6-3
「……紫苑さん、なにか手伝います?」
「あぁ……いや」
俺の視線に気付いた伊吹さんが立ち上がり、声をかけてくれた。俺はドキッとして、慌てて顔を背ける。「大丈夫です、座ってて」と返し、麦茶と一緒に、台ふきんや割り箸を用意して、座卓へ持っていく。
久しぶりに家に人が大勢集まっているせいで緊張しているのか、なんだか胸がドキドキして落ち着かない。
「とりあえず、麦茶です。どうぞ」
「あっ!」
グラスに注いだ麦茶を見るなり、伊吹さんが声を上げた。
「これ、濃い麦茶だ!」
「あっ、はい……あれ以来、やかんで煮出してて」
「濃いの、おいしいですもんね。いただきます」
そうこうしていると、不意にガラッと玄関の扉が開く音が聞こえた。同時に「ただいまぁ」とくぐもった声が聞こえてきて、その場にいる全員のは話し声がピタッと止む。父が帰ってきたようだ。俺は玄関まで行って、父を出迎えた。
「おかえり。みんな来てるよ」
「おう。あとは買い出し組だけか」
「うん」
父が来たところで、一度窓を閉め、冷房をつける。父が居間に顔を出すと、そこで座卓を囲む全員が「お疲れさまです!」と揃ってあいさつをした。――だが、ちょうどその時だ。ドウン! と腹の底に響く爆音が聞こえた。花火が始まったのだ。
「始まった!」
伊吹さんがはしゃいだ声を出して、窓から夜空を見上げた。庭へ続く窓からは、家の屋根に降り注ぐような、大きな枝垂れ花火が見える。続いて、ドン、ドウン! と、爆音は続き、伊吹さんの隣にチトくんたちも揃って並んだ。
「おおー!」
「でっかいですね!」
「そうだね、こんなに近くで見られるなんてすごいな」
その様子がなんだかあまりに可愛らしくて、俺は笑みをこぼした。
「みんな、庭で観たきゃあ、好きに出な」
父がどこからか蚊取り線香を持ってきてくれて、縁側へ置いてくれる。伊吹さんたちは玄関から靴を持ってきて庭へ出ていった。俺も庭先に置いてある、古いサンダルをつっかけて、庭へ出る。
頭上には、色とりどりの花火が爆音とともに咲き、夜空を照らしていた。火花が舞い落ち、風に流されると、またすぐに、ヒュルルル……と高い音がして、続いて花火が上がる。
綺麗だな……。
夏の花火をこうして見上げたのは、いつぶりだろう。もうずいぶん、見ていなかった気がする。子どもの頃は、毎年楽しみにしていたはずで、庭先へ出て、めいっぱいはしゃいでいたのに。いつの間にか「どうせ来年も見られる」と斜に構えるようになって、花火がこんなにそばで上がっても、気にしなくなっていた。
俺はなにか大事なものが、見えなくなってたのかな――……。
ほどなくすると、バイクのエンジン音と、車がバックする音が聞こえてきたあと、「ピンポーン」と、インターホンが鳴った。買い出しをしていた桜介さんと馬場さんがやって来たのだ。
***
「それじゃ、おつかれーっす!」
「カンパーイ!」
花火が盛大に上がる中、ジュースやビール、それぞれ好きな飲み物を手にして、みんなで乾杯をする。蚊取り線香の香りが漂う庭の縁側で、花野井園芸店スタッフによる花火鑑賞会は始まった。頭上には花火が次々に上がり、ドウン、ドウン……という爆音が、腹の底に響く。
伊吹さんもこの日ばかりは缶ビールを手にして、ご満悦だ。帰りは自転車を押して帰るらしい。俺は酒があまり得意ではないので、ノンアルコールのカクテルを飲んで、彼の隣に座った。すると、伊吹さんが俺に気付き、柔らかな笑みをくれる。
「こんなに近くで、しかもゆったり花火が見られるなんて、最高ですね」
「俺は住んでるんで、慣れちゃったとこもあるけど……思えば、人混みに揉まれて観たことはないかもっすね」
「うわぁ、羨ましいー!」
「でも、ちゃんと見たのは俺も久しぶりなんです。すごい綺麗ですね、花火」
「うん、ほんとに」
伊吹さんがそう言って、缶ビールに口をつける。花火に照らされた横顔は、本当に嬉しそうで――だが、なぜかいつもより少しだけ、色っぽく見えた。大人の男の色気というやつだろうか。ただ、隣りにいるだけなのに、不思議なほどドキドキさせられる。
「たーまやぁああ! ……あっ、チトくーん! 写真撮って、写真!」
一方、庭のど真ん中で、仁王立ちをして花火を見上げている桜介さんは、ノンアルコールビールをがぶがぶと飲んで、まるで酔っ払いのように騒いでいる。それを見て、伊吹さんは、ふふ、と控えめに笑っていた。
「桜介さん、なんか少年みたい。はしゃいでますね」
「あの人は祭りごとが好きだから……」
「そうなんだ。でも、僕も好きだなぁ。花火大会とか、お祭りとか……大好き。ワクワクしちゃいます」
そう言いながら、伊吹さんはまた笑う。なんだか可愛い。男の人に対して「可愛い」と思うなんて、どうかしてると思われて当然だが、彼の反応や言葉や、なにげない仕草のひとつひとつが、今夜はやけに可愛く思える。
「あぁ、おいしいー……なんだかこうしてると、夏を堪能してるって感じするなぁ」
「ですね……」
「なんか僕ね、今年が今までで一番、幸せな夏かも」
けれど、どうしてだろう。ふふ、と笑みをこぼす伊吹さんの表情が、今夜は可愛くも色っぽくも見えて、理由もわからないまま、ドキドキさせられる。そのせいで、俺はろくな返事ができなかった。
「そりゃまぁ……よかった」
「うん」
そのまま、互いに無言で花火を見上げていた。伊吹さんは時々「うわぁ、今の可愛い」とか「あっ、今のチューリップだ」とはしゃいだ声を上げ、そのたびに俺に笑みを向けた。その笑みはどんどん色気を増していくような気がして、あいかわらず俺の心臓をうるさく高鳴らせている。
伊吹さんって、やっぱりすげえ綺麗だよな。
初対面のときに感じた印象を、俺は今さらになって思い返していた。あの日、伊吹さんとはじめて会った春の日から、半年ほど経ったが、彼はやはり美人だ。
顔とか、目鼻立ちはもちろんそうなのだが、それよりも。人柄のよさが、表情や仕草に滲み出ている。明るくて朗らかで優しくて、丁寧で、どんなことにも一生懸命になれる人。それから、俺みたいな、ひねくれ者で若輩な人間とも、仲良くしてくれる人の良さなんかも。
店のスタッフにも、常連のお客にも信頼され、慕われているのには納得する。俺だって伊吹さんのことは好きだ。彼のそばにいるとホッとできるし、彼と過ごしているときの、穏やかな時間が好きだった。
嬉しそうに微笑む表情も、けらけら笑う明るい笑顔も、伏し目がちに昔の恋を語る、切ない横顔も。雑草取りに必死になっている顔も。
だが、彼の横顔をちらちらと見ながら、ふと思い出す。伊吹さんは好きな人を前にしたとき、どんな表情をするのだろう。好きな人の隣で花火を観るときには、さっきみたいに色っぽく微笑んだりするのだろうか。俺は密かにその顔を妄想した。同時に、途方もなく伊吹さんの好きな人が羨ましくなる。
いいなぁ……伊吹さんの好きな人。
どこの誰なのかは知らないが、伊吹さん曰く「高嶺の花」で、男の人だ。もしかしたら、過去に好いていたアサヒさんに似ていたりもするんだろうか。背が高くてイケメンでお金持ちなのかもしれない。俺と違って大人で、植物に詳しかったり、一緒に熱くなって園芸を楽しめたりもするのかもしれない。
俺がアサヒさんみたいなタイプだったらな。そしたら俺が――……。
そう思いかけた時、ハッとする。俺がもし、アサヒさんみたいなタイプだったら。俺はどうしたいのだろう。もし、この人と、そんな可能性があったとしたら。俺はこの人とどうなりたいのだろう。
俺は今――……なにを考えてた?




