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「いやぁ、やっぱりうまいなー。僕、今週二回目なんですけどね、二回とも中華そば食べてる」
「すげー常連じゃないすか」
その店の北海道味噌バターラーメンは、味噌の味が濃く、やや塩味が強いスープだった。そこにバターが溶け込んでいくと、うまい具合にコクが合わさって、驚くほどマイルドになる。
俺はちょうどバターが溶けだした辺りのスープを掬って飲み、麺をすすった。うまい。中太のちぢれ麵はスープによくからんで、これまたうまい。だが、ラーメンに夢中になりながら、伊吹さんの話の続きも気になって、俺は気を逸らせ、訊ねた。
「そんで、親父に声かけられて……なんでそんなに気が変わったんすか?」
たしかに、花野井園芸店での仕事は、親父さんの花屋を継ぎ、守ることからすれば、責任や仕事量はかなり軽い。花業界で長く活躍し、経験を積んできた伊吹さんにとっては、いい機会だったこともわかる。
ただ、今の俺と同じく、植物に強い興味があったわけではなく、環境に引っ張られるようにして親父さんを支えてきた伊吹さんが、どうしてここまでの植物好きになったのか。話がどうも繋がらず、理解もできなかった。
「好きじゃなかったんでしょ、花とか植物とか……」
そう言うと、伊吹さんはわずかに笑みをこぼして頷いた。
「そうなんですが……社長に言われたんですよ。お前は植物が、苗か切り花の製品になったところしか見てないだろうって。僕、社長がなにを言ってるのかわかるような、わからないような感じで、すぐには返事ができなかったんですね。そしたら、社長は僕を市場の近くにある、ガーデンへ連れていってくれたんです」
「ガーデン?」
「オープンガーデンもされている、クマンバチさんっていうオーナーさんのお庭です。――あぁ、もちろんクマンバチさんっていうのはハンドルネームですけどね。そのお庭がとにかく素敵で、僕、そのとき本当に感動しちゃって」
「へえ……」
伊吹さんが大絶賛したクマンバチさんという人は、男性のガーデナーで、オープンガーデンをはじめて二十年のベテランガーデナーだった。
オープンガーデンというのは、個人の庭を期間限定で一般客向けに解放し、地域コミュニティの交流を促す取り組みだ。
公開中、一般客は個人の庭の中を歩き、その庭の主人が丹精込めて育てた花や植物を間近で見ることができ、その植物の育て方やコツなどを聞くことができる。
バス旅行会社では、春に行われるこのオープンガーデンに合わせて、ツアーを組んだりもするようだが、このツアーがかなり人気があるのだという。これは、俺も父に聞いて知っていた。
「でも、オフシーズンじゃないですか。よくアポとれましたね、親父も」
「大学の同期なんだそうですよ」
「えッ!」
そんな話は初耳だった。市場の近くにそんな有名なガーデナーがいて、その人が大学の同期だったということも、俺は聞いたことがない。
「そんなの知らなかったな……」
「そうなんですか? べつに内緒にしてるふうではなかったですけど……」
それを聞いて、俺はこれまでの親父との日常を思い起こしてみる。親父と最後にまともな会話をしたのはいつだったか。すぐには思い出せなかった。
母が病に伏せて、亡くなったときも。その前も、俺が親父と目を合わせて言葉を交わした記憶がほとんどない。いつも、なにか聞かれても、テキトーな返事で済ませている。雑談なんか、それこそ高校時代にまで遡らなければならないかもしれない。
「そっか……俺ってずっと……」
親父とまともに会話してないかも……。
「紫苑さん?」
「あぁ、いえ……なんでも」
俺が急にひとり言を呟いたせいで、伊吹さんが心配そうに俺を見つめている。俺はすぐにかぶりを振って、またラーメンをすすって誤魔化した。親父とはもう何年もろくに会話していないんです、なんて言ったら、伊吹さんはきっと心配するだろう。
「それで、その……クマンバチさんのお庭、すごかったんですか」
「ええ……それはもう! 写真、見てください!」
伊吹さんは食べかけのラーメンをそのままにして、俺にスマホの写真を見せてくれた。
クマンバチさんの庭は、庭というよりも庭園と呼んだほうがしっくりくる雰囲気で、まるで避暑地の山中にあるペンションの庭のようだった。
軽井沢や八ヶ岳、那須、伊豆高原。行ったことはないが、そういう洒落た別荘地に建つ、ペンションの裏庭のような感じだ。
高低差のある庭には、まるで古寺のように樹木が植えられ、その下には苔が生えている。下草にはギボウシやアジサイ、ホタルブクロといった日陰の山野草類が植えられていて、西洋風の庭でよく見るような、バラやクレマチスといった、華やかな花は見当たらなかった。
代わりに、シャクナゲやコデマリが植えられているようで、陽だまりには、花後ではあったが、シャクヤクが伸びている。
一見、和風の庭なのだが、日本庭園より、もっとナチュラルに作られているせいで、とにかく洒落て見えた。
「こういうの、雑木の庭って言うみたいで」
「雑木の庭……」
「そうそう。ここに植わっているのは、ナツツバキにクロモジとアオダモ、イロハモミジと……あと、ヒメシャラ。みんな雑木で、まるで山の中みたいに、庭に心地いい木陰を作っているんです」
雑木――というのは、スギやヒノキのような木材にならない、利用価値の低い樹木をいう。落葉樹と常緑樹、どちらもあるが、中には庭木としては人気が高いのに、栽培業者が減っているため、なかなか手に入らないものもあったりする。
「そこに細い小道が作られていましてね、ハイキングコースみたいに歩けるようになってて。もう僕、始終ワクワクしてました。岩なんかも苔むした感じで本当に綺麗なんですが、なんといっても、アジサイがいいんです」
「アジサイかぁ……最近、ギフト品でも人気ありますもんね」
アジサイの品種は、近年増え続けており、現在三千品種以上。母の日に合わせて、世の育種家たちは、新しい品種や自慢の品種をギフト品として仕立てたものを出荷する。その数は今や、母の日のカーネーションを抜く勢いだ。
「母の日、すごいもんなぁ。毎年……」
「ええ、でもアジサイって、露地に植えると大概大きくなっちゃうでしょ。ところが、クマンバチさんのところにあるアジサイは、ヤマアジサイが多くて、みんな控えめな印象だったんです」
「へえ、そっか。ヤマアジサイ……」
たしかに、写真を見る限り、大型のアジサイは少ないように見える。
ヤマアジサイというのは、いわゆる山野草のようなもので、日本の山野に自生するアジサイのことだ。小ぶりなものが多く、狭い庭でアジサイを植えたい人に向いた植物だが、見るからに広さのある庭で、ヤマアジサイを多く植えるのは、珍しいかもしれない。
「見てください、その脇とかに生えてるホタルブクロとか、ツワブキなんかも、常に手入れされている感じが見受けられて、本当に可愛いでしょ」
「そうっすね……」
「僕はそこで、普段小さな苗で売られている植物がのびのび生きる姿を、はじめてちゃんと見た気がしました。それで僕も庭を作ってみたいと思って。クマンバチさんの庭は、雑木と山野草の庭だったけれど、僕はもう少し、宿根草の花とか植えたりして、モダンミックス、みたいにしたいなって思ってるんです」




