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植物男子の恋の育て方  作者: いなば海羽丸
1 ようこそ、花野井園芸店へ
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1-2

 朝一番のコーヒーを飲んだあと、俺は朝食をとる。朝食といっても、簡素なものだ。ゆうべの夕飯の残りの白飯と、同じく残りの味噌汁、お新香。それから、コーヒーのおかわりをする。


 朝食はもっぱら和定食が好みだが、コーヒーは必ず飲むし、おかわりもする。これは、毎朝のルーチンのようなものだった。


 朝食を済ませると、炊飯器に残った白飯で、おにぎりを二つ作る。具は梅とおかか。これが今日の弁当だ。それが済むと、すぐに片付けをして、出勤の支度をしてから、仏壇に手を合わせた。ここには、亡くなった母が入っている。


「母さん、おはよう」


 母は重い病気を患い、三年前に亡くなった。すい臓がんだった。見つかったときにはすでに全身への転移が見られ、治療は緩和ケアくらいしかできず、俺も父も、ただ、そばにいてあげることしかできなかった。母が帰らぬ人となったのは、余命宣告を受けてから、一年半ほど経った、冬。クリスマスイブの、夜のことだった。


 ――紫苑。父さんをよろしくね。助けてあげてね。


 ここに座ると、必ず。俺は亡き母が生前に遺した言葉を思い出す。母は病床で、よくそれを口にした。俺は、脳内に響く母の声を振り払うように目を開ける。自覚はあった。花や植物のことに興味がなくても、家業を継ぐ選択をしてしまったのには、たぶん。母の遺言もあるのだ。


「……いってきます」


 遺影の母にそう言って、家を出る。自転車にまたがり、ペダルを踏む。そうして、沼沿いの道を走った。だいぶ朝の冷え込みは緩やかになったものの、まだまだ風が冷たくて、吐く息は白く、煙のように宙に流れていく。


 春は苦手だ。ただでさえ疲れているのに、春霞のせいか頭がぼんやりするし、好みではない湿った生暖かい南風が吹く。なにもしなくていいなら、ずっとなにもしていたくない。それなのに、店は気が狂いそうになるほどに忙しくなるから嫌になる。


 春先になると、植物の苗の仕入れ量は、冬場の三倍以上にも増え、当然、俺らはそれの品出しと値付け、ポップ作りに追われる。客数もそれに比例するうえに、この時季はギフト注文も増える。


 卒業シーズンにはまだ少し早いが、寄せ植えだの、コチョウランだの、フラワーアレンジだの、花束だの。とにかく忙しい。そんな季節がもう、すでにこの町に訪れていた。


 特段、植物にもこの仕事にも思い入れがあるわけではない俺にとって、この繁忙期は至極鬱陶しいものだった。それなのに、中途採用で入ってきたスタッフの相手までしなければならないなんて、まったく面倒この上ない。


 せめて、店がヒマでありますように。


 そんな不真面目な望みを抱えながら、ひたすらにペダルを漕ぐ。そうして、数分で店に着いた。長いアプローチを抜け、商品棚の横を通り過ぎ、俺は事務所のすぐ脇に自転車を停める。


「おはざーす……」

「あっ、紫苑くんだ。おはざーす」


 事務所の前では、すでに支度を終えたスタッフが数名いて、そばの自動販売機で買ったのだろう、缶コーヒーを飲みながら、立ち話をしていた。いつも通りの朝の風景だ。


「おはよう、紫苑」

「……うぃーす」

「美人さんが奥でお待ちかねだぞ」


 先輩スタッフのひとりが、にやりと口角を上げて事務所の方を指差して言う。


 美人さん――。


 その意味がわからず、俺は立ち止まり眉をしかめて見せ、すぐに事務所へ入り、休憩室の扉を開けた。だが――。


「あ――……」

「あっ、どうも! おはようございます!」


 休憩室の真ん中に置かれたテーブルの席に着いていたひとりの男が、俺を見るなり、慌てて立ち上がる。ひと目見て、俺はさっき先輩スタッフが言った「美人さん」が誰なのか、すぐに理解した。


「今日からお世話になります、畠山伊吹です。よろしくお願いいたします」


 畠山伊吹――。そう名乗った男は、胸元の名札を取って、わざわざ俺に見せてからそう言って、頭を下げた。おそらく、彼が「美人さん」の正体だ。男を目の前にして、それがどんなにイケメンであったとしても、美人と思うことはそうそうあることではない。だが、彼はまったく、美人だった。


「えっと。どうも……」


 頭をぺこ、と下げると、猫目の二重が細くなる。その表情に、なぜだか少しぞくりとさせられた。左の口元にはほくろがある。ゆるいクセのある栗色の髪は、中途半端に伸びているからか、あるいは伸ばしているのか。後頭部の辺りでひとつに結っているが、清潔感はちゃんとある。いや、むしろとても綺麗だった。それでいて、背丈が高いし、ガタイもいい。


 俺も背丈は平均よりもあるほうで、最後に量ったときには180センチだったから、どちらかといえば大柄な方だが、彼はもしかしたら、俺よりも背が高いかもしれない。


 でっけえ美人……。


 どうやら、ほかのスタッフから、作業用エプロンと名札はすでに渡されているらしい。畠山伊吹――と名乗ったその人は、茶色いエプロンをつけた姿で、腰にはガーデニング用のポーチを付けている。おそらくポーチは彼の私物だろう。俺はその場に立ち尽くしたまま、しばらく彼を見つめていたが、ほどなくしてからハッと我に返り、慌てて自己紹介をした。


「すいません、はじめまして。紫苑です。花野井紫苑……」

「紫苑さん――……あっ、じゃなくて、花野井さん……」

「いいっすよ、紫苑で。花野井さんじゃ、父さんと混同するでしょ。ここの店ではみんな、おれのこと紫苑って呼ぶんで」

「じゃあ、紫苑さん。よろしくお願いいたします」

「よろしくお願いします」


 園芸店スタッフの中には、色んなタイプの人がいる。男性、女性の割合はちょうど半々で、年齢層もバラつきがある。高校生から、年配の人――それこそ、還暦を超えた人も。


 性格的には、根っから陽気な人も、物静かなタイプもいる。けれど、その誰とも、この人は違っていた。誠実、真面目、柔軟、冷静、思慮深い。そんな言葉が似合う雰囲気がある。ただし、なぜだろう。まだ大して話していないのに、彼にはどこか陰がある感じもする。

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