変わり始めた日常
薬屋を出たとき、町の空は夕暮れに染まり始めていた。
ラルフの手には、小さな包みが握られている。
中に入っているのは、エレナに調合してもらったポーションだった。また、契約の前払金として若干の銀貨も持たされた。
「これで、少しは安心かな……」
ラルフは包みを大切にしまい、家路についた。
両親を探すための資金を得る方法が見つかった。それだけでも大きな前進だった。さらに、母の昔の友人と出会い、困ったときには協力すると約束してもらえた。
今日一日で、いろいろなことがあった。
リアに頼まれてマリーを探し、森で不思議な感覚を経験した。見つけた薬草は思いがけない価値を持ち、エレナとの契約にもつながった。
ラルフは歩きながら、自分の手を見つめた。
守護を授かったとき、神官はその能力についてほとんど何も説明できなかった。名前から考えれば、傭兵のようなものなのだろう。
しかし、それだけでは今日の出来事を説明できない。
森では、小さな足跡を見つけることができた。遠くの物音にも気づき、リアが聞き取れなかった音から、トーマスの居場所まで推測できた。
薬草もそうだ。
周囲の草に紛れていたものが、なぜか気になった。薬草の知識がほとんどない自分が、あれほど珍しいものを見つけられたのは不思議だった。
「守護の力……なのかな」
口にしてみても、答えは出なかった。
神官にもわからなかったのだから、今の自分にわかるはずもなかった。
考えても仕方がない。
ラルフはひとまず疑問を頭の隅に追いやり、歩くことに集中した。
今、大切なのは両親を見つけることだ。
そのために何ができるのか。それを考えなければならない。
◇
家に戻ったラルフは、ポーションを棚の奥にしまった。
夕食を済ませ、明日の仕事の準備を終えても、頭の中から両親のことが離れなかった。
これまで、両親が帰ってくるのを待つことしかできなかった。
けれど、もう十一歳になった。守護も授かった。できることがあるのなら、自分から動かなければならない。
まずは、町の捜索隊に話を聞きに行こう。
これまでにどこを調べたのか。どんな手がかりが見つかったのか。そして、まだ調べられていない場所はどこなのか。
何もわからないまま森へ入るより、情報を集めてから動くほうがいい。
父からも、危険な場所へ行くときは状況を確かめろと教わっていた。
冒険者ギルドにも行ってみよう。両親が受けた依頼の内容や、最後に確認された場所について、何かわかるかもしれない。
ただし、畑仕事を放り出すわけにはいかなかった。
両親がいない今、家のことは自分でやらなければならない。畑を放置すれば、収穫もできなくなる。
朝は畑をやって、それから町に行く。
明日の予定を決めると、ラルフはようやく寝床に入った。
それでも、眠りにつくまでには少し時間がかかった。
◇
翌朝。
ラルフはいつもどおり早く起き、畑へ向かった。
空気は澄んでいて、朝露が葉の上できらきらと光っている。
まずは水やり。それから畝の状態を確認し、雑草を取り除く。
毎日繰り返してきた仕事だ。どの作業にどれくらいの時間がかかるのかも、身体が覚えている。
作業を始めてすぐに違和感を覚えた。
「……あれ?」
水の入った桶を持ち上げたときだった。
いつもなら両手でしっかりと持ち、こぼさないよう気をつけながら運ぶ。決して持ち上げられない重さではないが、何度も往復すれば腕には疲れがたまる。
それなのに、今日は妙に軽かった。
歩く速度も速い。畝の間を移動するときも足取りが軽く、普段なら少し息が上がる作業を続けても、ほとんど疲れを感じない。
ラルフは桶を置き、自分の腕を見た。
試しに、いつもより重い道具を持ち上げてみる。
問題なく持ち上がった。
今度は畑の端まで走ってみる。足がよく動き、あっという間に目的の場所へたどり着いた。
「やっぱり普段と違う……」
ラルフは首をかしげた。
毎日同じ畑で、同じ仕事をしているからこそわかる。
今日の自分は、明らかに普段と違っていた。
そこで、昨日の森での出来事を思い出した。
マリーの足跡を見つけたこと。小さな音を聞き取ったこと。周囲の草に紛れた薬草に気づいたこと。
あれも、今日の身体の変化と関係があるのだろうか。
「ちょっと、確かめてみるか……」
畑仕事を終えたラルフは、森へ向かった。
昨日と同じ場所まで歩き、周囲を注意深く観察する。
足元の草。木々の間を吹き抜ける風。遠くから聞こえる鳥の声。
昨日は、意識しなくてもさまざまなものが目に入り、耳に届いていた。
ところが、今日は違った。
注意を向ければ、もちろん足跡も見つかる。鳥の声だって聞こえる。けれど、昨日のように自然と細かな情報が飛び込んでくる感覚はなかった。
目を凝らし、耳を澄ませても、昨日ほどの変化は感じられない。
「昨日だけだったのかな……?」
ラルフは森の中を少し歩いてみたが、特別なことは起きなかった。
身体は軽いままだった。しかし、感覚のほうは普段と大きく変わらない。
何が違うのか、見当もつかなかった。
しばらく考えた末、ラルフは森を離れることにした。
今は、わからないことに時間を使いすぎるわけにはいかない。
昨日決めたとおり、まずは情報を集めるべきだ。
◇
ベネディクタの町に着くと、ラルフは冒険者ギルドへ向かった。
両親が普段から仕事を受けていた場所だ。依頼の記録が残っていれば、何か手がかりを得られるかもしれない。
ギルドの建物に入ると、朝から多くの冒険者が行き交っていた。
依頼書を確認する者、仲間と話し合う者、受付で手続きをする者。
ラルフにとっては見慣れた場所だったが、今日は少し緊張していた。
ここには、両親の最後の仕事を知る人がいるかもしれない。
受付へ向かい、カウンターの前で立ち止まる。
「すみません。少し、お聞きしたいことがあるんですが」
受付の職員が顔を上げた。
「はい。どうしましたか?」
ラルフは一度息を整えた。
「ひと月ほど前に、魔物の調査依頼を受けた両親のことで……。そのときの記録や、捜索について教えていただけませんか?」
職員の表情が変わった。
ラルフは、父と母の名前を告げた。
職員はその名前を聞くと、すぐには返事をせず、カウンターの奥へ視線を向けた。
「少々お待ちください。ギルドマスターに確認します」
ラルフはうなずき、受付の前で待った。
両親を見つけるために、まずは知ることから始める。
今日、自分にできることを一つずつ進めていくつもりだった。




