拝啓 天馬 見て、あの空を自由に飛ぶ鳥たちをⅤ
(まったく、人使いが荒いわ。……まぁ、まずは数日後に控えたロレンツオ様との打ち合わせね。まずここをクリアしないと)
考え事でページを捲る手が止まっていた。
神の山という聞いたことのない珍しい情報は、ぜひとも頭の中に入れておきたい。集中して読もうと一瞬視線を上にあげると、テーブルを挟んだ向かい側に人が座っていた。
「―――ッ!」
驚きのあまり悲鳴を上げそうだった。
先ほどの美形の幽霊が、目の前に座っていたのだ。
いつから座っていたのかまったく気づかなかった。いくら集中していたからといえど、気配も足音もしなかったはずだ。
やはり、幽霊なのか?! と唖然としていると、幽霊はなにかを読んでいた。
(幽霊も本に触れるの? 読むの? あ、でもさっきも本を取ってくれたわね)
そう考えれば、なにかおかしい。この美形、本当に幽霊か?
バクバクと鼓動の激しい心臓を落ち着かせ、じっくりと幽霊を見ると、白い肌は確かに彫像のようにきめ細かく美しかったが、ちゃんと血色がある。
あ、コイツ人間だ。と分かった瞬間、彼が読んでいるのが本ではなく、自分のノートであることに気づいた。
「――ちょっと! なに勝手に人の物を読んでいるのよ!」
指摘しても、銀髪の美形は気にとめた様子もなく、ゆっくりとした動きで口を開いた。
「これは、なんと書かれているんだ?」
ソフィーよりも低い声は完全に男の声なのに、まるで美しい音を奏でる楽器のようだった。品位さえ感じる声音だが、その態度は不遜だ。片肘をつき、ソフィーのノートを指さす。
「だから、勝手に人の物を…」
「これは何語だ?」
銀髪美形が指さすのは、銀星の授業中に暇つぶしに書いた天馬への手紙の部分だった。
「……そ、それは…」
日本語です。とは言えるはずがない。言った所で理解できないだろう。
「見たことのない文字だ。書くのに時間がかかりそうな文字もあれば、子供の落書きのようなものもある。どこ国の文字だ?」
漢字、カタカナ、平仮名の違いを言っているのだろうが、疑問形で問われているとは思えない随分上からの物言いだった。
(前世でも数種類の文字を使用する国は珍しかったし、この世界にもそういった言語は存在しないことを考えても、不思議に思うのは分かるわ。でも、人の物を勝手に読むな!)
「というか、貴方誰よ!」
つい堪えられず席を立ち、声を荒げれば、銀髪美形がキョトンとした顔でこちらを見た。パチパチと、長い銀のまつ毛を揺らす。不躾な男だが、そういう表情は多少可愛く見える。
そこで、まだ本を取ってくれた礼を伝えていないことを思い出し、気を取り直してまた椅子に座り直した。
「失礼いたしました。私はソフィー・リニエールと申します。先ほどは本を取ってくださってありがとうございました。けれど、勝手に人の手紙を読まないでいただきたいわ」
「手紙? こんな切れ端に?」
「これは…、ちょっと暇つぶしに書いただけで、あとでちゃんとノートに清書します」
「便箋ではなく?」
いちいち細かい男だ。そしてとても無礼だ。
(人が名乗ったのだから、貴方も名乗りなさいよ!)
短髪で態度がデカいということは、黒星かと思いながら星の色を確認するが、彼は星をつけていなかった。
(職員? 司書…ではないわよね。若いし…)
銀髪美形は、見た感じ自分とそう変わらない年に見える。一つか二つ上にみえるくらいで、職員の年には到底みえない。
(でも、黒星にこんな無駄にキラキラした男いたかしら? 銅星の可能性もあるけれど、銅星って雰囲気じゃないのよねぇ。…まぁ、なんでもいいけど)
彼が何者であろうが興味のないソフィーは考えることを放棄し、ついでに敬語も放棄し、銀髪美形の質問に答えた。
「いいのよ、これは出すあてのない手紙なのだから」
「なるほど。ただの恋文か」
言い切られ、今度はソフィーが驚いた。
「なぜ恋文になるの?」
「女が出せない手紙というのは、大抵そういうものなのだろう?」
いったいどこ情報なのか知らないが、問われても前世男で、今世も恋人などいない身だ。男女の気持ちの機微など一切分からない。
「その真偽は知らないけれど、これは親友にあてた手紙で恋文ではないわ。変な勘違いしないでちょうだい」
「なら、なぜ本人に出さない」
本当に細かい。
普通、紳士なら女性のことをこと細かに詮索などしないものだろう。
なんと不躾な男だと、ムッとして頬が膨らむ。
(神話級美形だからかしら、貧乳だと馬鹿にしたラルスよりも腹が立つわ…)
怒りを抑え、腹をくくって疑問に答えることにした。
このなんでも聞きたがる男は、まだ紳士になれない幼子なのだ。そう考えれば可愛く思える。ここは淑女らしく優しく接してあげよう。