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「うわぁ、ちょっと、今のすごい綺麗だった! 見ました? 紫苑さん――」
「あ、いや……」
花火なんかには目もくれず、ひたすら伊吹さんを見つめてしまっていた俺は、咄嗟に視線を外した。そうして、どうにか誤魔化そうと手に持っていたノンアルコールカクテルを煽る。
「あははッ、いい飲みっぷり!」
「……どうも。ちょっと、缶捨ててきます」
俺は立ち上がり、家の中へ入る。座卓では、蚊に刺されるのを嫌がった馬場さんや女性スタッフが座卓で座談会をしながら、窓越しに花火を眺めていた。だが――。
「あれぇ、紫苑くん。お酒飲んだの?」
「え? いや、ずっとノンアルですけど」
「そう。でも、なんか顔赤くない?」
「ほんとだ。やだぁ、外、暑かったんじゃないの? 大丈夫?」
言われて、頬に手を当ててみて、その熱さに目を瞠る。頬は熱でもあるみたいに火照っていた。
「ちょっと涼んでいきなよー」
「紫苑くん、あたしの隣おいで。エアコンの風くるよ、めっちゃ涼しいから!」
「まったく……あんたらの家みたいになってるじゃない」
馬場さんたちは、きゃはは、と笑ったあと、熱中症を心配してくれたが、俺はひとり、居間をあとにした。そうして、急ぎ足で洗面所へ行って、バシャバシャと顔を洗う。
洗面所の鏡に、濡れた顔を映して凝視する。改めて見ると、まだ少し、頬が赤く見えた。だが、気付く。この頬の熱は暑さのせいじゃない。その証拠に、心臓がドキドキと高鳴っている。頭の中にあるのは、伊吹さんの色っぽい笑顔。ビールで濡れた唇。俺は頭を抱えた。
いや、なに考えてんだよ。俺じゃ無理だって……。
思わずため息を吐く。俺は自分の阿呆さに呆れていた。いったいいつから、伊吹さんをそんなふうに思っていたんだろう。好きな人がいると知っているのに、どうして、こんな感情を持ってしまったんだろう。
「なに好きになってんだよー……」
あり得ない。絶対にあり得ない。相手は男の人で、しかも好きな人がいると知っているのに。俺は彼の職場仲間で、彼の恋をたぶん、唯一知っているほど、心を許してもらっていて、彼の恋の成就を誰よりも願わなければならないのに。なのに――。
うまくいかなきゃいいなんて……思ってる。伊吹さんが失恋したら、俺にもチャンスがあるんじゃないかって……。
「俺、最低じゃねーか……」
俺は鏡に映った自分にそう言い捨てて、もう一度ため息を吐く。気付いてしまったからには、無視できない感情が、胸の内側に確かにある。ドクン、ドクン――とうるさく高鳴り、体じゅうに熱を運んでいる。
その後、しばらくして庭へ戻ったが、俺はもう伊吹さんの隣には座れなかった。ふわふわした高揚感と恥ずかしさで、テンションが上がって、再び彼のそばにいたら、うっかり変なことを口走りそうで怖かったのだ。
代わりに俺は、庭の真ん中ではしゃぐ桜介さんに絡み、やけのように彼と一緒になってはしゃいだ。はしゃぎながら、今夜が夢だったらいいと、本気で思った。
***
花火大会が終わったのは、午後八時過ぎだった。それからは宴会がはじまり、座卓の上には、桜介さんたちが買ってきてくれた総菜やつまみ、お菓子が大量に並んだ。
それを食べながら、俺はなるべく伊吹さんを見ないように意識する。だが、ふとした瞬間に視線がぶつかると、やはりたまらなくドキドキした。もう今にも、心臓が爆発しそうになるほどに。
夜十時が近づく頃になると、チトくんをはじめ、大学生のアルバイトの子たちと、馬場さんたち女性スタッフが揃って帰宅した。桜介さんは片づけを手伝ってくれようとしたが、明日が早番だということで、早めに帰ることになり、最終的にあと片づけを手伝ってくれたのは、伊吹さんだった。
「なんか……俺たち、いつもこんなことしてますね」
今、父は風呂に行ってしまって、ここには俺と伊吹さんのふたりしかいない。静かな台所でふたりで並んで皿を洗ったり片付けたりすることにはすでに慣れているのに、今夜はなんだか心が弾んでいる。
ふたりで同棲したら、こんな感じだろうか――と、勝手に妄想が広がってしまうのだ。見込みのない恋だとわかっているのに、俺は自分でも驚くほどに能天気だった。
「今週になって二回目ですよ。一緒に台所に立ってるの」
「そうですね。でも僕、紫苑さんと一緒にいると、なんだかホッとするんだよなぁ。お皿洗いも、おしゃべりしながらだとなんだか楽しいし」
「……そッ、そう……なら、よかったっす」
伊吹さんの言葉に、胸の奥がじわあっと熱くなる。俺も――と、素直に返したいのに、言葉が出ない。ここで、そんな言葉を返してしまったら、さっき気付いたばかりの感情を見透かされてしまうかもしれない。
気付かれてしまえば最後、たぶんこの関係は崩れてしまう。伊吹さんは優しいから、俺が恋愛感情を持ち始めたことに対して、責任を感じるかもしれない。「僕のせいですね」と、勝手に自責の念に駆られて、もう一緒に庭仕事をさせてもらえないかもしれない。職場でも俺と距離を取ろうとするかもしれない。それは、なんとしても避けたいところだ。
気付かれなきゃいいんだ。黙っておけば、絶対わからない。
グラスを洗いながら、俺はひたすら、自分にそう言い聞かせていた。だが、伊吹さんと目が合うと、途端にドキドキして、思考が回らなくなって、言葉足らずになる。このままでは、気付かれてしまうのも時間の問題だ。早く帰ってもらったほうがいい。しかし、そう思う一方で、わがままなもうひとりが、頭の中で騒ぎ出す。
まだ。まだ、この人に帰ってほしくない。もっと伊吹さんと一緒にいたい。この人ともう少しだけ、ふたりきりでいたいんだ。気付かれてしまってもいいじゃないか――と。
「伊吹さん」
「うん?」
「もしよかったら……ですけど、今日泊まっていきます?」
「……へぇ?」
素っ頓狂な声で訊き返されて、俺は自分をぶん殴ってやりたくなった。しくじったと思った。伊吹さんと、もっとふたりきりでいたい。今夜はまだ、帰ってほしくない。そんな願望を抱き、つい唐突に「泊まっていけば」なんて言い出した自分が途方もなく恥ずかしかった。




