91羽:癒しの輪
恭介達の話し合いの声が微かに聞こえる先。
少し離れたベンチに座っているのは藍音。彼女は一度小栗に連れられて戦場を離脱したのだが、再びここを訪れていた。
「おつかれちゃん。ジュース飲む?」
「あ、ありがとうございます」
ジュース片手にやってきたのは成子。
成子も一度は能力に呑まれかけ、撤退を余儀なくされていた。
本来であれば、彼女も今日は回復のためお休みしてもいいぐらいだった。だが事態が収束した後、鳴守など重症の怪我人がいるとの情報を聞いて、藍音が飛び出していってしまったため、慌てて追いかけてきたのだ。
そんな藍音の尽力もあり、鳴守の手当ても無事終わっている。
今現在は、今後に向けての話し合いが行われているところだ。もらったジュースを両手に持ったまま、身動きしない藍音。隣で様子を窺っていた成子は、その横に腰かけて話を振ってみる。
「ジュース、苦手なやつだった?」
「あ、いえ。これ、私もよく飲むやつで……好きなんですけど」
「うん」
「私……何にも知らなかったんだなって」
成子の問いにぽつりぽつりと話しだした藍音。
彼女は鳴守達の治療に携わってから、どこか様子がおかしかった。誰に対しても見せるにこやかな笑顔が、影を潜めていたのだ。
「私、裏で初めて『女神』って呼ばれてることを知りました」
「うん」
「聞いた時は、嬉しいっていうよりかは、なんかびっくりしちゃって」
しずくが垂れるジュースの缶を両手で持ちながら、指を絡ませる。その冷たさで己の熱を冷やすように、ゆっくりと言葉を紡ごうとする。
「私でも役に立てたことがあったんだなって。あれ、やっぱり嬉しかったのかな」
「そういう気持ち、大事だと思うよ」
「あはは……」
一時の感情に呑まれて暴走してしまった成子には、藍音は眩しく映る。
どこまでも純粋で、正しいことのために動くことを躊躇わない。少し笑顔も見れたが、やはりその表情にはいつもの明るさが足りない。
「皆必死でした。頼むから助けてくれって。涙なのか汗なのか、顔をぐしゃぐしゃにして」
「うん」
「曲がりなりにも回復能力を持っているのは、その場で私だけ」
藍音の顔が俯く。少し手に力が入ったのか、缶がいびつな音を立てた。
「怖かったんです……。初めて、人の生死に直面して」
「うん」
「人の役に立ちたい。傷ついている人がいたら治してあげたい」
「うん」
「その気持ちに、嘘はなかったはずなのに……」
「うん」
相槌を逐一入れる成子。
藍音は今葛藤を抱えている。誰かが聞いてそれが少しでも楽になるのであれば。
「私、初めて逃げたいと思ってしまった……!」
絞り出すように、言い放った言葉。
それは今、まさに藍音が抱えている、彼女を苦しめているものの正体。自分の行動と気持ちがばらばらになる感覚。素直でいつでも真っすぐな藍音にとって、そういうことは多くはなかったのでだろう。
成子にとっても、感情とは大きなテーマだ。
抱え込みすぎてもだめ。出しすぎてもだめ。もしかしたら、一生折り合いが付かない話なのかもしれない。
「そっか。じゃあ、もうやめちゃう?」
「……!」
敢えて突き放すような言い方をする成子。
そもそも鳴守も別に藍音のせいで傷ついたわけではない。懸命に治療を行った彼女に感謝こそすれ、何か責めるようなことはありえない。凄惨な状態に顔を背けたくなっても、それは当たり前だ。彼女は医者でもなんでもない、あくまで善意の第三者なのだから。
「私には、覚悟が足りなかったんだと思います……」
藍音が少し顔を上げる。
「家族にも重ねて言われてました。そういう能力があるからって、藍音が無理する必要はないんだよって」
人を癒す能力を持っておきながら、それを人のために使わない。
もしかしたら、それを非難する人もいるかもしれない。しかし、そうした道に進んだ人ならばともかく、それは望まずとも偶然授かった力だ。それを使うも使わないも、他人に強要されるものではない。家族はただ、お人好しな藍音が心配だっただけだろう。
「でも、どこかで分かってたんだと思います」
少し笑みを漏らして語る藍音。
彼女の頭には、今家族の顔が浮かんでいるのだろうか。藍音が街で能力を使っての回復行動を始めたのは、つい最近からだ。能力に目覚めてからのタイムラグは大分ある。今までは、そうしたい想いがあっても、家族に強く言われ、敢えて遠ざかっていたのかもしれない。
「本気でやるなら、嫌なことだって、目を背けたくなることだってある。もしかしたら助けられないことのほうが多いかもしれない。私には、そういう面を直視できないって」
誰だってそうだ。誰が進んで傷つきたいと思うのだ。
そういう回復能力持ちや、医者にしても、数々の無念や不安、葛藤を抱えながら、それでもその立場に恥じないように、懸命に目の前の命と向き合っているのだ。それは精神をすり減らす作業。いずれは慣れも生じるかもしれないが、それもまた恐ろしいことであった。
「でも!」
「おっ」
語気を強め、すくっと立ち上がる藍音。
何か勢いをつけるように、手の中で持て余していたジュースをぱっと開け、グビグビと飲み始めた。成子はひゅ~と感心したような表情をしている。おっとりした藍音が、強い意志を見せたことへの驚きもあっただろう。少し勢いをつけすぎたのか、最後のほうはむせていたが、それもご愛嬌というものだ。
「それでも、私にしか救えない人がいるなら! 私、やります!!」
おそらく、鳴守は藍音にしか救えなかった。
鳴守を蝕んだ【禁忌】は能力に絡み合うようにその根を伸ばし、密接に重なっていた。無茶なパワーアップの反動は、当然全て鳴守に跳ね返ってくる。瀕死の身になりながら、それでも【禁忌】の暴走は止まらない。やがて生気も全て奪われ、本当に死んでしまうかもしれなかった。
元々『災厄破片』の”特性”は、既存の能力では打ち消せない。
万事休すと思われたが、藍音の能力『癒しの輪』もまた、他の回復能力とは一線を画す力だった。回復能力持ちは貴重ではあるが、能研にも少なからずいる。しかし、回復能力だけでAランクの能力者、という意味では藍音を除けばいない。
それはつまり、どういうことか。
例えば”天使の涙”などの全回復技能を持つ、2区のTOP3【三天柱】の一角、市姫 紗衣華。彼女はその戦闘能力も突出している。要は純粋な回復能力だけで、Aランクを超えたものはいなかったのだ。
戦闘能力がないにも関わらず、Aランクの能力として認定された『癒しの輪』。
その能力の神髄は「他者への回復能力付与」と「人数による増幅効果」。
能力名にもある”輪”という部分が、藍音の能力の特徴と言える。基本は自身の能力内だけで完結するはずの技能が、他者の存在によってその効果を大きく押し上げるのである。もちろんそれがなければ使えないレベルという訳でもなく、単体での回復量も紗衣華に劣らないものだった。
また回復能力は普通はその場限り、かつ後付けされるものだ。
傷ついたから治す。傷つく前に治すことはできないし、多少の効果持続時間の差はあっても、延々と続くものは今まで確認されていなかった。
しかし、彼女はそれを他者の力を借りて行使する。
以前小栗にも付与した技能”円環の導き”。その効果は回復効果ともう一つ、「他者への回復能力付与」。傷ついているものはその場で癒し、さらには疑似的な回復技能を分け与える。
これは能研が欲しがるのも無理はない。
彼女が居さえすれば、チーム内に限らず、全員が緊急回復手段を持つことができ、一度は命を拾うことができるのだ。
もちろん回復付与能力の効果は一度切り。自身にも他者にも使えるが、それを使用すれば効果は消える。それでも藍音がその場にいれば、再びかけ直すことは可能だ。彼女がチームに加わるメリットは、戦闘能力という面は差し引いても、かなり大きなものとなるだろう。
そしてもう一つ、「人数による増幅効果」。
はぐれ者達の中には、藍音の回復を受け取ったものも多かった。意図せずして発揮されたその威力は、既存の能力を受け付けない筈の『災厄破片』にすら影響を及ぼし、鳴守の中に巣食った【禁忌】の活動を停止・封印させることに成功したのだった。
そこさえ凌げば、後は簡単。瞬く間に身体面は全回復し、鳴守も完全復活を果たした。
もちろんただ押さえつけただけで、【禁忌】は依然として鳴守の中に残っている。だが【黒天鳴音】のメンバーが彼を支える限り、その”特性”が再び活性化するということもないだろう。
彼女の勇気と、鳴守を慕うメンバーの想いが、彼を救ったのだ。
高らかに宣言し、ふんすふんすと気合も新たな藍音。そんな彼女にようやく成子が安心したとばかりに笑って話しかける。
「あ~、よかった。もう顔出さないって言ったら、寂しがる人も多かっただろうから」
「え?」
元々ある種見境なしに回復能力を使っていた藍音。
彼女の慈愛の心は、はぐれ者達の心も癒し、それが抗争の減少へと繋がっていたのだ。
彼女の行動は決して独りよがりではない。誰しも心の中では望んでいて、でもなかなか手に入らないもの。今のご時世、無償の愛を謳うものが多い中で、果たしてどれだけ本物の慈愛足り得ているのか。
少なくとも、そこに本物を見たからこそ、がさつなはぐれ者達も矛を収め、幸せを享受できたのだ。
「藍音さん、ちょっとお話があって……どうかしたのか、成子?」
「ふふっ。いやいや、タイミングばっちりだなって思って」
「わ、私からもお話があります!」
恭介が話し合いを終え、ちょうど戻ってきた。
にやける成子になにか気合が入っている藍音。
合流してからは元気がなかったように見えたが、成子とうまく緊張のほぐれる話でもできたのだろうか。そんなことをぼんやり思う恭介の前に進み出て、藍音は高らかに宣言するのだった。
「私を、能研に入れてください!」




