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植物男子の恋の育て方  作者: いなば海羽丸
7 じゃがいも泥棒とこぼれる想い
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36/39

7-3

 伊吹さんの言った通り、彼の住むマンションまでは、自転車で五分ほど走った場所にあった。沼沿いの交差点から、駅間方面へ伸びる坂の上に建つ、五階建ての建物。外見からは、ほどよく経年した雰囲気が見て取れる。部屋は一階だが、高台に建っているため、風がよく通るようだった。しかも、一階の部屋にのみ、専用庭がついているらしい。2DKの間取りで南向きの角部屋。その割に、家賃は比較的安かったそうだ。


 玄関扉の前でふと、気付く。扉のそばの壁。高い所に、拳大ほどの泥の塊のようなものがくっついている。


「これ……ツバメの巣?」

「あぁ、そうそう。ツバメがね、毎年ここに巣をつくるんですって。素敵でしょう」

「へえ……こんなところにも巣、作るんだ。ツバメって」

「人の気配があるから、きっと安心なんですね。夏にみんな、元気に飛び立っていきましたよ。可愛かったなぁ……あっという間に大きくなっちゃうんですよねぇ」


 まるで親戚の子どもの成長を話すかのように、伊吹さんは満面の笑みでそう話した。落ち着いた口調に穏やかな声、優しい笑み。その横顔を見つめ、改めて思う。やっぱり俺は、この人が好きだ――と。





***






「お邪魔します」

「どうぞ」


 玄関を入ると、すぐに下駄箱の上に植物を見つけた。小さな鉢に植えられたミニ観葉。ドラセナ・コンシンネと、コーヒーの木だ。洒落た陶器鉢には見覚えがある。おそらくうちの園芸店で購入したものだろう。もちろん、従業員割、二十パーセント引きで。


 廊下を真っすぐ行くと、その先にモザイクガラスの扉があって、リビングルームが広がっている。八畳ほどあるだろうか。ここにも、至るところにやはり、観葉植物が置いてある。


 真っ赤な仏炎苞(ぶつえんほう)を上げるアンスリウムや剣山のように立派なサンスベリア、エバーフレッシュに奇抜な葉色のカラテア。人気種、フィカス・ウンベラータ。カーテンレールからは、まだ小さい株のコウモリランが吊るされている。


 観葉植物が溢れるリビングは想像以上に洒落ていて、俺は思わず、仕事の後に起きたミラクルを忘却し、声を上げた。


「すっげえ……! 観葉いっぱいやってるんすね」

「桜介さんには負けますけどね。まだ、どの子も小さいし」

「いや、でも可愛いですよ。それに、ジャングルに住んでる桜介さんと比べるのはさすがに無謀です」

「ははは……っ、それもそうだ!」


 桜介さんの部屋は人間の部屋ではなく、どちらかというと、植物のための部屋で、そこに桜介さんが間借りして住んでいるような感じだ、と馬場さんはよく話していた。それと比べたら、世の中のすべての植物愛好家たちは霞んでしまう。


 伊吹さんは荷物を別の部屋に置きに行ってから、すぐに戻ってきて、専用庭へ続く窓を開けている。網戸になった窓からは、乾いた秋の風が吹いて、少し火照った肌を撫でながら、優しく冷やしていった。


「お腹空いてますよね? とりあえずコーヒーかお茶か……入れましょうか。どっちがいい?」

「あっ、えっと……コーヒーで」

「了解。あっ、どうぞ椅子か、どっか……座っててください」

「ありがとうございます」


 言われるまま、俺はソファに座る。二人掛けだろうか。こげ茶色のソファはふわふわで、ほどよい弾力があった。


 コーヒーが入るまでの間、俺と伊吹さんはほとんど言葉を交わさなかった。俺はコーヒーの準備をしてくれている物音をBGMに、部屋のあちこちに置かれている植物を見ながら、ここにいる彼らは幸せだろうな――と、伊吹さんの部屋の日常に思いを馳せる。


 伊吹さんのことだから、ちゃんと数年に一度は植え替えをして、土を替えて、肥料をやっているだろう。時には葉水をして、葉のほこりを拭いて、もしかしたら、毎日話しかけたりもしているかもしれない。そんな姿が、自然と目に浮かぶ。


 きっとよく育つだろうなぁ。


 いつか伊吹さんの部屋も、ジャングル化するのだろうか。数分間、静かな部屋の中で、俺はぼんやりとそんなことを考えていたのだが、そのうちにだんだんとのぼせ上りそうになっていった。


 期待感と緊張で脈が速くなっていき、秋の風を受けても間に合わないほどに体が火照って、ふわふわした気分になる。思い出したように緊張感が復活して、胸の鼓動がうるさくなっていく。


 たぶん、俺と伊吹さんの関係は今、これまでになくあやふやだった。この高揚感はおそらくそのせいだ。


 今、俺たちは恋人でも、同僚でも、友人でもない。互いに想い合っていたことが判明して、両想いだとわかってはいる。けれど、恋人ではなく、まだ深い関係にはなっていない。


 でも、これから、もしかすると今夜にでも、恋人と呼ぶにふさわしい関係になっていくのかもしれない。そんなことが現実に起こる可能性がある。そのあやふやな関係を思うと、多幸感に満ちて、気分が高揚していくのだ。


「はい、コーヒー。あったかいのにしちゃったけど、大丈夫でした?」

「大丈夫です、あざっす……」

「ミルクは?」

「いや、ブラックで平気っす」


 そう答えると、伊吹さんはふっと微笑み「大人ですね」と、言って俺の隣に腰を下ろした。ソファがわずかに弾んで、距離が一気に近づき、ドキッとさせられる。


 そのあとも、俺と伊吹さんは、互いにしばらく沈黙した。どちらが話し出すかを探り合っていたような感覚だったが、ほどなくして。伊吹さんが沈黙を破る。


「それで、その……さっきの話の続きなんですけどね」

「はい」

「紫苑さんが、年上のおじさんをからかって遊ぶタイプにはとても見えないから、僕はさっきの言葉を完全に信じてるんですけど、それで……合ってる?」

「合ってます。あと、伊吹さんは全然おっさんじゃないです。見た目も若いし、綺麗だし――」

「でも、桜介さんよりも年上なんですよ」

「あ……」


 俺ははじめて、普段、職場で散々、桜介さんに「おっさん」と呼んできたのを猛省した。そういえば、そうだった。桜介さんは俺の十歳上。伊吹さんは俺のひと回り――つまり、十二歳年上だった。


 桜介さんに言い放つ「おっさん」は、慣れた関係がベースにある冗談のようなものだったが、そのせいで、間接的に伊吹さんまで傷つけていたかもしれないと思うと、俺はこれまでの自分の言動のすべてを訂正したくてたまらなくなった。


「すいませんでした……俺、そういうつもりはなくて」

「ううん、べつに謝るようなことじゃないし、僕もそういうつもりじゃなくってね。大丈夫なのかなって思ってるだけです」

「なにがっすか?」


 伊吹さんがなにを心配しているのか、俺にはイマイチよくわからなかった。すると、伊吹さんは柔らかく微笑んで、コーヒーが入ったマグカップを静かにローテーブルへ置く。それから背筋を伸ばし、俺を見つめ、向き直った。

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