↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
植物男子の恋の育て方  作者: いなば海羽丸
3 伊吹さんと庭づくり
PR
18/41

3-6

 土壌改良は、まず土を掘り起こして、耕すところからだ。大きいシャベルに足をかけ、ぐっと力を込めてから、沈み込んだシャベルを持ち上げて、土を返す。


 単純な作業だが、西側スペース全体を隈なくおこなうには、これを何十回――いや、下手をすれば何百回も続けなければならない。気付けば、俺の頬には再び玉の汗が垂れていた。ふと、伊吹さんを見れば、彼の頬にも同じように玉の汗が流れている。


「あっちいっすねー……」

「ねぇ。今日はほんとに……っ、三月なんでしょ、か……」

「違うかもっ、すね……」


 お互いに体力を消耗している。その証拠に、互いの会話する声は途切れ途切れになり、息遣いは乱れていた。だが、手は止めない。土を耕して石灰やたい肥を撒いても、野菜苗というものは少し時間をおかなければ、植えられないからだ。


 早くやっておけば、それだけ早く苗を植えられる。遅れればそれだけ、遅れる。ただ、野菜の場合は時季を過ぎるとうまく実らないこともあるから、あまり悠長にしていられないのだ。


 ここだけは、今日のうちにちゃんとやっときたい……。


 この西側スペースを畑にするなら、この場所の土壌改良は外せない。なぜなら、野菜を作るのは肥料や水じゃない。もちろんそれも大切だが、一番重要なのは、土。そして、太陽が長く当たることだからだ。これは、親父がよく言う口ぐせだった。


「野菜なんて、日当たりよくして土さえちゃんとしてりゃあ、勝手にできるんだ」

「え……?」


 父の口ぐせを真似て声に出すと、伊吹さんが驚いたような顔をして手を止め、俺を見つめる。まるで鳩が豆鉄砲を喰らったような表情に、俺はくくっと笑みをこぼした。


「父がいつも言うんですよ。畑に植えるだけで、あとはろくに管理しないズボラ農業の言い訳として。――まぁ、休みなんかあってもないような仕事なので、管理できないのは仕方ないんですけどね」


 忙しい父に、家庭菜園の管理ができないのは当然だ。ただ、管理できないとわかっていながらも、なにかしら植えようとするのはどうしてなのか、俺にはよくわからない。ただし、そんなほったらかし農業でも、毎度、意外とそれなりの収穫量があるのだ。


「へえ。でも、それで……土をちゃんとすれば、ある程度育ってくれるもんなんですか?」


 伊吹さんに訊ねられ、俺は軍手をした手の甲で汗を拭いながら、頷いた。


「なにもしていない割には、うちは実りますね。――あ、でも、たまにひどいときは虫駆除とか僕、やってるんですよ。親父はほったらかし農業だと思ってるから、あえて言わないようにしてるけど。さすがに誰のための野菜作ってんのか、わかんないときあるから。みーんな虫が食っちゃって」


 口を尖らせると、伊吹さんは声を出して笑った。今はほったらかしの我が家の家庭菜園だが、母が元気だったころの家庭菜園は、手入れがきちんとされ、いつもきれいに整っていて、季節には採れたての野菜が食卓に並んだ。


 母の家庭菜園を思い出しながら、俺は土を起こしていく。春には秋に植えた玉ねぎ、白菜が大きく育ち、それを収穫した場所にじゃがいもを植え、そばにはカモミールやフェンネルなどのハーブを植え、夏になると、きゅうりやトマト、ズッキーニなどの夏野菜、その隅にはアサガオを植えて花を楽しんで、秋にはまた、白菜、ブロッコリー、玉ねぎを植え、春を待った。


 天国の母は、ほったらかしの親父の菜園を見て、どう思っているだろう。きっと(あき)れかえっているに違いない。


 父は手入れができないまま、草ぼうぼうにさせるのに、野菜を植えるのだけはやめようとはせず、それを指摘すれば、ほったらかし農業だと言い訳した。今、収穫量はその当時の半分ほどだろうが、父はめげない。手入れは忘れても、毎シーズン忘れずに、そこに野菜を植えている。


「社長はほったらかしておきたいんですかね。それとも、実は実験だったり? ほら、最近は時々、話題になるでしょう、ほったらかし農業とか、無農薬、無肥料野菜とか、自然農法とか」

「さぁ、そこまで考えてるかどうかは……ただ、ほったらかしの草ぼうぼう農業でも、親父なりに楽しんでるんでしょうから、余計な手は出さずにおこうとは思ってますよ」


 そんなことを話しながら、ようやく西側の植栽スペース全体の土を耕し終わったとき、伊吹さんが苦土石灰(くどせっかい)の袋を抱えて言った。


「紫苑さん、やっぱり優しいなぁ。お父さん思いなんですね」


 不意打ちでそんなことを言うものだから、俺は困ってしまった。違うとも言えないし、そうだとも言いにくい。ただ、自分の中では当然で、正しいと思うことだけを言ったりやったりしているだけのことだから「普通でしょ」と、ひどく可愛げのない返事をしてしまった。



***



 そのあと、苦土石灰を撒いた畑の土をよく混ぜて、本日の庭作業は終了した。苦土石灰は、土の中のphを調整するだけでなく、植物にとって重要な肥料になる。ただし、撒いたあとは土が整うまで、最低一週間。できれば二週間ほど、時間を置いた方がいい。すぐに植物を植えると、成分の刺激を強く受けてしまい、根が焼けてしまう可能性があるからだ。


「終了でーす! おつかれさまでした!」

「疲れたぁああ……! 腹減ったぁ!」

「ありがとうございました、紫苑さん。ほんと助かりました!」


 さて、ここからは、ご褒美タイム。


 すでに時計の針は午後一時半を回っている。俺の腹は空腹のピークだったが、たぶん、伊吹さんも同じだったのだろう。彼の腹からは、空腹を訴える怪獣の鳴き声が響き、それに続いて俺の腹の怪獣もまた、切なげに鳴きはじめた。伊吹さんは「怪獣が二匹いますねぇ」と言って笑いながら、俺を家の中へと案内してくれる。


「あ、寄せ植えだ」


 玄関前にそっと置かれた寄せ植え鉢に目が留まる。しゃれたテラコッタの鉢から溢れるように咲いているレモン色の花は、ビオラだ。その手前に斑入りのアイビー、その隣にはアリッサムも一緒に植えられ、「Welcome」と書かれたピックが、その脇にちょこんと刺さっている。さすがだと思うのは、花付きの良さだ。植え付けのときには元肥をちゃんと入れて、日頃手入れも欠かさずしているのだろう。


「そう、これね。玄関前がちょっと寂しいので、練習で作ってみたんです。鉢もかわいいのがお店にあったので即買いでしたよ」

「練習台には見えないっすよ。ピックもこれ、うちで売ってるやつじゃないっすか?」

「そうです、そのときセットで買っちゃった」

「やっぱ太客だ。……毎度ありがとうございまーす」

「やめてくださいよー、もう。なんか恥ずかしいなぁ」


 伊吹さんはそう言って俺の背中を押し、玄関の中へ入るように促し、居間へ通してくれる。縁側へ続く窓はすでに閉じられていて、俺は居間の座卓へ案内された。部屋の中には白飯の炊ける匂いが立ち込めている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。