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19話「らしくない」

えへ。

えへへへへ。

えへへ。

……じゅるりっ

──────はっ!

口元を濡らし、乾き始めていたソレを袖口で乱暴に拭う。

彼、高柳 梓のあまりの可愛さに、思わず思考は何処か邪な所へと旅立ってしまっていた。

慌てて踵を返し、何とか何とか我に返る事に成功する。


目の前、視線を僅かに運べば届く位置。

突っ伏した姿勢の彼女(…あぁ彼だった)…の吐く息が黒く艶のあるカウンターテーブルを僅かに白く湿らせている。

時折覗かせる物憂げな表情が、持ち直した理性を、何度も何度も繰り返し…あらぬ方向へと誘ってくる。


──────私、鹿内 凛は何を隠そう実は女の子が大好きなのだ!

それというのはラブ、と言うよりもライクの色が強く、キュートアグレッションの意味合いがより強い。

私は常々思うのだ、女の子だって、女の子を劣情に塗れた邪な目で見てしまう時があると。

そしてそれは、私の場合には常であると。

細く白い手足、ほんのり赤みがかった肩口。

エロスを感じさせる鎖骨にうなじを覆う張りのある僧帽筋。

あぁ、やっぱり、私は紛れもなく女の子が大好きだっ!!

とはいえ目の前の彼女は紛れもなく…──────正真正銘、男の子な訳だけれど。


──────などと、思考はあれよあれよとどこへやら、現在私は後にも先にも一回限り、一世一代の決断をしてしまった後なのだと、慌てて気づく。


「一回!一回だけですからねっ!」

そんな風に、再度後追いで確かな保険をかける。

一回限りとはいえ正直少し、いやかなりの不安が心を占めている。

彼の言う魔女っ子アイドルとやらがどういうものなのか?その詳しいディテールこそ分からないが件の『魔女っ子パンチ』と『ひまわりミミィ』のオマージュの様な、リスペクトを込めたユニット名『ひまわりパンチ!』。

きっとそれはその両者の要素を体良く盛り込んだ物なのだと予想するに充分であった。


「一回…一回だけかぁ」

やや不満を孕んだ面持ちの高柳くん。

目元は少し赤く腫れぼったく、ほんのりと濡れている。


「一回だけ、けれど本気の一回です!決して手を抜いたりなんてしませんっ!」

彼を納得させる為にそう口に出してみて、直ぐに気づいてしまう。

あれ?私なんかすっごくやる気に満ち満ちている子みたいじゃ?

決してそんな訳ではなく保身の為なのに──────。

そう思ったなら、なんだかやけに恥ずかしくなり、らしくないなと胸がモヤモヤとしだす。


「あっいや、前言撤回です、適度に!そう適当に!私らしく相応にやらせて頂きます!」

たちどころに前言撤回の軌道修正。

身振り手振り、思考のクッション代わりにあわあわと顔の前で動かしてみる。

やがて、思案する姿勢を止めこちらへと何か思いたった様子で顔を向ける彼が、やけにキラキラとした目で口を開く。

「一回、一回ならさ、こんな条件にしようよっ!」

──────ビッ!

彼の、小さく白く細く、先がほんのりと赤い高発色の指先が勢いを付けて目の前へと突きつけられる。


「!?」

「記録より、記憶に残る一回……」

「数字なんかじゃなく、誰かの心をまるっきり変えてしまう様なそんな印象に刻み込む様な一回!!」

「どうかな?」

言った彼の指先に込められた確かな力。

僅かにふるふると震えている。

結ばれた口の中が固く咬合されているのが分かる。

笑顔の裏にある芯のある表情も見て取れる。

瞳には迷いの無い強い覚悟の様な物も確かに感じる。

少しばかり狼狽える私を、決して嘲る事もなく、それが確かに本気であると、まざまざと証明してくる。

「はぁ」

一つ、短く息を吐く。

幸せを逃がした訳ではない。

これはある種のスイッチの役割。

覚悟に覚悟で答える為の開閉器の様な役割。


「…わかりました」


「うん!決まりだね!」

短く、確かにかわされた約束。

決して血判や拇印、契約書の様なものを交わす訳では無いのだけれど、ゆきずりのなりゆき、経る筈のプロセスなんかもそんなになかったのだけれども、口約束であるこの決定には、不思議な程に強い決定力のようなものが内包されていた。


「今の私は目立つ事や可愛いアイドルなんかとは無縁で、ステージになんて到底立つことは出来ないでしょう……」


「けれどっ! いつか…一ヶ月、二ヶ月。いやっ!半年もあれば本気で一回ステージに立つことも夢ではないでしょうっ!!」

そう、今の私なんかではきっとアイドルとしてステージに立つ事所かその前段階、化粧や可愛い衣装を着ただけでもまた、件のトラウマが脳裏に過ぎり膝から崩れ落ちる事間違いなし。

けれど今から半年かけて少しずつ、少しずつ積み重ねて行けば、あるいは……可能性はあるのではないか!!

そしてそれは、全てを諦めかけている私自身が変わる数少ないきっかけの、その一つではないのか…と頭の中で重要視してみる。

正直、確証は定かではないが、そう自分に強引に言い聞かせると、喉元の引っ掛かりを強引に、音を立てて無理やり飲み込む。


「その為にも高柳くん、それからちゃんこちゃんさん!私に、私に『可愛い』を教えてはくれませんかっ!?」

二人を交互に、私らしくはないけれどやけに真剣な面持ちと強いまなざしでもって決意と覚悟をを伝える。

そんな私の気持ちに答える様に二人はそれぞれと動き出し、高柳くんは私のすぐ目の前へ、ちゃんこちゃんは私の背後へ。


「じゃあ、早速だけれど化粧しようか!」


「え……今からですか?」


「そうね。もう時間もないしちゃちゃっとやりましょ」


「何せこの後、あと三十分もしない内に…──────ステージがあるからねっ!」

がしッ!と音こそ鳴りはしないがふいに体がそんな衝撃を受ける。

後ろ手に、ちゃんこちゃんに捉えられたのだ。

もう逃げられない、後戻りは出来ないぞと言わんばかりの力強さでもって。


「ぇ……?こ、この後?……いま……からですか?」

私、鹿内 凛の未来を見据えた一世一代の決心は、強く、逞しく変わろうと決めた至上命題は……今まさに早速もさっそく……大きく揺らぐ事となった。


「──────ぇ……ぇええ!!」

夜の街、そんな私の大きな大きな慟哭は、決して誰かに届く事は無かった。


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