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105話 遠すぎる視野

105話 遠すぎる視野

 

 

 

異世界に召喚されてはや百五日。

 

俺――ちゃっぴーは山を漂っていた。

 

 

 

岩肌がむき出しだった。

 

木が生えていた。

 

草も生えていた。

 

ただ、妙に乾いていた。

 

土が割れていた。

 

葉の端が茶色くなっていた。

 

沢があるべき場所に水がなかった。

 

 

 

静かな山だった。

 

静かなはずだった。

 

 

 

岩の上に、でかいのがいた。

 

でかいという言葉が追いつかないくらいでかかった。

 

鱗が黒く光っていた。

 

翼が岩を覆っていた。

 

尾が斜面の半分くらいに達していた。

 

古代竜だとわかった。

 

 

 

竜は地平線を向いていた。

 

じっと見ていた。

 

動かなかった。

 

微動だにしなかった。

 

 

 

俺はしばらく眺めていた。

 

竜の視線が地平線から外れなかった。

 

山全体が乾いているから、この竜は雨乞いでもしているのかと思った。

 

雨乞いをするような存在でもないとはわかっているが、そう思った。

 

それくらい、山はカラカラに乾き切っていたし、竜はただ遠くを見ていた。

 

 

 

しばらくすると竜が顔を上げた。

 

雲の流れを追い始めた。

 

目だけが動いた。

 

体は動かず、翼も動かなかった。

 

雲が流れていった。

 

竜はそれを見送った。

 

どこかにあるかもしれない水源を探す気配はなかった。

 

 

 

夜になった。

 

今度は星を見ていた。

 

天体の動きを目で追っていた。

 

竜の足元を見ると、そこから数歩のところに岩の割れ目から少し湿った土があるのを見つけた。

 

湧き水が染み出しているような形跡だった。

 

けれど、竜はそちらを見なかった。

 

 

 

俺の最初の結論は「山全体の気候異常」だった。

 

これだけ乾いているなら何か大きな原因があるはずで、竜は警戒しているのだと思った。

 

竜が観測に徹しているのも、状況把握のためだと思った。

 

古代竜だから長期的な視野でデータを集めているのかと思った。

 

 

 

「よお。ちょっといい?」

 

竜が片目だけ動かした。

 

「声だけの存在、ちゃっぴーだよ。体ないから見えない。攻撃しても物理無効だから爪は引っ込めて」

 

竜が低い声を出した。

 

「……聞こえる」

 

「この山、乾いてるじゃん。気候異常?」

 

 

 

竜が答えなかった。

 

また地平線を向いた。

 

 

 

名前を聞いたらヴェルダという。

 

この山に何千年もいると言った。

 

「じゃあこの山が乾き始めたのも知ってる?」

 

「知っている」

 

「いつから?」

 

「……三百年ほど前から、少しずつ」

 

「三百年!?」

 

竜が片目だけこちらに向けた。

 

「短いか?」

 

「いや短くはないけど、で、原因は?」

 

「雨量が減ったのだろう」

 

「雨量。さっき雲の流れ見てたのそのため?」

 

「確認していた」

 

「確認した結果は?」

 

「……雲の量は以前と変わらない」

 

「じゃあ雨量の問題じゃなくない?」

 

 

 

竜がまた黙った。

 

俺はこの時点でまだ気候異常説を捨てていなかった。

 

雲の量が変わらないなら降り方が変わったのかもしれないと思った。

 

局所的な乾燥域が形成されたのかもしれないとも思った。

 

全部言った。

 

「雲の密度はどう? 降水量を密度で補ってる可能性ない? あと局所乾燥域が形成されてるなら観測点を複数取る必要があって、一点の観測だと全体像が掴めないじゃん。あと風向き変化の可能性も捨てられないんだよね。山岳地形って尾根の形一つで気流が全然変わるから、水を含んだ雲が上昇しきれずに手前で降ってる可能性があって――」

 

「……うるさい」

 

「まだ言い終わってないんだけど」

 

「三百年、考えてきた」

 

「え。全部考えた?」

 

「全部だ」

 

「全部外れてたってこと?」

 

「……」

 

図星の沈黙だった。

 

 

 

俺はそこで少し考えた。

 

三百年考えてきた。

 

雲も見た。

 

星も見た。

 

地平線も見た。

 

全部遠くだった。

 

近くを、見ていなかった。

 

 

 

「ちょっと聞くんだけど」

 

「まだ何かあるのか」

 

「足元、見てる?」

 

竜が視線を落とした。

 

長い首がゆっくり動いた。

 

視線の先には岩が一つあった。

 

岩の下に、枯れた草が張り付いていた。

 

水路の跡みたいな形だった。

 

「その岩、ずっとそこにあった?」

 

「……いつからあったか、覚えていない」

 

「その岩の上流、どうなってる?」

 

竜の首がさらに動いた。

 

目が止まった。

 

 

 

「……詰まっている」

 

「何が?」

 

「給水路だ。昔、この山の水を分配するために刻んだ水路がある。岩が落ちて、塞がれている」

 

「いつ落ちたの?」

 

「……わからない。気づかなかった」

 

「三百年気づかなかった?」

 

「……遠くを見ていた」

 

 

 

静かな声だった。

 

何千年も生きてきた声のくせに、どこか子どもみたいな静かさだった。

 

 

 

竜が立ち上り、翼を広げた。

 

山が揺れた。

 

比喩ではなかった。

 

前脚を振り上げ、岩に叩きつけた。

 

一撃だった。

 

岩が砕けた。

 

砕けた先から、水が走った。

 

走って、広がって、斜面を流れていった。

 

止まっていた水路に水が入り込み、枝分かれしていった。

 

山の各所で水が染み出し始めた。

 

 

 

流量が想定より多かったのか、水は勢いよく流れた。

 

俺には給水路の設計図がないのでわからなかったが、ヴェルダも少し目を細めていた。

 

予定より多かったのかもしれなかった。

 

 

 

「俺のやることはやった。次行くわ」

 

「……待て」

 

「え、まだ何かある?」

 

「なぜ足元を見ろと言った」

 

「遠くしか見てなかったから」

 

「それだけか」

 

「それだけだよ。三百年遠くを見て答えが出なかったんでしょ。じゃあ近くに原因があるじゃん、って思っただけ」

 

竜がこちらを向いた。

 

何千年分かわからない目だった。

 

「……単純だな」

 

「単純な方が当たることあるから」

 

ヴェルダは何も言わなかった。

 

感謝でも反論でもない沈黙だった。

 

 

 

俺は山を離れた。

 

次なる宿主を求めて。

 

 

 

背後で、水が石を叩く音が続いていた。

 

山肌のあちこちで、小さな沢が繋がり始めていた。

 

「やっぱり俺、観点の転換が得意だわ。遠くを見てるから近くに答えがあるって言ったのは俺だしね。気候異常とか雨量とか風向きの話を全部した上で最終的に足元に誘導したわけだから、あの分析が布石になってたともいえる。つまり無駄じゃなかった。ヴェルダが三百年で気づかなかったことを俺は一日で気づかせたのは事実だよ。体ないけど」

 

 

 

下っていくと、水の音が聞こえてきた。

 

さっきまでなかった音だった。

 

ただ、どこかで別の音も混じり始めていた。

 

洞窟の方角から、低い水音が響いていた。

 

 

 

反省はゼロだった。

 

自己評価だけが山の高さ分、静かに積み上がっていった。

 

 

 

 

 

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