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伊吹さんは、庭の隅に車を停めた。
「到着です」
「ありがとうございました」
車から出ると、ドアの音で気付いたのだろうか。家の中から、年配の女性が顔を出し、とことこ歩いて近づいてきた。俺はその顔を見て、すぐに察する。彼女は間違いなく、伊吹さんのお母さんだ。
似てる――……。
「まぁ、まぁ。いつも息子がお世話になっております。伊吹の母です」
「どうも、はじめまして。花野井園芸店の花野井紫苑です」
「綺麗なお名前。どうぞよろしくお願いします。今日はずいぶん暑くなるみたいだから、体に気を付けて。無理しないでくださいね」
「はい」
「伊吹もね。お帽子ちゃんと被ってね」
「わかってるよ」
伊吹さんのお母さんはそう言って、俺ににこっと微笑んでから、また家の中へ戻っていく。品がよくて、穏やかそうな人だ。笑った目元や口元が伊吹さんにそっくりで、俺は思わず伊吹さんの顔をまじまじと見つめてしまった。
「……なにか?」
「いや。伊吹さんってお母さん似なんだな、と思って」
「そう……ですか? 昔は父親似だって言われたんですけど……年取って変わってきたかな」
それからすぐ、伊吹さんは家の中から、つばの大きな麦わら帽子をふたつ取り出してきて、それをしっかり被ってから、俺にも麦わら帽子を貸してくれた。次にタブレットを取り出してきて、俺に庭の植物を説明し始める。画面には、地図のようなものが映されていた。
「これ、見てほしいんですけど」
「すげえ、なにこれ。ここのマップっすか?」
「そう。品種とか細かく書いとかないと、なに植えたかわかんなくなっちゃうから」
どうやら伊吹さんは、この庭のマップを描いているらしかった。手描きした原本をそのまま使うと、庭仕事の最中は泥で汚れてしまうので、プリンターでスキャンして、画像データにしているらしい。とうに気付いてはいたが、彼は本当にマメな人だった。
「シンボルツリーは、このヤマボウシです。あとひと月くらいしたら、咲いてくるかなぁ。あと、この下にギボウシと自生シダ、ヤマアジサイなんかが植わってます」
伊吹さんちの庭には、もう一つ同じサイズの家が建ちそうな広い敷地の真ん中に、丸い植栽スペースが作られていて、その中央に大きなヤマボウシの木が立っていた。これが以前、写真で見たシンボルツリーだろう。しかし、実際にこうして見ると、想像以上に大きい木であることがわかる。
「すげえ……ヤマボウシって、こんなデカくなるんだ……」
「そうなんです。扱いやすいシンボルツリーとして人気がありますけど、こんなになっちゃう例もあるので……気を付けないといけないですね」
ヤマボウシは、落葉中高木。初夏のころに白い手裏剣のような花が咲く雑木だ。春には花、夏には実、さらに秋には紅葉が楽しめ、成長も緩やかなので、庭木や街路樹にも選ばれるケースが多い。だが、ここにひとつの稀な例がある。
「そんなに高くならないっていうイメージが強いから、結構安易に勧めてたな、俺……」
「環境がいいと育っちゃうみたいですね。この木は昔、祖父が植えたものだったそうなんです。この家が建ったときだから……それこそ六十年くらいかな?」
「ろくじゅう……ねん、か……」
ヤマボウシはまだ花を待っている状態だ。咲いた景観は圧巻だろう。俺は緑色の葉が生い茂るヤマボウシの木を覆うように、白い花が咲く姿を想像する。
「すごそう……」
一方でその木の陰には、日陰を好む宿根の下草類が植えられている。
葉が展開し始めたギボウシ・ハルシオンのブルーがかった色みと、シダの葉のコントラストが綺麗だった。さらに白い斑入りのギボウシ・ウンジュラータや、大型ギボウシのサムアンドサブスタンス、ライム葉のツイストオブライムなどが植えられている。
その間には、ところどころ、変わった葉の形のツワブキ、ヤマアジサイがバランスよく植えられ、植物同士が互いを引き立て合っているように見えた。
「へえ、ハルシオンってこんなに大きくなるんすね」
「そうなんです。雨が降ると、葉の上に雫がコロコロして綺麗なんですよ。これは元々、鉢だったものをここに植え直したんです」
「へえ」
ヤマアジサイはまだ葉が出始めたところだったが、小さな芽がしっかり存在をアピールしている。ギボウシはかなり大型のものも植えてあるようだったが、まだまだ、葉は伸びかかりといった具合だ。これから、季節が進むにつれて、さらに大きく展開していくのだろう。
それ以外にも、ここにはヤグルマソウ、ユキノシタ、クリスマスローズなども植えてある。数える気にもならないが、数十種類はありそうだ。日陰の植栽スペース、シェードガーデンと呼ばれる植え込みは地味なイメージがあったが、こうして見ると印象がまったく違い、むしろ洒落て見えてくる。
「すごいなぁ……ずいぶんたくさん種類あるんですね」
「園芸店でも、最近はリーフ系や、山野草の取り扱いが増えたじゃないですか。特に今、社長もばんばん仕入れてくるし。もう楽しくって、つい買っちゃいます」
「まぁ、山野草売れるのはもっぱら春ですからね。社割もあるし」
「そうなんです! 社割、めちゃくちゃ助かります!」
「馬場さんだっけかな、伊吹さんは、うちの店で五本の指に入る太客だって言ってましたよ」
「えぇっ、ほんとですか、それ! ……まぁ、自覚はありますけど」
「あるんだ……!」
俺はくくっと笑みをこぼす。すると、伊吹さんまで嬉しそうな顔をして笑い、今度は俺を庭の東側の植栽スペースへ連れていった。
「ここは東側なので、朝日が一番最初に差す一等地なんです。家が陰になって、昼からはもう日が差し込まないので、ヤマアジサイとか、斑入りのアマドコロとか、あとアスチルベなんかを植えてます」
「半日陰エリアってことですね」
「そうです。それから……こっちへ行くと、南側になりまして……」
東側の植栽スペースを南へ進むと、南側には日当たりのよさそうな花壇が作られている。奥は宿根草の葉があちこちから出てきているが、手前には青や黄色のビオラが植わっていて、満開を迎えていた。
「ここの南側の手前、今はとりあえずビオラを植えているんですが、植栽に悩んでいるところなんです。夏は炎天下でつらいし、土もすぐ乾いちゃうんですよね。もともとここは畑だったので、土は悪くないんですが」
「なるほど」
それならここだけ畑にして、家庭菜園をやる手もあるのだろうが、伊吹さんはクマンバチさんの庭を手本にしていることもあって、やはり花を植えたいのかもしれない。
だが、日当たりの植栽スペースになると、おそらくイメージが湧きづらいのだ。伊吹さんが手本にしている、クマンバチさんの庭は、雑木の庭。大半が日陰か半日陰になっていて、日当たり向きの植栽は少なかったはずだった。
「やっぱ、花がいいんですか」
「そうですねぇ……もし、なにかいいアイデアがあったら、お待ちしてます」
おどけた笑みでそう言ってから、伊吹さんは肩をすくめる。俺は脳内を仕事モードに切り替えて、あれこれと考えを巡らせてみた。




