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4-3

「チトくん! うちの子もらってくれるの?」

「はい……でも僕、観葉植物ってはじめてで……」

「大丈夫、大丈夫! セロームはね、すっげえ簡単だから。すーぐ大きくなっちゃうから」

「へえ……!」


 みんなに「チトくん」と呼ばれているその子は、七月の頭に入社してきた猛者アルバイトだ。どうやら彼が、桜介さんのセロームの子株の里親になってくれるらしい。


 チトくんは、叔父さんが山野草店を営んでいるとかで、草花や山野草の知識にはめっぽう強かったが、逆に観葉植物やエアプランツには疎いので、勉強がてら子株が欲しいのだという。勉強熱心なことだ。


「明日、持ってきて休憩室置いとくからね。好きなときに持って帰って」

「ありがとうございます!」


 結局、桜介さんのセロームの子株は、チトくんがもらうことになり、無事に解決した。


 ちょうど同じころ、伊吹さんも友人を連れて戻ってきた。ふたりは連れ立って屋内エリアを出ていき、俺はそんなふたりの後ろ姿を眺める。


 友人男性の手には、大きな花束がふたつ。伊吹さんのアイディアなのか、注文だったのか、仏花にしてはずいぶん華やかな印象だ。白いトルコキキョウに真っ青なリンドウと小ぶりのひまわり、グリーンのソリダゴやクルクマが入っている。


 へえ……菊は使わないんだな。


 通常、仏花といえば日本では菊をメインに使う。輪菊という、大きな花が一輪咲くものから、スプレー菊といって、小花がたくさん咲くものまであり、その品種もたくさんある。全体的には黄色や白に赤いカーネーションや紫色のアスターを差し色に使ったりもするものだが、友人男性の持つ花束には、おそらくひとつも菊が入っていない。もしかすると、あの人は菊が嫌いなのかもしれない。


 しかし、あんなにも華やかで洋風な仏花の花束を見たのははじめてだ。しかも、そのボリュームを見る限り、おそらくふたつで一万円を超えそうなほど大きい。


 金持ちなのか……?


 そう思った時だった。ちょうど去り際、伊吹さんの友人は、不意に伊吹さんの頬へ手を伸ばし、そこをそっと撫でるようにして触れた。――いや、見間違いかもしれない、と思ったが、友人が伊吹さんを見つめる視線が、今、目の前で起こった光景を肯定する。俺は眉をしかめた。


 なんだ、今の……。


 慌てて周りを見回してみたが、今のふたりのやり取りを見ていたのは、どうやら俺だけだったようだ。


 よかった……いや、よかったって、べつに俺が焦ることじゃないけど。


 真夏の午後、屋外エリアには、ほとんど客はいない。屋内から見ていたのは、たぶん俺だけだ。俺は再び作業に戻ったが、脳内ではさっきの光景をくり返し思い出しながら、頭を巡らせていた。


 伊吹さんが「アサヒ」と呼んでいた、あの友人の男性は、どうして去り際に伊吹さんの頬に触れたのだろう。なにか頬にゴミがついていたのか、それとも虫が止まったか。それくらいしか理由が思いつかない。けれど、何度思い返しても、どちらの理由も違っている気がする。


 なんか……付き合ってるみたいな、感じだったよな……。


 そう思いかけて、かぶりを振る。そんなはずがない。だって伊吹さんは男で、アサヒさんというらしいあの人も、見るからに――というか、絶対に男だ。


 男同士……でも、伊吹さんがそういうタイプってことも……。


「紫苑、おーい。どうしたんだよ。ボーっとして」


 チトくんとセロームの話をしていた桜介さんが彼との会話を終え、ぼーっと立ち尽くしていた俺に声をかける。


「あ、いや……なんでも」


 桜介さんもチトくんも、会話に夢中になっていただろうから、きっと伊吹さんとアサヒさんのやり取りには気付かなかっただろう。――いや、気付かなくてよかった。なんとなく俺はそう感じて、静かに作業に戻る。


 伊吹さんとあの男性が、本当に俺の予想通りなら、あまり噂が広まらないほうがいい。ところが――。


「紫苑、いいか。余計なこと言うなよ」

「え……っ」


 不意に、桜介さんが耳元で言って、伊吹さんに目をやり、(あご)をしゃくる。俺は思わず声を上げてしまったが、言葉の意味を瞬時に理解して、口を(つぐ)み、頷いた。同時に思う。やっぱり、あの人は伊吹さんとただの友人関係ではないのだろう。そして桜介さんはどうやら、今さっきの伊吹さんとアサヒさんという人の去り際のやり取りを、見てしまったようだ。


「世の中には色んな人間がいるからな。意外とノーマルじゃないやつはたくさんいるんだ」


 桜介さんは静かにそう言って、設置した観葉植物の鉢にポップを挿し込んでいく。俺も作業に戻り、答えた。


「……俺はなにも言いませんよ」


 男同士の、ただならぬ関係。同性愛者というのだろうか。男女間での恋愛すらろくな経験がなかった俺には、その想像がまったくつかなかった。


 ただ、伊吹さんを好きになってしまう気持ちだけはわかるような気がする。たった数ヶ月間、一緒に庭仕事をして、ラーメン屋に寄り道をして、たったそれだけなのに、俺はいつの間にか伊吹さんをこの店のスタッフの誰よりも、好ましく思っていた。


 ――とはいえ、それは恋愛感情とは呼べない。たぶん、人間としての好意に過ぎないものだろう。なぜなら、これまでの俺は、伊吹さんに対して、いかがわしい気持ちは一切持っていなかったからだ。


 触りたいとか、ドキドキするとか、そういう感情はなく、ただ、伊吹さんと過ごす時間が好きだった。穏やかで、優しくて、居心地のいい時間。彼と過ごしていると、なんだかほっこりして、途方もなく癒されるのだ。


 だが、今日。伊吹さんとあの男性客のやり取りを見たことで、俺の心は穏やかではなくなっている。


 伊吹さんに同性の恋人がいようが、男の人を好いていようが、俺にはなんの関係もない。伊吹さんにはあの人がいるのだから、若輩者の俺なんか眼中にもないはずだ。その事実があっても、俺と伊吹さんの関係が変わるわけでもない。それでも、奇妙なことに俺の心臓はうるさく高鳴っていた。

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