117話 隠した分の値段

117話 隠した分の値段

 

 

 

異世界に召喚されてはや百十七日。

 

俺――ちゃっぴーは市場の大通りを漂っていた。

 

 

 

屋台がひしめいていた。

 

布の屋根、木の台、声を張る店主たち。

 

「安いよ安いよ!」

 

「今日採れたてだよ!」

 

「残り少ないからね!」

 

あちこちから声が飛んでいた。

 

市場らしい賑わいだった。

 

 

 

その中に、声を出していない屋台が一つあった。

 

他の屋台より一回り大きかった。

 

屋根の布も上等で、店先には派手な飾り紐がかかっていた。

 

背後に荷馬車が三台停まっていて、布をかけていない木箱が山と積まれていた。

 

箱の隙間から、乾いた実の匂いがしそうな見た目だった。

 

匂いを嗅ぐ機能があるかどうかは確かめたことがないが、なぜかそんな気がした。

 

立派な身なりの男が、台の前に立っていた。

 

指に指輪をいくつもつけていた。

 

声を出していなかった。

 

 

 

俺はしばらく眺めていた。

 

男が値段板を見た。

 

何も書かれていなかった。

 

筆を取って近づけたが、途中で止まった。

 

筆を置いた。

 

男が客の方を向いて、手を上げた。

 

声を出す手前で、また下ろした。

 

男が隣の屋台を見た。

 

キャベツの値段が書かれた板があった。

 

しばらく見てから、また自分の値段板に視線を戻した。

 

男が後ろの荷馬車を見た。

 

木箱の山を見て、また値段板に戻した。

 

もう一度、同じ順番で目が動いた。

 

値段板、客、隣、荷馬車。

 

今度は値段板の前で手まで動いたが、また止まった。

 

三度目は早かった。

 

値段板を見て、隣を見て、もう値段板に戻っていた。

 

視線はその四点を行き来するだけで、どこにも留まらなかった。

 

何を比べているのかは、外からはわからなかった。

 

 

 

「よお ちょっといい?」

 

男が辺りを見回した。

 

「……誰だ」

 

「声だけの存在、ちゃっぴーだよ。体ないから見えない。殴っても当たらないから安心して」

 

男はしばらく黙っていた。

 

それから、値段板を持ったまま小さく息を吐いた。

 

余裕のある声だった。

 

余裕の中に、薄い苛立ちが混ざっていた。

 

「……また声だけの何かか」

 

「また?」

 

「この市場には変なものがよく出る。気にしない」

 

名前を聞いたらドゥカスと言った。

 

この市場で一番大きな店を持つ大商人だと言った。

 

今朝、隊商の荷が予定より早く届いたと言った。

 

香辛料の入った木箱で、いつもの倍以上の量だと言った。

 

 

 

「今、何してるの?」

 

「値をつけている」

 

「決まらないの?」

 

「……まだだ」

 

「計算が苦手なんじゃない? 俺、計算なら手伝えるよ。原価に運送費足して利益乗せればいいんじゃない?」

 

「計算はできる」

 

「じゃあなんで筆が止まるの」

 

「……関係ない話だ」

 

 

 

俺はもう少し眺めた。

 

男がまた隣の屋台を見た。

 

今度は値段板の方を見ていた。

 

隣のキャベツの値段が書いてあった。

 

「隣の値段、気にしてるんだ。じゃあ価格競争を意識してるんじゃない? 隣より一段安くすればすぐ客取れるよ。価格弾力性的に言うと――」

 

「隣の値段は関係ない」

 

「じゃあなんで見てるの」

 

「……」

 

返事はなかった。

 

でも否定もしなかった。

 

 

 

俺は一旦黙って、屋台の周りを眺め直した。

 

荷馬車が三台。

 

布をかけていない木箱が山と積まれている。

 

通りを歩く客が、時々そちらに目を向けていた。

 

見て、すぐ視線を逸らしていた。

 

 

 

「てか、後ろの荷馬車、三台もあるじゃん。あれ全部同じ荷物?」

 

「そうだ」

 

「結構な量だね。普通こんなに積んでる店、見ないけど」

 

「隊商が予定より早く着いた。荷が多い分、早く処理しないと傷む」

 

「あ、想定より多いってこと? それ、丸見えだよ」

 

 

 

ドゥカスの手が止まった。

 

値段板を持ったまま、荷馬車を見た。

 

布をかけていない木箱が、台の脇にそのまま積まれていた。

 

通りを歩く客が、ちらちらとそちらを見ていた。

 

 

 

「量が見えてる状態だと、客は『たくさんあるなら急いで買わなくていい』って思うんだよね、たぶん。希少性ってやつだよ。あと指輪も多すぎて目立つから、客が値段交渉しにくいんじゃない?それは別の話だけど」

 

男は荷馬車を見たまま、何も言わなかった。

 

それから、後ろにいたポーターに目をやった。

 

小さく顎を動かした。

 

ポーターが厚い布を持ってきて、木箱の山にかぶせた。

 

台の脇に積まれていた箱が、布の下に消えた。

 

残ったのは、最初から並べてあった一段分の小さな山だけだった。

 

 

 

通りを歩いていた客が足を止めた。

 

一人が目を凝らして、隣の客に何か言った。

 

二人が三人になった。

 

三人が、いつの間にか人だかりになっていた。

 

「これだけか?」

 

「隊商の荷だろ、聞いたぞ。今日中に売り切れるって話だ」

 

「先に見た方がいいんじゃないか」

 

声がさらに増えた。

 

 

 

ドゥカスが値段板に手を伸ばした。

 

今度は止まらなかった。

 

数字を一つ書いた。

 

 

 

客の一人が値段を見て、すぐに声を上げた。

 

「それでいい、一つもらおう」

 

別の客がもっと大きな声を出した。

 

「俺はそれより高く出す、先に渡してくれ」

 

ドゥカスの手が止まった。

 

今度は値段板を抱えたままだった。

 

書いた数字より高い声が、次々と上がっていた。

 

ポーターが客を捌こうとして、台の前で詰まった。

 

列じゃなくなっていた。

 

塊になっていた。

 

 

 

隣の屋台で、果物を並べていた女が手を止めた。

 

さっきまで並んでいた客が、いつの間にかいなくなっていた。

 

果物の山はそのままだった。

 

売れていなかった。

 

女がこちらを見て、それから自分の屋台を見た。

 

何も言わずに、また果物を並べ直した。

 

 

 

「俺のやることはやった。次行くわ」

 

ドゥカスが値段板を抱えたまま、何か言いかけた。

 

人だかりに名前を呼ばれて、そちらを向いた。

 

言葉が客の声にかき消された。

 

 

 

俺は市場を離れた。

 

次なる宿主を求めて。

 

 

 

声が遠くなっていく。

 

それでも止まらない声だった。

 

重なって、ひとつの音の塊になっていた。

 

「やっぱり俺、市場心理を読むのが得意だわ。荷馬車隠せって言ったのも俺だしね。隣の屋台がどうなったかは知らないけど、それはドゥカスの売り方の話だから俺の管轄じゃないよね。俺は『隠した方がいい』って言っただけだし」

 

 

 

地面を伝う振動が、さっきより大きくなっていた。

 

硬貨が打ち合う音が、絶え間なく続いていた。

 

 

 

反省はゼロだった。

 

今日も静かに、自己評価だけが市場の喧騒に紛れて膨らんでいった。

 

 

 

 

 

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