80羽:パンドラの箱
成子から苦笑が漏れる。
「敵意も悪意も、何も感じなかった」
「成子ちゃん……?」
思えば成子の様子は途中からおかしかった。目の前で藍音が攫われたにも関わらず、小栗のように追いかけるそぶりを見せようともしなかった。
「敵意がなくても、そんなことできちゃうんだね」
平気な顔して、笑顔で近づいて。
敵意や悪意があったのであれば、最初から成子が彼女を藍音に近づかせなかった。でもそんなことはなかった。それでも、彼女は凶行に及んだのだ。
「ふふ……安心した。やっぱり相手にするなら、そんな屑じゃないとね」
「……!!!」
遠く離れた加恋にも届き得る、成子の真後ろから吹き上がるもの。
それは圧倒的なまでの殺意。成子にとって、いい人も悪い人もいるなかで、まだ感情で行動する人の方が理解できた。そこには、原動力足る譲れない想いがあり、それを守るために行動するのだと。
成子は笑っていた。
いったい何がおかしいのか、何がかなしいのか、自分でもよく分からない。それでも今確かに分かっていることは、自分にとって、絶対に許せない相手が今そこに居るということ。加恋は明確に、成子の地雷を踏み抜いていた。
「死んじゃえ」
成子に覇気はない。しかし、それに反比例するかのように溢れだす憎悪。
隣に居た小栗が、成子の変わりように言葉を失い、その場でへたり込む。もはや彼女を止めるすべはない。生み出されたのは、対象者を延々と狙う精神依存の技能”怨恨の骸”。
これにより、身体に傷を負うことはない。
ただそれが一掠りでもしたら最後、絶対に助からないだろうという確信がある。心を壊され、廃人のようにただ生きているだけの人。それは果たして生きていると言えるのだろうか。その終わりを、いや始まりを告げるのは、成子から放たれた無数の『怨念髑髏』。
成子と加恋の距離は大分離れていた、離したはずだ。
それなのに、その距離が全く意味をなさない。加恋の目には世界を覆う暗黒、怨念を叫ぶ髑髏だけが拡がっていた。
「ちょ、まっ――」
怨念に呑み込まれる。まさにその時、その間に一つの黒い影が割って入ってきた。
「そこまでだ」
黒刀を二刀構えた恭介が、黒刃の二連撃を放出する。怨念の集合体は、その威力によって掻き消され、真っ白な空白を生み出した。
「……なんで邪魔するの」
「怒りは重要な要素だ。それにより、普段発揮できない力も出すことができる」
小栗のようにへたり込んだ加恋の前に、仁王立ちする恭介。
加恋の顔は青ざめ、もはや戦闘続行は不可能なまでの精神喪失状態だった。恭介は恭介で加恋を追っていたのだが、まさか先に成子達が接触しているとは思わなかった。様子を見ていたら、まさかの強硬手段を取った加恋。周りでは恭介ほか、真代と修もバックアップに回ろうと動いていた。
そんなさなかに起こった、成子の暴走。
感情が振りきれ、正常な思考ができていないと判断した恭介は急遽、こうして姿を現していた。
「だが、今は違う。もう相手に戦闘の意思はない。それに……」
「それに?」
静かな恭介と成子のやり取り。
一つでも対応を間違えたら、恭介と言えども襲われてしまうだろう。慎重に答えなければいけない。
「誰を巻き込むつもりだったか、考えなかったのか?」
「あ……」
攻撃されることを恐れていないのか、いや攻撃されないと確信していたのか、恭介が成子から目線をそらす。そこには無茶な軌道と、悪意に当てられて気を失って倒れている藍音の姿があった。
「私は……うっ……おぇえええあああ……!!?」
膨れに膨れ上がった、これまでになかったほどの『怨念髑髏』。それは使い手をも蝕んでしまったのか。現状を理解した成子は、胃に溜め込んでいたものを盛大に吐き出した。
「ううっ……はっ、はっはっはっ……!!!」
「せ、成子ちゃん!?」
何度もえずき、苦しい呻き声と過呼吸が続く。茫然としていた小栗も我に返り、成子の元へ駆け寄り背中を懸命に擦る。
「修、いるか?」
「はい」
恭介の呼びかけに、ぱっと修が応じる。
少し離れた位置から移動技能”一足飛び”で飛んできた修は、己の役割を理解した動きで、成子と小栗の近くに降り立つ。
「手を貸すよ。今日はもう休んだほうがいい」
「……ごめんなさい」
小栗が側について介抱したのが多少は効果があったのか、今は少し落ち着きを取り戻した成子。修に肩を担がれながら、この場を転移で後にした。
「恭介さん……」
「一部始終はこっちでも見ていた。……合流が遅れてすまなかった」
「いえ、ほんとは私がもっとしっかりしていれば……!」
自分を責める小栗の頭を多少乱暴に撫でる。もうそれ以上の懺悔の言葉を言わせる気はなかった。
急遽の合流となった恭介は、改めて状況を確認する。
藍音を中心に巻き起こった騒動。そこには【黒天鳴音】も深く関わっていたのだろう。放心状態の加恋がいることが、その証拠にもなる。今は事情を聴けるような状態ではないが、場を収めたほうがいいだろう。修が戻ったら再び移動をしようかとした恭介に、別の声がかかる。
「とんだ化け物を飼ってるんだな、能研は」
「鳴守か」
どうやらこちらも恭介と同じく様子を窺っていたらしい。【黒天鳴音】のリーダーである、鳴守 胤人が姿を現していた。
「おうよ。真打ち登場までに散々遊んでくれやがって。いじめか、こら」
「やかましい。今はお前に構っている暇はない」
待機していた恭介の領域には、当初鳴守の反応はなかった。仲間内に転移系の能力持ちがいたのかもしれないが、今の恭介に細かい分析は難しかった。
「とりあえず、加恋は回収させてもらうぜ。可愛い俺の女だからな」
「好きにしろ」
鳴守と一緒に来た仲間達が、慌てた様子で加恋を回収している。
彼女も直接くらったわけではないが、強烈なまでの悪意が自分目掛けて押し寄せてきたのだ。なかなかすぐに復帰はできないだろう。
「で、お前のお目当てはこの子か?」
「おう。話が早いじゃないの」
二人が向ける目線の先には、藍音の姿。
今は小栗に半身を起こされ、少し気を取り戻しかけている。不幸中の幸いか、加恋と同じほど悪意には当てられてはいなかったのか、ぼんやりとはしているが、ゆっくりと覚醒しそうな気配を見せていた。
「この子はちまたで噂されていた『女神』。そんな噂を聞きつけたお前は、その回復能力を欲した。そんなところか?」
「はっは、話が早いのは助かるぜ」
「そうか」
「……!!」
言葉と同時に飛んだのは黒の斬撃。普段の恭介からしたら、決してしないような不意をついた攻撃であった。
「はっ! 手が早いのも嫌いじゃないぜ!」
「お前に好かれても何も嬉しくはない」
引き抜いた黒刀で示し、小栗を下がらせる。
藍音を庇う彼女は戦う意思を示したが、この男と戦うのは初めから自分だと決めている。それに、まずは巻き込まれてしまった藍音の安全確保が最優先だ。無言の圧力を放つ恭介を前に、小栗はそれに従って藍音と共に、修の設置した”転移門”から離脱した。
これで二人を妨げるものは何もない。
鳴守の仲間も、加恋を連れてすでにこの場を離れていた。二人して戦闘態勢に入る。元から散々やり合ったことのある仲だ。彼らの間にあるのは肉体言語。己の意思と主張を曲げない、伝えるための拳、それだけだ。
「【黒天鳴音】頭目、【反英雄】鳴守 胤人」
「能研戦闘班所属、【影夜叉】東 恭介」
「「お前を倒す」」
短く言い放った言葉が重なる。その瞬間に戦いの火蓋は切って落とされたのだった。




