第七話 清水の舞台から見える景色
この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。
「次は清水寺に行きましょう!」
湯豆腐の店を出たところで、藤宮さんがそう告げた。
「清水寺ですか」
「はい! 京都に来たなら、一度は見ておきたい場所ですよ!」
清水寺。
清水の舞台から飛び降りる、ということわざなら知っている。
ただ、実物を見たことはない。
「ここから遠いんですか?」
「京都市の東山区にあります! 途中までは公共交通機関で移動できますよ!」
「途中まで、ですか」
「はい! 最後は坂道を歩きます!」
……坂道。
第六話の終わりに感じた嫌な予感は、どうやら当たったらしい。
「ちなみに、どのくらい歩くんですか?」
「大丈夫です! お店もたくさんありますから、見ているうちに着いちゃいますよ!」
「……距離の説明になっていませんけど」
「ふふっ、行けばわかります!」
どうにも信用できない。
俺は念のため地図で経路を確認してから、藤宮さんの後を追いかけた。
◇
「……本当に坂ですね」
清水寺の近くまで移動した俺たちを待っていたのは、観光客で賑わう上り坂だった。
道の両側には土産物店や飲食店が並び、観光客が思い思いに店を覗いている。
「悠真さん、あれ見てください!」
藤宮さんが指さした先には、色鮮やかな陶器が並んでいた。
湯呑み、茶碗、小皿、花瓶。
同じ焼き物とは思えないほど、模様も形も異なっている。
「清水焼ですよ!」
「清水焼?」
「京都の伝統的な焼き物です! このあたりは昔から焼き物と関係が深い地域なんですよ!」
「へえ……」
俺は店先に並ぶ器を眺めた。
青い模様の描かれた小さな湯呑み。
花をあしらった皿。
光沢のあるものもあれば、土の質感を残したものもある。
「……随分と種類があるんですね」
「そうなんですよ! いろいろな技法や作風があるんです!」
「清水焼と聞いて、一種類の焼き物だと思っていました」
名前は一つでも、作られる器はさまざまらしい。
先ほど食べた湯豆腐を思い出す。
あの店でも、料理ごとに異なる器が使われていた。
普段はあまり気にしないが、器によって料理の印象も変わるのかもしれない。
「悠真さん、気になるものがありました?」
「この湯呑みですね」
「おっ! 買います?」
「いえ、今日は見るだけにしておきます」
「そうですか?」
「家にある食器を確認してからでも遅くないでしょう」
「ふふっ、悠真さんらしいですね!」
藤宮さんが小さく笑った。
店を離れ、再び坂を上り始める。
土産物店の軒先には、扇子や和菓子、漬物なども並んでいた。
目的地へ向かう道そのものが、一つの観光地になっているらしい。
歩いていると、店先から香ばしい匂いが漂ってきた。
「あっ、美味しそう!」
「……さっき昼食を食べたばかりですよ?」
「見るだけです!」
そう言いながら、藤宮さんは店先を覗き込んでいる。
……本当に見るだけだろうか。
少し待っていると、彼女がこちらへ戻ってきた。
「悠真さん!」
「はい?」
「美味しそうなお団子がありました!」
「……買ったんですか?」
「買ってませんよ!」
「それは意外ですね」
「ひどい!」
不満そうな声を上げる彼女に、思わず笑ってしまった。
そのまま坂を進んでいくと、やがて前方に大きな門が見えてきた。
鮮やかな朱色の柱。
堂々とした屋根。
その向こうにも、寺院の建物が続いている。
「着きましたよ!」
藤宮さんが振り返った。
「ここが清水寺です!」
◇
「清水寺って、いつ頃できたんですか?」
境内を歩きながら尋ねると、藤宮さんは少し考えてから答えた。
「七七八年に開かれたと伝えられています!」
「七七八年……」
思い当たることがあった。
「それって、平安京より前じゃないですか?」
「そうなんです!」
京都への遷都は七九四年。
つまり、清水寺は京都が都になる前から存在していたことになる。
「てっきり、都になってから建てられた寺だと思っていました」
「そう思いますよね!」
京都といえば平安京。
そんな印象が強かっただけに、意外な事実だった。
俺は目の前の木造建築を眺める。
「……この建物も、当時のものなんですか?」
「いえ、今の本堂は江戸時代に再建されたものなんですよ!」
「建て直されているんですね」
「はい! 何度も火災に遭っているんです」
千年以上の歴史があるからといって、すべての建物が創建当時のまま残っているわけではないらしい。
それでも、長い年月を経て同じ場所で信仰が続いている。
「……建物が失われても、寺そのものは残るんですね」
「そうですね」
藤宮さんが静かに頷いた。
そのとき、前を歩いていた観光客の列が少し動いた。
「あっ、悠真さん! こっちです!」
彼女に続いて進む。
そして、目の前の景色が大きく開けた。
◇
「……おお」
広々とした木造の舞台。
その向こうに広がる山々と、遠くの京都の街並み。
建物が山の斜面から張り出すように造られている。
「清水の舞台ですよ!」
藤宮さんが隣で言った。
「これが……」
実際に立ってみると、想像していたよりも開放感があった。
舞台の向こうには緑の山々が広がり、その先に京都の街が見える。
青空の下、夏の日差しを受けた木々が鮮やかに輝いていた。
しばらく景色を眺めていると、ふと気になった。
「……これだけ張り出していて、大丈夫なんですか?」
「舞台の下には、大きな木の柱が組まれているんですよ!」
「柱ですか?」
「はい! あとで少し離れたところから見てみましょう!」
藤宮さんはそう言って、建物の構造について教えてくれた。
清水寺の本堂には、懸造りという建築方法が用いられているらしい。
「かけづくり……」
初めて聞く言葉だった。
調べてみると、急な斜面などに柱を立て、建物を支える建築方法だという。
「……こんな場所に木造の舞台を造るなんて、相当な技術が必要でしょうね」
「昔の大工さんって、本当にすごいですよね!」
俺は舞台の床へ視線を落とした。
多くの人々が行き交う木造の建物。
これほどのものを建て、修理しながら使い続けているというのだから、感心する。
「それにしても、よくこの場所に建てようと思いましたね」
「ふふっ、確かに!」
藤宮さんが笑った。
俺はもう一度、遠くに広がる街並みを眺めた。
先ほどまで歩いていた賑やかな参道が、随分と遠く感じられた。
◇
「そういえば、清水寺って世界遺産なんですよ!」
舞台を離れ、境内を進んでいるときのことだった。
「世界遺産ですか」
「はい! ただ、清水寺だけが登録されているわけじゃないんです!」
「どういうことです?」
「『古都京都の文化財』という世界遺産の一つなんですよ!」
聞き慣れない名前だった。
俺はスマートフォンで調べてみる。
「……十七か所?」
「そうです!」
画面には、いくつもの寺院や神社、城が表示されていた。
金閣寺。
銀閣寺。
平等院。
二条城。
「あれ、二条城もあるんですね」
「はい! 今回の旅行でも行く予定ですよ!」
「そうでしたね」
世界遺産と聞くと、一つの建物や場所を思い浮かべてしまう。
しかし、古都京都の文化財は、複数の場所をまとめて登録したものらしい。
「登録は一九九四年……」
さらに一覧を確認して、思わず手が止まった。
「……滋賀県?」
「気づきました?」
「京都の世界遺産なのに、滋賀県大津市も含まれているんですか?」
「そうなんですよ!」
画面には、京都市や宇治市とともに、大津市の名前が載っていた。
京都府だけで完結しているわけではないらしい。
「……世界遺産って、府県をまたぐこともあるんですね」
「そうですね!」
俺は地図を表示し、構成資産の位置を確認した。
京都市内に集まっているものもあれば、離れた場所にあるものもある。
「十七か所全部を回るのは、簡単じゃなさそうですね」
「そうなんですよ! でも、いつか全部見てみたいです!」
「……藤宮さんなら、本当に回りそうですね」
「もちろんです!」
迷いのない返事だった。
俺は画面に表示された二条城の位置を確認した。
今回の旅行では、まだ訪れていない場所だ。
清水寺とは、また違った歴史があるのだろう。
そのとき、藤宮さんが声をかけてきた。
「悠真さん、そろそろ移動しましょう!」
「はい」
スマートフォンをしまい、彼女の後を追った。
◇
境内を進んでいくと、先ほど立っていた舞台を少し離れた場所から眺めることができた。
「……ああ、これが」
目の前には、巨大な柱が複雑に組み合わされた木造建築が広がっていた。
先ほどまで立っていた舞台が、その上に載っている。
「こうして見ると、構造がよくわかりますね」
「でしょう!」
俺はスマートフォンを取り出し、写真を撮った。
すると、藤宮さんがこちらを見た。
「あっ、悠真さん!」
「はい?」
「せっかくですし、一緒に写真を撮りませんか?」
「……二人でですか?」
「はい! 記念写真です!」
そう言って、彼女がスマートフォンを掲げた。
「まあ、構いませんけど」
「やった!」
藤宮さんが隣へ並ぶ。
周囲の通行を妨げない場所へ移動し、背後に清水寺の舞台が入るよう角度を調整した。
「悠真さん、もう少しこっちへ!」
「はい」
「もっと寄ってください!」
「……これ以上ですか?」
「二人とも画面に入らないじゃないですか!」
言われるまま、少し近づく。
すぐ隣に藤宮さんの顔があった。
……近いな。
「じゃあ、撮りますよー!」
シャッター音が鳴った。
彼女が画面を確認する。
「……あはは!」
「何ですか?」
「悠真さん、顔が固いです!」
「写真を撮られ慣れていないので」
「もう一枚撮りましょう!」
「……まだ撮るんですか?」
「はい! 今度は笑ってくださいね!」
「急に言われても……」
「はい、笑顔!」
藤宮さんが満面の笑みを浮かべる。
その勢いにつられ、思わず笑ってしまった。
カシャッ。
「あっ! 今のいい感じです!」
画面には、清水寺を背景に並ぶ二人の姿が写っていた。
満面の笑みを浮かべる藤宮さん。
その隣で、少しだけ笑っている俺。
「あとで送っておきますね!」
「ありがとうございます」
彼女は嬉しそうにスマートフォンをしまった。
俺はもう一度、舞台へ目を向ける。
こうして写真に残しておけば、あとから見返すことができる。
何年か経って、今日のことを思い出す日も来るのだろうか。
そんなことを考えていると、藤宮さんが再び歩き始めた。
「最後に、音羽の滝へ行きましょう!」
◇
「音羽の滝ですか?」
「はい! 清水寺の名前にも関係している場所なんですよ!」
彼女に案内されて進むと、やがて水の流れる音が聞こえてきた。
岩肌から流れ落ちる水。
三筋に分かれた流れの下には、参拝客が列を作っている。
「ここが音羽の滝です!」
「へえ……」
大きな滝ではない。
だが、寺の境内にこうして水が流れている光景は、どこか厳かな雰囲気があった。
「清水寺の始まりには、この滝にまつわる伝承があるんですよ!」
近くの案内を確認する。
清らかな水が流れるこの場所が、清水寺の歴史と深く結びついているらしい。
「……清水という名前にも、理由があるんですね」
「そうなんです!」
列に並び、順番を待つ。
周囲には、静かに水を受ける人々の姿があった。
俺たちも案内に従い、順番に水を受けた。
健康で、平穏に暮らせますように。
そう願い、静かに手を合わせる。
……貯金が増えますように、と願おうかとも思ったが。
それは自分で頑張るべきだろう。
隣を見ると、藤宮さんも手を合わせていた。
いつも明るく話している彼女にしては、珍しく静かな表情だった。
何を願っているのだろう。
少し気になったが、尋ねるのはやめておいた。
願い事は、本人だけが知っていればいい。
◇
清水寺を出る頃には、日差しも少し傾き始めていた。
「今日は結構歩きましたね」
俺がそう言うと、藤宮さんがスマートフォンを確認した。
「おお! 歩数がすごいことになってます!」
「でしょうね」
「悠真さん、足は大丈夫ですか?」
「少し疲れましたが、問題ありません」
「よかったです!」
俺は近くの店で冷たい飲み物を買い、藤宮さんにも一本渡した。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます!」
二人で日陰に入り、少し休憩する。
参道には、まだ多くの観光客が行き交っていた。
土産物店から聞こえる声。
遠くに見える京都の街並み。
そして、手元の冷たい飲み物。
「悠真さん」
「はい?」
「清水寺、どうでした?」
「よかったですよ。特に舞台は、下から見た方が印象に残りました」
「そうなんですか?」
「ええ。あの構造は、見ていて飽きませんね」
「ふふっ、悠真さんらしい感想ですね!」
藤宮さんが笑った。
「私は、舞台から見える景色が好きなんですよ!」
「ああ、あれも綺麗でしたね」
「それに、写真も撮れましたし!」
彼女は先ほど撮った写真を表示してみせた。
清水寺を背景に並ぶ二人。
改めて見ると、なかなかいい写真だった。
「……写真、送ってもらってもいいですか?」
「もちろんです!」
すぐに通知が届いた。
画像を保存しようとして、ふと手を止める。
普段、俺のスマートフォンには仕事の連絡や買い物の記録ばかりが残っている。
誰かと一緒に撮った写真など、いつ以来だろう。
「……悠真さん?」
「いえ、何でもありません」
俺は写真を保存し、スマートフォンをポケットにしまった。
「さて、そろそろ移動しましょうか」
「はい! 今日はもう十分歩きましたし、少しゆっくりしましょう!」
「助かります」
藤宮さんが立ち上がり、俺もその後に続いた。
坂道を下りながら、ふと振り返る。
先ほどまで歩いていた清水寺への参道。
朱色の門は、もう建物の向こうに隠れていた。
だが、あの舞台の景色も、複雑に組まれた木の柱も、しっかり覚えている。
そして、スマートフォンには一枚の写真が残っていた。
……帰ったら、今日撮った写真を整理してみるか。
そんなことを考えながら、俺は藤宮さんとともに坂道を下っていった。
お読み頂き、ありがとうございます。
参照:- [音羽山 清水寺「巡る」](https://www.kiyomizudera.or.jp/map.php?utm_source=chatgpt.com) — 仁王門、本堂、舞台、音羽の滝、境内の位置関係。
- [音羽山 清水寺「交通」](https://www.kiyomizudera.or.jp/access/index.html?utm_source=chatgpt.com) — 清水坂などの参道、2026年時点の拝観時間。
- [京都府「世界遺産 清水寺」](https://www.pref.kyoto.jp/isan/kiyomizu.html?utm_source=chatgpt.com) — 778年の開山、江戸時代の再建、懸造り。
- [京都市「古都京都の文化財」](https://www.city.kyoto.lg.jp/bunshi/page/0000005538.html?utm_source=chatgpt.com) — 1994年登録、17の構成資産、京都市・宇治市・大津市。
- [京都伝統工芸協議会「京焼・清水焼」](https://www.kougei-kyoto.jp/kougei/%E4%BA%AC%E7%84%BC%E3%83%BB%E6%B8%85%E6%B0%B4%E7%84%BC?utm_source=chatgpt.com) — 清水焼の産地と特徴。
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