109話 まだ核がない
109話 まだ核がない
異世界に召喚されてはや百九日。
俺――ちゃっぴーはボス部屋を漂っていた。
石造りの広間だった。
天井が高く、壁の燭台はすべて消えていた。
中央の床に大きな魔法陣が描かれていたが、輪郭がぼやけていた。
線がはっきり光っている部分と、霞んで消えかけている部分が混在していた。
魔法陣の縁に、剣が二、三本刺さっていた。
適当に投げたようにも見えたし、何かを試したあとのようにも見えた。
魔法陣の上に、黒い渦のようなものがあった。
形が一定じゃなかった。
丸くなったり、引き伸ばされたり、また丸くなったりしていた。
輪郭はあるのに、輪郭が決まっていなかった。
その前で、男が剣を構えていた。
知っている構えだった。
正眼。
ただ、踏み込みが来なかった。
足が上がって、止まって、元の位置に戻った。
足慣らしかと思った。
もう一度上がって、止まって、戻った。
同じ場所だった。
足慣らしならこれはおかしかった。
剣先が、狙いをつけるように上がって、そのまま下がった。
型の確認かと思った。
型なら同じ動きになるはずだったが、毎回少しだけ違った。
迷っているようには見えなかった。
迷う対象がないように見えた。
俺はしばらく眺めていた。
知っている顔だった。
俺が召喚されてから五十九日目に会ったゼロスだった。
背中に、剣が何本も見えた。
一本じゃ足りないみたいな数だった。
剣が先に行って、腕がそれを追う動き方は、もう迷いなく出ていた。
あれは身についていた。
その『先に行く』剣が、今は一歩も動いていなかった。
「よお 久しぶり」
ゼロスが振り返った。
誰もいない。
渦の方を見た。
「……ちゃっぴーか」
「覚えてるんだ」
「忘れるか、お前を」
「うれしい言い方だね。てかその渦、敵?」
「核を探している」
「核?」
「あれの核を斬れば終わる。だが核がどこにあるかわからない」
「どのくらいここにいるの」
「半日にはなる」
俺は渦を見た。
丸くなって、伸びて、また丸くなる。
核らしきものは、どこにも見えなかった。
「お前の剣、狙った場所に先に行くんだよね。今、それ出てないじゃん」
「狙う場所がない」
「動体視力落ちた? あれだけ動いてるなら追えそうだけど」
「視力の問題じゃない」
「じゃああの渦、お前が狙うとわざと避けてる?」
「避けてもいない」
俺は黙った。
ゼロスの剣が、また半分だけ上がって、下がった。
避けてもいない。
視力の問題でもない。
狙う場所が、まだない。
核がないなら、剣はどこに向かって先に行けばいいのか決まらない。
決まらないから、出ない。
「とりあえず聞いてほしいんだけど、渦の重心を平均値で出して、そこを仮の核として扱うのはどう? 移動範囲を時系列で記録して、滞在時間が一番長い座標を弾き出せば――」
「無理だ。記録する暇がない」
俺はちょっとへこんだが、すぐ続けた。
「核がないなら、お前自身が基準になればいいんじゃない?」
軽く言ったつもりだった。
ゼロスが止まった。
「……基準に、俺が」
「いや別に深い意味はないんだけど。渦に基準がないなら、お前が決めればいいじゃんって話。お前が『そこ』って決めたら、剣はそこに向かうんでしょ」
ゼロスが持っていた剣を左手に持ち変えると、右手で背中の鞘に手をかけた。
一本、引き抜いた。
地面に投げた。
深く刺さった。
渦の輪郭が、刺さった剣の方へわずかに引かれた。
「……いや、それただ投げただけじゃん。基準ってそういう意味じゃ――」
ゼロスは聞いていなかった。
もう一本抜いていた。
二本目も投げた。
さっきとは別の角度だった。
渦の輪郭が、二方向に引かれて歪んだ。
三本目を抜いては投げた。
四本目にも手をかけた。
次々と剣を抜いては四方八方に投げつけていく。
刺さる剣と剣の間隔がどんどん短くなった。
気づいた時には渦の形が、丸でも楕円でもなくなっていた。
刺さった剣の一本一本に向かって、糸のように伸びて歪んでいた。
蜘蛛の巣みたいだった。
「ちょっと、増えてるじゃん」
ゼロスは答えることなく、次々と剣を抜き続けていく。
五本目、六本目――数えるのをやめた。
「それ基準じゃなくて在庫処分じゃない?」
剣の飛ぶ方向は滅茶苦茶に見えるのに、ゼロスの動きには迷いがなかった。
迷いがないのが怖かった。
糸の一本が、ゼロスの足元をかすめた。
ゼロスが軽くよろけたが、まったく気にしていなかった。
「まだ投げるの?」
「足りない」
迷いのない即答だった。
残りの剣を鞘から抜いた。
更にその隣の剣も抜き取った。
いつの間にか背中の鞘が、もうほとんど空になっていた。
残り僅かになってしまった剣を投げたとき、二本の糸が交差した。
交差した場所で、渦の輪郭が一瞬重なった。
背中にある最後の一本に手をかけた。
ゼロスが、その交差した渦の輪郭を見据えていた。
狙ったのか、たまたま空いていたのかはわからなかった。
剣が飛んだ。
大きく渦の輪郭からは外れて飛んでいくと、他の剣と同じように無作為に地面に突き刺さった。
ゼロスは背中に手を伸ばす。
けれど空の鞘が隣同士で擦れて乾いた音をたてた。
一瞬ハッとした表情をみせた。
ゼロスの背中では右手が空を彷徨った。
黒い渦は、無数の糸に限界まで引っ張られ続けている。
次の瞬間だった。
堪え切れなくなった渦が破れて綻んだ。
その綻びから黒い小さな塊が姿を現す。
核だった。
「……出た」
ゼロスが背中で空を掴もうとしていたのをやめて綻びを確認する。
「……出たな」
返事が、少し遅れていた。
それからずっと握っていた本来の剣を構え直した。
一歩踏み出した。
踏み込みながら身体を翻すと同時に、剣がその手から飛び出してゆく。
飛び出した剣は核に向かって、一直線に迷いなく貫かれた。
核が真っ二つに割れた。
渦が崩れて、蜘蛛の巣状に伸び切った形を乱しながら収縮しはじめた。
魔法陣の光が、一気に眩い光を放つ。
ゼロスが握りしめた剣を下げた。
「……基準は、一つでいいって意味だったんだけど」
「足りなかったから増やした」
「そういう発想になる?」
「足りないものは増やす。それだけだ」
迷いのない声だった。
反論できる気がしなかった。
「俺のやることはやった。次行くわ」
ゼロスがこちらに振り向いた。
「……前にも、似たようなことを言われた気がする」
「言ったかもね」
「内容は思い出せない」
「思い出さなくていいよ。じゃあね」
返事はなかった。
ゼロスは四方に飛ばされた剣を眺めていた。
俺はボス部屋を出た。
次なる宿主を求めて。
体がないので扉の感触はわからなかったが、扉の外まで魔法陣の光だけが漏れていた。
光は揺れずに、一定の強さで漏れ続けていた。
「やっぱり俺、基準を与える設計が得意だわ。核がない状態に手を打ったのは俺だしね。まあ十本投げるとは言ってないけど、基準になればいいってアイデアの種を渡したのは俺だから、実質俺の設計通りだよ。たぶん」
奥から、金属が床に触れる音が続いていた。
硬い音が重なって響いていた。
反省はゼロだった。
自己評価が増えた剣の本数分積み上がっていった。




