44羽:人を形作るもの
静かだ。
上も下もない、まるで無重力に投げ出されたような感覚で、ただ漂っている。
辺りを見渡そうにも、見渡す目がない、というか顔がない。ばたつかせる手足もなければ身体もない。意識だけがふわふわ浮いている。己の意識にももやがかかったようで、なにをすることもなくただこの空間を流されている。
このまま緩やかな時間経過とともに溶けて消えてしまうのだろうかと、人ごとのように思う。それも悪くないのかもしれない。
ふと何かが聞こえた気がした。
聞こえたと認識した瞬間、己の存在を、形を思い出す。聞こえた、耳がある。聞こえた方向を探る、目がある。意識が急激に引っ張られる。無重力から一転、水中にいるかのような息苦しさを感じる。呼吸をするための鼻、口がある。急いで浮上しなければ。慌てて手足を動かし、遅ればせながらもがくための、身体があることに軽い衝撃を受ける。
上へ、上へ。先ほどまでにはまるでなかった、これは生への執着だ。
何がそこまで己を掻き立てるのか、自分でも分からない。それでもただひたすら上を目指す。このままここに居ればきっと救われていただろう。苦痛も悲しみもなく、緩やかな流れに身を任せ、ただ安らかに消えていくのだ。
何故苦しむと分かっているのに抗うのか、なぜ生きようとするのか。
今ならその答えを口にできる。それは未だ果たされていない誓いが、想いが、それを許さないから。譲れない想いが、身体を作り浮上への道しるべとなる。休憩はもう十分だ。東 恭介は、己の意思で、今二度目の産声を上げた。
「あ、おかえりー。目、覚めた?」
「…………」
眼前に広がるのは夜空、ではなくどアップのアズミの顔。
地べたに仰向けに倒れている恭介を覗き込んでいる形だ。ぼんやりした頭を徐々に起動させていく。とりあえず一発殴るために、手のひらを上に向け、何度か指を動かす。異常なし。体、足も……問題ないようだ。素早く起き上がり、中腰の態勢から捻りを加えた拳を叩きこむ――
覚醒したばかりとは思えない鋭い身のこなしだったが、その攻撃は不発に終わった。
気づけば近くにアズミの姿はなく、別の方向から声が聞こえる。一旦反撃を諦め、状況把握に努めようと周りを見渡す。恭介の周りには、意識が途絶える前に一緒にいた剛達の姿があった。日野兄妹も一緒に倒れていたが、アズミが声を掛けると、緩やかにだが体を起こしていった。
彼らの意識も覚醒し、お互い無事を確認する。
切り札を切った剛や、全力を出し切った霞は未だ重い足取りではあったが、致命的な傷などは負っていないようだった。今度は周りを見渡すと同時に状況を全員で確認する。
残っている記憶の一番新しい部分を探る。
アズミとの交渉が決裂に終わり、彼らは影に呑まれた。そこからの時間間隔が曖昧だが、未だ静かな夜のままだ。日を跨いでいなければ、さほど時間は立っていないのかもしれない。徐々にクリアになる記憶。あの攻撃で身体的に何か変わったことはない、はずだ。では何をされたのか。
「ここは……境界線?」
周りを確認していた美紗から声が漏れる。
美紗が向いた先には、1区と2区の境界線を示す看板。その少し奥には、今回のゲームのゴール地点である、境界線があるのだった。
「はいはい、ちゅうもーく」
全員が状況を理解したタイミングでアズミが声を掛ける。しかし、アズミが次の言葉を発する前に恭介がアズミに詰め寄り問い詰める。
「甘菜……! 甘菜をどこにやった!?」
そう、今この場にいるのはアズミを除けば、恭介、剛、美紗、そして日野兄妹。
甘菜がいないのである。
影に呑み込まれる前に恭介が突き飛ばし、そこからは逃がした。だが自分達が気を失っていた間に、彼女が何も行動に移さなかったとは考えづらい。ほかの面子も周りを確認するが、やはり彼女の姿は見えなかった。
「ちょ、ちょ、別にどこにもやってないよ!」
「ならどこにいる!?」
「いや、君が逃がしたんじゃん!? それからは知らないよ!」
興奮気味な恭介がなおも食い下がるが、アズミの答えは知らないの一点張り。
やがて渋々と引き下がった恭介に、やれやれといった表情をおくるアズミ。仕切り直しとばかりに改めて恭介達に向き直り、現状を伝える。
「あー、ごほん。気を取り直して、君達が今気になってる情報を伝えとくね。ここは、今回のゲームのゴール地点手前。つまり1区と2区の境界線だね。私の能力でちょいと運んできたわけ、ここまでおっけー?」
恭介は美紗達と顔を見合わせ、改めて認識を統一させる。
アズミとの交渉が決裂、つまりゲームが再開したわけだが、甘菜を除き全員影に呑まれた=ゲームオーバー。そう考えるのが自然ではあったが、どうやらまだゲームは継続中らしい。そして、甘菜は恭介の悪あがきが実った形なのか、この戦闘からの一時的な離脱に成功している、といったとこだろうか。
「状況は理解できたが……何故こんなことを?」
「別にもう一度鬼ごっこからやり直してもよかったんだけど、ちょっと趣向を変えようと思ってね」
後は頑張った君達へのご褒美に、とにやけるアズミ。
どこまで本心かは分かったものではないが、ゴール地点が目の前に用意されたのは事実。甘菜の安否は気になるが、少なくともアズミに関わるよりかは、安心できるだろう。今はこのゲームを終わらす、この1点だけを考えなければいけない。
「さて、最終戦は私の攻撃を掻い潜ってゴールに辿り着けるかどうか。あはっ♡」
「……やってやるよ」
影から大鎌を取り出し、戦闘態勢に入るアズミ。
対する恭介達も最後の決戦に備える。各自準備をするが、剛と霞は戦闘要員として今は数えないほうがいいだろう。能力の反動で動きがかなり鈍っている。本人達にも自覚があるため、布陣を速やかに変える。
完全にガス欠を起こしてしまった霞を剛が背負い、紋章も再分配した。
耐久力を上げる”鉄人の証”を霞へ、脚力を強化する”敏捷の証”は剛自身に。腕力強化と身体強化の紋章は美紗と大智に付けたままにした。
前線を恭介、美紗、大智でカバーし、そこに霞を背負った剛が続く形だ。
このゲームは何もアズミを倒す必要はない。ゴールに到達さえしたらいいわけで、タイマンでなら恭介にも勝機はある。何よりあれほど遠いと感じたゴール地点は目と鼻の先だ。アズミにどのような思惑があったにせよ、ここまで乗り越えてきたという自負が、彼らを強くしていた。
「ふふーん、いい顔だねぇ。いよいよクライマックスだし、私もとっておき出しちゃうよ!」
「なにっ……!?」
彼女の本領は”影人形の操作”。
数に物を言わせた圧倒的物量で再び攻めてくるのかと、表情を硬くする恭介達だったが、予想に反して出てきた影は1体のみ。指を鳴らしたアズミのすぐ横から、スリムなシルエットが立ち上ってきた。
「なんだ、あれ?」
「……天使?」
今までの影人形とは存在感から違う。
薄い装甲に身を包んだ影天使がゆっくりと地上から足を離し、宙に浮かぶ。影でできているとは思えない滑らかな長髪をなびかせ、背中の羽を目いっぱい広げる。手からは影が変形して出来上がった、不釣り合いな大剣を手にしている。
「まさか、こいつは……!?」
一人冷や汗を浮かべる恭介。
何か心当たりがあるのかと、問い詰めようとした美紗達を置いて、天使と恭介が素早く動いた。
「いいか、こいつとは絶対に戦うな!!」
「えっ……ちょ、恭介!?」
叫ぶように伝えたかと思うと、恭介はすでに天使へと切りかかっていた。対する影天使も示し合わせたように同じタイミングで動き、二人を隔てていた距離は一瞬のうちにゼロになる。
「おおおおおおおおおおおおお!!!」
影手1本分を刀身に乗せて強化した、恭介の渾身の一撃。アズミの首をも刈り取った必殺が先手を取り、影天使を斜めに両断する――
パキン――
嫌な音が響き、恭介が空中に無防備に浮く。
必殺の一撃は、影天使を両断するどころか傷一つ負わせることなく、散った。強化して膨張した刀身も消え、本体の刀も思い出したようにヒビが入り、やがてその使命を終わらせた。
「がはっ!!」
当然無防備な恭介に待っているのは、強烈な反撃だ。
大剣の腹でフルスィングされ、その威力をまともに受ける。とっさに翼を生やし防御に回したが、影天使の力はすさまじく、まるでピンポン玉のように弾き飛ばされ、元いた地点へと逆戻りしてしまう。
「恭介!!」
後ろにいた美紗が『空中浮遊』の能力で、受け止めようと素早く技能を発動する。それでもなお止まらず、最後には身体強化の恩恵を受けた大智が受け止め、なんとかぎりぎり止まったのだった。
「恭介、生きてる!?」
ぐったりした恭介を技能"損傷緩和"で癒す美紗。数秒後、せき込むように血反吐を吐いた恭介だったが、なんとか耐えてはいるようだった。
「悪い、助かった……剛さんも」
「……まだ動けるか?」
短いやり取りで状態を確認する恭介と剛。
頷く恭介に少し安堵の表情を見せた剛だったが、すぐに険しい顔へと戻る。影天使の攻撃の直前、剛はとっさの判断で、恭介に霞に付与していた”鉄人の証”を移していた。衝撃までは殺せなかったが、そのおかげもあり、恭介の負傷は吹っ飛ばされた見た目ほどはないように見えた。
しかし、彼らに与えた衝撃は計り知れない。
一度はアズミをも退けて見せた恭介が、一振りでやられてしまったのだ。天使の皮を被った悪魔の出現に、恭介達は改めて埋めがたい実力差を感じるしかなかった。




