68羽:逃げるが勝ち
それから数日経ったが、これといった進展は全くなかった。
芽衣子や成子の周りに件の黒い靄は現れず、またそういった噂や被害報告などもぴたっと止んでいた。それはそれでいいことなのだが、あのプレッシャーを直に受けたものとしては、当然そのままなかったことにはできない。定期的に姉妹と連絡を取り合い、変わったことがなかったか話を伺う。
そんな中、最初に違和感を訴えたのは彼女達ではなかった。
「誰かに見られている?」
「はい……能力での感知はできてないんですけど、絶対見られてます」
げんなりしながら報告したのは修。
感知能力者である彼は、普通の能力者以上にそういった視線や気配に敏感になっている。軽く流していい話ではないだろう。
「しばらくは最低誰か一人、常に修と行動しよう」
「はい、帰る時も能研からうちへの直通”転移門”をあらかじめセットしておきます」
「ああ、そうしてくれ」
程度にもよるが、能研所員の私用での能力行使はあまり推奨されていない。
中には戦闘力に特化した能力もあるため、ある程度の線引きは必要とされていた。ただ甘菜のように生活に支障が出かねなかったり、作戦上優先されることであれば、当然使用には問題ない。
『怨念髑髏』の性質上、狙われるとしたら修が一番その危険性がある。
ある種囮のように使えなくもないかもしれないが、修は戦闘能力が乏しい。大事になっては元も子もないため、警戒を安易に緩めるわけにはいかないだろう。
それから警戒を続け数日。
修の警戒網にも引っかからなくなった外からの目を、さすがにずっと警戒し続けるのも難しい。今後は依然と変わらない態勢に戻すことを決めた。
「修、一応これを渡しておく」
「能研の刀? 後は帰るだけですけど、持ってていいんですか?」
能研では作戦時に申請があれば、黒塗りの刀や槍を所員に貸し出している。
主に使うのは、付与能力を駆使して戦う特戦員達なのだが、もちろん能力者でも装備として扱う者はいる。わざわざ黒塗りにしてあるのは、恭介の黒刀とは別の理由で、下手に紛失したり悪用された場合に、分かりやすくする狙いがあるようだ。
最も刃は潰してあるので、殺傷能力という意味では抑えられており、主に制圧目的で利用されている。ただ鉄の武器で殴られるので、当然痛い。身体強化が乗っていれば尚更であり、取り扱いは慎重に越したことはなかった。
「ああ、万が一があれば、問題だからな」
「そうなったら、僕は即効で逃げますからね……」
それでいいと恭介は頷きながら、刀を修に手渡す。
不安はあるが人員にも限りはあり、古賀姉妹への目も向けておく必要がある。腐っても修は能研所員として訓練を積んでいる。他にも被害にあう人が出ないとも限らず、これ以上修にだけ人員を割くのは得策ではないという判断もやむを得なかった。
今日の調査報告をまとめ、恭介達と別れ一人帰路に就く修。
空は日が落ちかかり、ゆっくりと夕方から夜に差し掛かろうとしていた。一人ゆっくり歩いていた修だったが、だんだんとその歩行スピードを上げていく。
しばらくぶりの誰かに見られているような感覚。
やはりずっと狙われていたのだろうか。警戒を緩めた途端、その露骨な反応に思わず苦笑が漏れてしまう。
(感知能力者に反応してる……? でもこちらではまだ掴めていない)
元々そういった感覚が鋭い方ではあった。
ただこの能力『逃亡者』に目覚めてからは、能力の行使をしていなくても、その感度がまた一段とあがったような気がしている。しかし、彼の感知技能”臆病な視線”は、彼の視界に対象が収まらないと発動できない。発動条件がばれているのか、相手が慎重なだけなのか、いずれにせよ焦燥感だけが募っていく。
(みんなと連絡を取るか? ……いや、ここはもう転移で即離脱が賢いか)
相手の影を掴めず、対応が後手に回っている。その逡巡が仇となったのか、一瞬の内に後方から迫ってきた黒い靄に反応が遅れてしまう。
「ぐっ……!!」
間一髪、身に纏っていた回避技能”攻撃誘導”により、攻撃を逸らす。
しかし、修自身が反応して対応した時と比べて、その精度は低い。何より、黒い靄のスピードが恐ろしく速い。直撃コースから僅かにずらしこそしたが、振り返った頬を掠めて上空に弧を描き、再び修に狙いを定めようとしている。
「こんなのにモテても嬉しくない……!!」
脱兎のごとく逃走を開始する修。
転移には準備に多少の時間がかかるため、逃げながらでは無理だ。なんとか味方がいる能研の方まで逃げ切るしかない。しかし、相手もそこは熟知しているのか、その逆の方へ逆の方へと誘導されてしまう。
(下をただ走ってるだけじゃいずれ捕まる……なら!!)
「”一足飛び”!!」
上空から降ってきた黒い靄を直前で躱す。
修の4つ目の技能”一足飛び”、視界に収めた地点に山なりに空中移動する能力である。歩道からまさしく一足飛びで、建物の上へと避難に成功した。これで2次元から3次元にまで、高低差も利用して活路を開くことができる。
しかし、相手は追撃の手を緩めない。
すぐにその動きにも対応したのか、徐々に距離が詰まってくる。近場への緊急離脱には適している技能だが、一度定めた地点は変更することはできない。プレッシャーを掛けられ続け、空中でのせめぎあいも増えてきていた。
(こちらの動きに慣れてきたのもあるだろうけど……とにかく速い!!)
携帯していた刀で致命傷になり得る攻撃は防ぎ、ぎりぎりの攻防を続ける修。
相手は髑髏が張り付いた黒い靄。音は発していないが、しゃれこうべがカタカタ鳴っているような、不気味な感覚が常に付き纏う。それを操っているであろう、能力者の存在は彼の視界には入ってこない。
まさかほんとに能力だけが独り歩きしているのだろうか。
そうでないならば、恐ろしい遠隔操作能力であり、やはり簡単に逃がすわけにもいかない。相手の攻撃を捌きながら、相手の目的、意図をなんとか探ろうとする。もはや味方との合流を考える余裕もない。空中戦を繰り広げながら、懸命に思考を巡らせる。
その最中、今まで一筋の黒い線となっていた靄が、突如二手に分かれて迫ってきた。
「ぐぁ……!!」
一度に他方向からの襲撃に見舞われる修。
一撃目は”攻撃誘導”でなんとか逸らしきったが、二撃目は躱しきれなかった。なんとか刀でガードこそしたが、重い一撃をもらってしまい、空中から地面に落とされてしまう。
「げほっ……! いっつ……!!」
中途半端な態勢で受け身が不十分なまま落ちてしまった修は、そこで動きが止まってしまった。どこか身体を痛めただろうか。すぐにでも逃げなければいけないのだが、うまく動けない。それでもなんとか離さずに持っていた刀を上げ、戦闘態勢は崩さない。
(もう逃げ切れない……早く転移を……!!)
転移技能”転移門”の発動を試みる修。
しかし、それを許す気はないと、今までの中でも最速のスピードで黒い靄が髑髏を揺らし、突っ込んできていた。万事休す、なんとか耐えて転移に賭けるしかないのだが、あれを凌げる気はしない。
歯ぎしりをして前方の『怨念髑髏』を睨みつける修の耳に、場違いな冷静な声が聞こえたのは、今まさに黒い靄が修に降りかかろうとしていた時だった。
「そのまま構えてなさい」
「え?」
瞬間、目の前で火花が弾ける。
思わず目をそらしてしまった修だったが、まだ意識がある。『怨念髑髏』の攻撃は、相手の意識を瞬時に刈り取る異能。助かったということだろうか。
恐る恐る目を開けてみると、そこには『怨念髑髏』と対峙する真代の姿があるのだった。




