拝啓 天馬 見て、あの空を自由に飛ぶ鳥たちをⅡ
「完璧とは、欠点や不足がないことを指す言葉です。ヴィンセント講師、貴方はまず正しい言葉の使い方を習得されてから教壇に立つべきですわ。そうでなければ、素直な生徒たちは貴方の言葉を鵜呑みにしてしまいます」
「ッ…!」
バカにされたことをすぐに糾弾しようとしたヴィンセントだったが、それより早くソフィーの唇から、ルカ曰く口撃が放たれた。
「確かに我が国は他国より、下水だめ、下水溝の設備は備わっています。下水溝についても蓋をすることで暗渠化されており、大きさも大雨に配慮された広さがあります。ですが、それだけのこと。結局、汚水は川に流され、下水処理がされているとはまったく言えません。これを下水技術が優れているなどと……失笑ですわ。ましてや、それさえも貴族街だけの話で、それ以外の地区では十分な設備が足りていない現状を考えれば、いったいどこが完璧だと?」
せせら笑いをその白い頬に浮かべ、言葉は続く。
「汚れた下水を浄化してこそ、その意味を持つのです。浄化されていない汚水を川に流していては、川は汚れ、生態系は壊されます。汚れた川の水を人間が飲めば、瞬く間に伝染病が広がるでしょう。それを理解できないなんて」
大変遺憾だとため息を吐くと、すぐにまた少女らしい無邪気な笑みで言う。
「失礼いたしますわ。この場にいても、どうやら私が学ぶことは無いようなので」
静まり返った教室には頓着せず、ソフィーは「お騒がせいたしました」と淑女の礼を執ると、唖然としているルカの腕を引っ張り、教室を後にした。
(我慢が足りないかしら? いえ、我慢する必要を段々感じなくなってきただけよ)
なぜなら、我慢したからといって事態が好転するわけではない。
女学院の時のように、ただ優雅に振る舞うだけでは、現状はなにも変えられない。相手が講師だろうがなんだろうが、降りかかる火の粉は完膚なきまでに払わなければ、また火を放たれるだけだ。
ここは男社会。
爵位、星、肩書、そして成してきた結果が、全てを決める世界だ。
今の自分は、不相応な名誉だけが与えられた、何も成していないこしゃくな小娘でしかない。それ故に、現状は侮られて当然だろうという認識はある。
だが、だからといって笑って受け流すだけでは、この先結果を残したとしても、侮っていい相手だと思わせてしまう可能性がある。それでは、フェリオから賜った“紫星”の価値に傷がつく。
(よし! 今度から、そういう輩は全部泣かせよう!)
火を放つ相手に、少しばかりキツイ発言をしても、まったく良心は痛まない。年下ならば別だが、年上なら容赦する必要もないだろう。勿論、この場合、前世の年齢はカウントしない。
この楚々とした、妙齢でか弱い美少女に刺々しい言葉を放つ男など、ただの鬼だ。
「鬼は鬼退治するまでよ…」
小さく呟いた声音は、思ったよりどす黒く聞こえたのだろう、ルカがビクリと体を震わせた。
だが、すぐさま我に返ったように謝罪してきた。
「申し訳ございません、ソフィー様!」
「どうしたの、ルカ。なぜ貴方が謝るのよ?」
「その…、ヴィンセント講師は、兄と同世代の方でして…。昔から兄のことを敵視されており、それでソフィー様にも、あんな無礼な言い方をされたのだと思います」
やはりヴィンセントの敵愾心は、自分よりも、ロレンツオに向けられていたものだったらしい。
ヴィンセントは、あれでも銀星三つを賜った講師だ。星三つは、銀星では十分優秀だと言えるが、ロレンツオとは比べものにならない。いや、正直比べることすら格が違い過ぎる。
「器の小さい男ね。行間の刑にしてやろうかしら」
「ぎょう…かん?」
それが、とても恐ろしい刑であることを知らないルカが反芻する。
(行間の刑の相手は誰にしてやろうかしら。ロレンツオ様…では、ロレンツオ様まで罰することになってしまうし。行間……、難しいわね)
行間は、ソフィーにとってはかなり難しい方程式だ。難しすぎるため、考えると眉間に皺が寄ってしまう。それを見たルカは、ソフィーがとても気分を害しているのだと勘違いした。
「兄に言って、すぐに対処していただきますので!」
「必要ないわよ。ロレンツオ様もお忙しい方でしょうし、そんなことでお時間を取らせてしまっては申し訳ないわ。今度お会いする時は、事業のことで色々とお願いすることも多いし」
「ですが…」
「それより、せっかく時間もできたことだし、図書館に行きたいのだけどいいかしら?」
小難しい行間のことはとりあえず忘れて、ソフィーは目先の楽しみを優先することにした。
“王の剣”の図書館は、かなりの蔵書があると聞いていたので、絶対に行きたいところだった。場所は初日にジェラルドに案内されていたが、まだ中には入っていない。
どれだけの本があるのか、期待に瞳を輝かせるソフィーに、ルカは困ったような笑みを浮かべながらも承諾してくれた。




