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14話「桃源郷」


掲げられた早いうちから灯りを灯していた看板の『桃源郷』の三文字。

その色合いがピンクなのは凡そ解釈が一致する。

桃といえばピンクだからね、私だって絵を描くならピンクの絵の具で塗るだろうと思う。


それにピンクってだけでなんだか可愛いからね!


問題は、その縁どりだろう。

外枠がやたらと絢爛豪華で金や紫と言った不安を助長する色合いで構成されており、ここが単なる喫茶店などでは無いことを如実に表している事だ。


「あのっわわわっ私!違うんです取って食べても美味しくなんてありませんっ!」

身振り手振り、必死の弁解、一瞥もくれない眼前咥えタバコのシンリンオオカミのような彼女。


重すぎる鉄扉。

ほの暗い間接照明、コの字型のボックス席、やけに椅子の高いカウンター。

並べられたお酒の数々。

真っ黒にどぎついピンクをあしらった内装。

酒とタバコと香水、それからマニキュアの様な独特の匂い。


私、鹿内 凛は現在、そんなお店の中、黒い大理石調のクッションフロアの上、なるべく小さく端っこに、姿勢よく正座をしている。

これは決して強制された訳でも促された訳でもない、自主的な姿勢である。


「私、肉付き悪くて痩せっぽっちだし、それに何より獣臭くて食べられたものじゃないです...」

自らの腹、二の腕、それから胸やお尻、むんずと掴んで存在しない事を証明してみせる。

けれどもやっぱり取り付く島もなし……何とか生きて帰るにはどうしたら……。


このままじゃ、本当に骨も残らず食べられちゃうよっ!!


「あっ...そうです!!ニンゲンを人間が食べると頭がスポンジみたくなっちゃうんですよっ!?」

「ですから私を──────!!」


「ねぇ...あーちゃんこの子じゃないのあなたの待ち人」

垂幕の裏、薄暗いバックヤード。

その奥に居る誰かに彼女は声を掛ける。

面倒くさそうに小首を傾げる彼女に向いてた視線は自然とその方向へ。


「ん〜?──────何?良樹くん、僕今化粧の途中でっ...て」

聞こえてきたの聞き馴染みこそ無いが、けれども確かに知っている声音。

明るく鈴の音を転がしたような軽快な声。


「はぇ……?」

驚き、と言うよりも、雛が親鳥を見つけた様な…安心感。


「あれれ?随分と早い到着だね鹿内さん」

「高柳...くん?」

覚えたての名前が自然と発声される。

欠けて萎れたしゃがれ声。

涙なんかも流れていたかもしれない。


いや、涙なんかは決して流れていない!

なぜなら私、鹿内 凛は人生において『泣く』と言う経験をした事がないからだ。

真偽は不明だが産まれた時にはクールを気取って沈黙と共に産まれ落ちたと聞いた。

真偽は不明だが…。


「なんだ、来ていたなら連絡の一つでもくれればいいのに」

黄色いドレスワンピース、華奢で折れそうな肢体、ココナッツの様な甘い香り。

どこからどう見ても、可愛らしい女の子…見知った女の子、いや男の子。


「あっ...あぁ...うっ...グスン...ヒッ高柳...くん...」

目元が何やら湿っぽい。これは一体なんだろう?

雨も降っていない、汗でもない、これは…紛れもなく。


「ちょ!?ちょっと鹿内さん?なにが……」

ばっと隣の狼に似た彼女へと体ごと向き直る彼。

「良樹くん...」


「一体何したのこんな小さな子に...」

怪訝そうな顔で問いかける彼に生返事、欠伸混じりで返す彼女。

「人聞き悪いわね、何もしてないわよ」

煩わしそうに手を振ると不機嫌そうに続ける。

「それにあんた、お店ではちゃんこちゃんって呼びなさいって言ってるでしょ?」

忠告を受けやや申し訳なさそうに頷く高柳くん。

二人は一体どんな関係なのだろうか…?

「ごめんね、良樹くん…けれども彼女本当に一体どうしちゃったの?」

「まったく…生意気な小娘...いや小童」

「けれども……本当に、何もしていないのよ。本当よ?」


「う〜ん良樹くんがそう言うなら…けれどもやっぱり…」


「うっ……うぅ……ぐすんっ」


──────私、鹿内 凛はそう弱くはない。

だって如実に物語っている。

私は人生で一度たりとも泪という物を流したことが無いのだ。

そう、今現在、両頬を伝う大粒の水滴は紛れもなく外気との寒暖差による結露の様な物だと私は決定づける。

繰り返すが、私と言う奴は産まれてこの方泣いたことがない。

私が泣く時、その涙はきっと幸福に包まれて感動に涙する嬉し涙だけだと決めているからだ。


それ以外で、私を泣かせる事が出来る事象があるのなら、是非とも体験してみたいものだ。

何を隠そう私は腕っ節には少々の覚えがある。

心技体共に鍛え上げられたこの私を、打ち負かさんとするものが現れたならその時には喜んで迎え打とう。そう、心に決めている。

さぁ!いつだって、かかってくるといい!

私は泣かない、泣いたことも無い、泣かせられるものなら泣かせてみるがいい!

私はいつだって、準備万端だ!


『わああああああぁぁん!』


『ころざれるがとおぼっだああああ〜!!!』


「ちょっと、ちゃんこちゃん……?本当に一体何したのっ!?」


「だから、何もしてないって言ってるでしょう?はぁ...まったく面倒なガキ共...」

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