第六話 京の食文化と湯豆腐
この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。
「このあたりのはずなんですけど……」
藤宮さんがスマートフォンの画面を確認する。
祇園祭の山鉾巡行を見終えた俺たちは、昼食を取るため、先ほど調べた店へ向かっていた。
「あっ、ありました!」
彼女が指さした先には、落ち着いた雰囲気の店があった。
入口には料理の案内が掲げられている。
湯豆腐。
湯葉。
季節の小鉢。
どうやら、目的の店で間違いないらしい。
「いい雰囲気ですね!」
「そうですね。値段も、確認したとおりです」
「ふふっ、そこは大事ですよね!」
「もちろんです」
店内へ入ると、ひんやりとした空気が身体を包んだ。
外の暑さから解放され、ようやく一息つける。
店員に二人であることを伝えると、少し待つよう案内された。
店内には観光客らしい人たちの姿が多く、ほとんどの席が埋まっている。
「少し待ちそうですね」
「まあ、座って休めますし、問題ありませんよ」
「それもそうですね!」
しばらくして、席へ案内された。
木目を生かした内装。
柔らかな照明。
窓の向こうには、小さな庭が広がっている。
「素敵なお店ですねえ」
藤宮さんが嬉しそうに庭を眺める。
俺もメニューを開きながら、店内を見渡した。
普段利用する飲食店とは、随分と雰囲気が違う。
こういう場所で食事をするのも、旅行ならではなのだろう。
◇
「私は湯豆腐の御膳にします!」
メニューを開くなり、藤宮さんが言った。
「もう決めたんですか?」
「湯豆腐を食べに来たんですから!」
「確かに」
俺も同じ御膳を確認する。
湯豆腐に加えて、ご飯や漬物、季節の小鉢などが付いてくるらしい。
どうやら、豆腐だけを食べるわけではないようだ。
「俺もこれにします」
「お揃いですね!」
「同じ料理を注文しただけですよ?」
「それをお揃いって言うんです!」
……そういうものなのだろうか。
注文を済ませると、藤宮さんが窓の外を眺めながら口を開いた。
「京都の豆腐って、水とも関係が深いんですよ」
「水ですか?」
「はい! 豆腐作りには、たくさんの水を使いますからね!」
確かに、豆腐と水は切り離せない。
ただ、普段スーパーで買っていると、その製造過程まで意識することはなかった。
「京都は地下水が豊富な場所もあるんですよ!」
「そうなんですね」
京都といえば、寺院や歴史的な街並みの印象が強い。
だが、料理を作るには、当然ながら材料や水が必要になる。
「それに、お寺との関係もあるんですよ!」
「お寺と豆腐ですか?」
「精進料理ですね!」
「ああ、それなら聞いたことがあります」
肉や魚などを使わず、野菜や豆類を中心に作る料理。
豆腐も大豆からできているため、精進料理に用いられてきたという。
「確かに、豆腐ならいろいろな料理に使えそうですね」
「そうなんですよ! 湯豆腐のほかにも、豆腐を使った料理がたくさんありますから!」
そう考えると、単に豆腐が美味しいというだけではないらしい。
土地の水と、寺院に根づいた食文化。
それらが京都の豆腐料理と関係しているのだろう。
「……名物にも、ちゃんと理由があるんですね」
「そうですね! 食べ物の歴史を調べるのも面白いですよ!」
藤宮さんが楽しそうに頷いた。
そのとき、店員が料理を運んできた。
◇
「おお……!」
目の前に置かれたのは、湯気の立つ小さな鍋だった。
中には、綺麗に切りそろえられた白い豆腐が並んでいる。
さらに、ご飯や漬物、色とりどりの小鉢が添えられていた。
派手な料理ではない。
だが、盛り付けが丁寧で、見た目にも美しい。
「美味しそうですね!」
「ええ」
藤宮さんが嬉しそうに手を合わせた。
「いただきます!」
「いただきます」
俺も箸を手に取り、鍋から豆腐をすくい上げる。
湯気が立ち上る。
用意されたたれにつけ、口へ運んだ。
「…………」
柔らかい。
舌の上で、ほろりと崩れる。
ほんのりとした大豆の風味に、たれの味が重なった。
熱すぎず、口当たりもなめらかだ。
「どうですか!?」
藤宮さんが期待に満ちた目でこちらを見ている。
「……美味しいですね」
「でしょう!」
「もっと濃い味なのかと思っていました」
「素材の味を楽しむ料理ですからね!」
確かに、強い味付けではない。
むしろ、豆腐そのものの風味がよくわかる。
もう一口食べてみる。
今度は、たれを少なめにした。
「……ああ、こっちもいいですね」
「おっ、何かわかりました?」
「たれの量で、随分と印象が変わりますね」
「そうなんですよ!」
藤宮さんが嬉しそうに頷く。
なるほど。
温かい豆腐を、こうしてゆっくり味わう。
普段なら何気なく食べ終えてしまう料理でも、食べ方を変えるだけで随分と違った印象になるものだ。
「……藤宮さんは、こういう料理をよく食べるんですか?」
「旅行先では食べますよ! せっかくなら、その土地のものを食べたいですから!」
「では、京都に来るたびに湯豆腐を?」
「いえ、ほかにも美味しいものがたくさんありますから!」
彼女は少し考え込んだ。
「京漬物もありますし、おばんざいもいいですし、和菓子も食べたいですねえ」
「……そんなに食べられます?」
「あはは! 三日間ありますから!」
「胃袋にも限界がありますよ」
「そこは計画的に!」
「……藤宮さんが、それを言いますか?」
「あっ、ひどい!」
思わず笑ってしまった。
旅行の予定については少々大雑把な彼女だが、食べたいものに関しては、かなり真剣らしい。
◇
「そういえば、こちらも食べてみてください!」
藤宮さんが小鉢を指さした。
「これは?」
「湯葉ですよ!」
「湯葉……」
聞いたことはある。
だが、実際に食べるのは初めてだった。
「豆乳を温めたときに、表面にできる膜をすくい取ったものなんです!」
「へえ」
箸でつまみ上げると、豆腐とは明らかに違う。
薄く重なったような形で、独特の柔らかさがある。
口へ運ぶ。
「……ああ、面白いですね」
「でしょう!」
豆腐とは異なる歯触り。
噛むと、ほのかな大豆の風味が広がる。
「これも大豆から作られているんですよね?」
「そうですよ!」
「同じ材料でも、随分と変わるものですね」
豆腐も湯葉も、もとは大豆だ。
それなのに、形も食感も違う。
調理方法によって、これほど違いが生まれるとは思わなかった。
「じゃあ、豆乳も飲んだことあります?」
「ありますよ。スーパーで買ったことがあります」
「どうでした?」
「……あまり好みではありませんでしたね」
「あはは! そうなんですか!」
「でも、豆腐は好きですし、湯葉も美味しいですね」
「同じ大豆でも、好みが分かれるんですねえ!」
藤宮さんは面白そうに頷いた。
俺はもう一度、湯葉を口に運ぶ。
確かに、これならまた食べてみたい。
もっとも、普段の食卓に並べるとなれば、どこで買うかを調べる必要がありそうだ。
「……地元のスーパーにもあるんですかね?」
「湯葉ですか?」
「ええ。今まで気にしたことがなかったので」
「探してみたら、意外と売っているかもしれませんね!」
そう言われると、少し気になってきた。
これまで食べたことのないものでも、実は身近なところで売られているのかもしれない。
知らなければ、売り場に並んでいても目に留まらない。
「……今度、探してみます」
「ふふっ、気に入ったんですね!」
「ええ。これは好きですね」
藤宮さんが満足そうに微笑んだ。
◇
食事を進めながら、ほかの小鉢にも箸を伸ばす。
野菜の煮物。
漬物。
季節の食材を使った料理。
それぞれ少しずつだが、味付けや食感が異なるため、飽きることがなかった。
「そういえば、京都って漬物も有名なんですよね?」
「はい! 京漬物ですね!」
「どんなものがあるんですか?」
「千枚漬とか、すぐき漬とか、しば漬とか!」
「……千枚漬なら聞いたことがあります」
「おお!」
「薄く切ったかぶの漬物ですよね?」
「そうです! よくご存じですね!」
「スーパーで見かけたことがあるので」
もっとも、普段は値段を見て通り過ぎることが多い。
漬物なら、自分で作ることもあるからだ。
「悠真さん、漬物も作るんですか?」
「簡単なものなら」
「へえ! お料理するんですね!」
「一人暮らしですから」
「得意料理は何ですか?」
「……野菜炒めですかね」
「野菜炒め!」
「冷蔵庫の残り物を使えますし、簡単なので」
「ふふっ、悠真さんらしいですね!」
「……どういう意味ですか?」
「無駄がなさそうだなって!」
確かに、否定はできない。
余った食材を捨てるのはもったいない。
それに、野菜炒めなら大抵の食材をまとめて使える。
「藤宮さんは料理をするんですか?」
「しますよ! でも、家で作るより外で食べる方が好きかもしれません!」
「そうなんですね」
「旅行先で食べた料理を、帰ってから作ってみることもありますよ!」
「へえ。それは面白そうですね」
「ただ、うまく再現できないことも多いですけど!」
藤宮さんが苦笑した。
「同じ材料を使っても、何だか違うんですよねえ」
「調味料や調理方法の違いですかね?」
「たぶん、そうなんでしょうね!」
俺は目の前の湯豆腐を眺めた。
豆腐そのものは、普段から食べている。
だが、今日のような食事を自宅で再現しようと思ったら、豆腐を温めるだけでは足りないのかもしれない。
小鉢の料理。
盛り付け。
食器。
そして、食事をする場所。
料理そのものだけでなく、そうしたものも含めて、一つの食事になっている。
「……食べ物って、奥が深いですね」
「そうでしょう!」
藤宮さんが笑った。
「悠真さんも、何か作ってみたくなりました?」
「とりあえず、湯葉を探すところからですね」
「あはは! そこからですか!」
「材料がなければ作れませんから」
「確かに!」
そんな話をしながら、俺たちは残りの料理を味わった。
◇
「ごちそうさまでした!」
「ごちそうさまでした」
食事を終え、俺たちは店を出た。
外へ出ると、真夏の熱気が身体を包む。
店内で涼んでいたこともあり、余計に暑く感じた。
「……これは、また汗をかきそうですね」
「まだまだ夏はこれからですよ!」
「今の時点で十分なんですが」
藤宮さんが笑った。
俺はスマートフォンを取り出し、時刻を確認する。
昼食に思ったより時間を使ったが、まだ観光を続ける余裕はありそうだ。
「さて、次はどこへ行く予定なんですか?」
「ふふふ、気になります?」
「移動時間がわからないと、困りますから」
「そういうことにしておきますね!」
「……何ですか、それ」
藤宮さんは答えず、地図を開いた。
そして、俺に画面を見せる。
「次は、こっちの方へ行きたいんですよ!」
「……東の方ですか?」
「はい!」
画面には、京都市内の地図が表示されている。
先ほどまでいた御池通から、東へ向かう経路だった。
「結構歩きそうですね」
「途中までは公共交通機関を使いますよ!」
「それなら助かります」
「でも、最後は少し歩いてもらいます!」
「……少し、ですか?」
「少しです!」
妙に元気な返事だった。
俺は念のため、目的地までの経路を確認する。
どうやら、坂道もあるらしい。
「……藤宮さん」
「はい?」
「この『少し』は、信用していいんでしょうか?」
「もちろんです!」
満面の笑みで答える彼女。
……どうにも怪しい。
「まあ、無理のない範囲でお願いします」
「わかってますって!」
藤宮さんが歩き始める。
俺も、その後を追いかけた。
先ほど食べた湯豆腐の味を思い出しながら、ふと考える。
普段なら、豆腐の産地や作り方など、気にしたこともなかった。
だが、今度スーパーへ行ったときには、きっと少し違う目で豆腐売り場を眺めるだろう。
そう思うと、何だか可笑しかった。
「悠真さん! こっちですよ!」
「ああ、はい」
顔を上げると、藤宮さんが少し先で手を振っていた。
俺は足早に、その後を追いかけた。
お読み頂き、ありがとうございます。
参照:- 農林水産省「京豆腐」:京豆腐の特徴、水や寺院文化との関係。\
[https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/traditional-foods/menu/kyo_dohu.html](https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/traditional-foods/menu/kyo_dohu.html?utm_source=chatgpt.com)
- JR東海「京都で食べたいお豆腐」:南禅寺周辺の湯豆腐文化。\
[https://souda-kyoto.jp/guide/theme/kyoto-tofu/index.html](https://souda-kyoto.jp/guide/theme/kyoto-tofu/index.html?utm_source=chatgpt.com)
- 公益財団法人日本交通公社「京都の湯豆腐」:京都の湯豆腐と精進料理。\
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