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お盆が過ぎると、どんなに暑い夏だったとしても、必ず風が変わる。酷暑が続いた夏でも、例年通りの夏でも、それは一貫している。今年も同じだ。八月の下旬、灼熱の沼沿いに吹く風は、いくらか涼しさを感じるようになり、朝夕の気温もわずかだが低くなった。気付けば日の入りもずいぶんと早まっている。
そんな中、俺と伊吹さんとの関係は継続している。店の定休日には、彼の実家へ行って、一緒に庭仕事をして、朝ごはんと昼ごはんをごちそうになって、俺は食事の後片付けを手伝い、夕方には帰る。特別なことはしない。庭仕事と食事。それだけなのだが、あいかわらず伊吹さんとの時間は心地よくて、俺は毎週木曜日を楽しみにしていた。
俺が今、一緒にいて一番安心できる存在はたぶん、伊吹さんで、一番好きだと思える人も、伊吹さんだった。これまでの人生で――といっても、たかだか二十年ちょっとの話だが、それでも、家族以外の他人とここまで仲良くなるのは、彼が初めてだったと思う。
そうして、いつもと変わらない日々を送っていた。ところが、お盆を過ぎた週の月曜日。桜介さんが突然、唐突な思いつきを話し始めた。
「そうだ! 今日さぁ、手賀沼で花火あるじゃん。たまにはみんなで店で観るのどうよ? ……なぁ、紫苑?」
朝の休憩室。忙しなく支度をするスタッフは、桜介さんのアイディアに揃って手を止め、足を止め、あるいは振り返る。そうして、彼らの視線はゆっくりと俺に集まった。俺はため息を漏らし、応える。
「店は親父がだめって言うんじゃないかな。近所にも、スタッフが店で騒いでるって見えちゃうし」
「そっかなぁ、やっぱだめかぁ」
「っていうか、なんで店? 花火の日は毎年、桜介さんの家で集まってたんじゃないんですか?」
「あー……まぁ、そうなんだけどさ」
毎年、八月に開催される、手賀沼の花火大会。柏市と我孫子市の共同開催でおこなわれるそれは、地元では有名な夏の一大イベントだった。花野井園芸店のスタッフは毎年その日、桜介さんの家に集まって宴を開いていた。――はずなのだが、今年、桜介さんはなんだか都合が悪そうだ。
「オレんちだと、狭いからさ。今年はほら、伊吹くんも入ってきたし、紫苑も来るだろ?」
「え……」
俺はそういう集まりが苦手なので、一度も参加したことはない。アルバイトのときから、例外なく断っている。
「俺はべつに行くつもりないんですけど――」
「えっ、そうなんですか……!」
ひっくり返った声でそう訊き返したのは、伊吹さんだった。伊吹さんはとてつもなく残念そうな顔で、俺を見つめている。その顔を見て、思わず笑みが引きつってしまったが、伊吹さんの反応でハッとした。これはもしかすると、桜介さんの仕組んだ茶番かもしれない。
「まさか……その計画、もうみんな知ってるんですか?」
俺の言葉に、伊吹さんと桜介さん以外のスタッフが揃ってそっぽを向いた。やっぱりそうだ。俺は笑みを引きつらせる。
つまり、桜介さんは俺以外のスタッフに全員根回しをした状態で、さっき思いついたフリをして、俺に打診してきたのだろう。たしかに、手賀沼の花火を見るなら、花野井園芸店は絶好の場所だ。
「はーん……そういうこと」
俺は桜介さんをジトっと睨みつける。途端に、桜介さんは顔の前でぱちんっと手を合わせて、頭を下げる。
「ごめーん……っ、紫苑! でもさ、たまにはみんなで集まってもいいじゃん?」
「たまにはって……毎日、職場に集まってんじゃないすか」
「そうじゃなくてさぁ……ねぇ? 伊吹くんもそう思うっしょ?」
桜介さんが伊吹さんに助けを求めると、伊吹さんは困り顔で頬を掻いて言う。
「それはまぁ、そう……だけど、でも桜介さんが、紫苑さんも参加するって言うから僕は――」
「いや、だからそれはさぁ……」
「あー、もうはい、わかった! わかりました!」
その場を収めるのが面倒になって、俺は声を上げる。桜介さんと伊吹さんが、口を噤み、ふたり揃って俺を見つめている。ほかのスタッフも固唾を飲んで俺を見つめている。要するに俺は今、そこにいる全員の視線を受けていた。
「……一応、親父が市場から戻ったら訊いてみますけど、あんまり期待しな――」
「おおっし! 紫苑が乗った! 桜介くん、今日はお仕事頑張っちゃうぞー!」
俺が言い終わらないうちに、桜介さんがわざとらしい口調でそう言って、素早く休憩室を出ていく。ほかのスタッフも、それに続いた。伊吹さんと馬場さんだけが、その場に残り、苦笑いをしている。
「いや、まだ乗ってねえっつーの……」
「ごめんね、紫苑くん、伊吹さん。ふたりのこと騙すみたいなことして……」
「あぁ、いや……べつにいいっすけど」
馬場さんが謝ることじゃない。どうせ企んだのは、桜介さんだ。俺が返すと、伊吹さんも隣でかぶりを振った。
「きっと桜介さんは、みんなで一緒に花火を見たかったんでしょうね」
「私もそう思います。特に紫苑くん。なんだかんだ言って、君のこと可愛がってんのよ、桜介さんは」
「……すみません」
「ううん。でも、お店ではやっぱり宴会はできなさそうだよねぇ……。桜介さんち、ついにダイニングの椅子も花台代わりになっちゃったみたいだから、もう私たちが座る所もないんだって」
馬場さんの言葉に俺は呆れた。どうして置き場がなくなるまで、植物を集めてしまうんだろう。だが、その一方で、この企画は彼らしいアイディアだな、とも思う。
桜介さんは、いつも宴会への参加を断っていた俺にも、宴会の予定が立つと、必ず声をかけてくれていた。俺の性格を彼はよく知っているし、断られるとわかってもいるだろう。それでも、釣れない俺にコミュニケーションを取ろうとしてくれていた。
ただし、馬場さんが言った通り。店での宴会は難しそうだと、俺も思う。
「店だと……人数が多いから。お酒を飲んだりするし、どうしてもうるさくなりますからね。あと、椅子とかテーブルとか、外に出さないといけないし、意外と面倒くさいっすよ、たぶん」
いつも面倒くさがって、不参加を決め込んできたが、桜介さんの気持ちは理解しているつもりだし、今回は伊吹さんも参加したがっているようなので、彼が一緒なら、たまには参加してみてもいいかもしれない。だが、残念ながら集まる場所がなかった。
桜介さんの家は植物だらけで、たしか――1LDK。そもそもキャパシティはそんなに大きくないのに、これまで集まっていたメンバーも入れないほど、彼の部屋は植物だらけになっている、らしい。かと言って、店で夜、宴会をするのもあまり得策とは言えない。
近所からクレームでも来たら、店のイメージダウンに繋がりかねないし、花火が見えるところに、椅子とテーブルくらいは持ってきてセッティングしなければならない。それも面倒だ。セッティングすれば、終わったあとの片付けにも同じだけ時間と労力がかかる。
「この辺、穴場とかないんですか?」
伊吹さんに訊かれて、俺は頭を巡らせる。だが、思い当たる場所はない。なぜなら、この地域で穴場と呼ばれる場所は、今のご時世、ネットを介して多くの人に知れ渡っており、すでに穴場ではなくなっているからだ。花火大会の時間が迫れば、どこも大量の人で溢れるようになる。
「ないかなぁ……昔っからある花火大会だし……」
俺の返事に、馬場さんと伊吹さんは残念そうに相槌を打つ。ひとまずは仕事場に出て、俺は父が市場から戻るのを待つことにした。




