初めての契約
「リアー! ラルフー!」
森を出てしばらくすると、トーマスの声が聞こえてきた。
「お父さん!」
リアがマリーを抱いたまま駆け寄る。
「おお、見つかったか! よかったな」
トーマスは安堵したように笑い、マリーの頭を撫でた。
「ラルフ、ありがとうな。よく見つけてくれた」
「いえ、無事に見つかってよかったです」
「二人とも、森にはあまり近づきすぎるなよ。何かあったらすぐに大人を呼ぶんだぞ」
「はーい!」
リアが元気よく返事をした。
その後、三人は一緒に農村へ戻った。
家の近くまで来たところで、トーマスは仕事に戻るため二人と別れた。リアもマリーを連れて自宅へ帰っていった。
ラルフは自分の家に戻ると、採取した薬草を取り出した。
母が使っていた薬草に似ていた草。
本当に薬草なら、売ることができるかもしれない。
それなら、両親を探すための資金にもなる。
ラルフは布に包んだ薬草を手に取ると、すぐに家を出た。
向かう先は、ベネディクタの町にある薬屋だった。
◇
昼過ぎ。
商店街から少し外れた通りに、小さな薬屋があった。
看板には薬草の葉を模した絵が描かれている。
ラルフは扉を開けた。
カラン、と小さな鐘が鳴る。
店内には乾燥した植物の香りが漂っていた。棚には大小さまざまな瓶が並び、壁には薬草の標本や植物の絵が飾られている。
「いらっしゃい……って、あら?」
奥から若い女性が顔を出した。
長い髪を無造作にまとめ、白い上着の袖を肘までまくっている。整った顔立ちの美人だったが、その視線はラルフの顔よりも、手に持った布へと向けられていた。
「その包み、何かしら?」
「あの、薬草かもしれないものを見つけたので、調べてもらいたくて……」
「薬草かもしれないもの?」
女性の目が輝いた。
「見せて!」
「は、はい」
ラルフが布を広げると、女性は身を乗り出した。
そして、草を見た瞬間、ぴたりと動きを止めた。
「……ちょっと待って」
女性は草を傷つけないよう慎重に持ち上げ、窓際へ移動した。
光に透かして葉を確認し、根の状態を調べ、茎の特徴を観察する。
さらに棚から何冊もの書物を引っ張り出し、次々とページをめくり始めた。
ラルフは不安そうに、その様子を見守った。
「あの……何か問題がありましたか?」
「問題?」
女性は顔を上げた。
「問題どころじゃないわよ。これ、どこで見つけたの?」
「え?」
「採取した場所よ! どの辺り? 日当たりは? 土の湿り気は? 周囲にはどんな植物が生えていた?」
矢継ぎ早に質問され、ラルフは思わず後ずさった。
「え、えっと……町の外にある森の近くです」
「森の近く……」
女性は草に視線を戻した。
「まさか、こんなところで見つかるなんて……」
彼女は再び書物を開き、何かを確かめるように読み込んだ。
やがて女性は、草をそっと机に置いた。
「間違いないわね」
「あの、これは薬草なんですか?」
「ええ。希少な回復薬の原料になる薬草よ」
女性はラルフを見つめた。
「しかも、かなり質がいい。採取の仕方も丁寧ね。根も葉も、ほとんど傷んでいないわ」
「そうなんですか?」
「そうなのよ!」
女性は興奮したように身を乗り出した。
「この薬草は、熟練の採取者でも見分けるのが難しいの。似た植物が多いうえに、育つ環境によって葉の特徴が変わることもある。薬草の知識がある人間でも、見落とすことが珍しくないのよ」
そう言って、女性はラルフの顔をじっと見つめた。
「あなた、どこでこれを見つけたの?」
「だから、森の近くで……」
「どうやって見つけたの?」
「えっと……なんとなく、気になって」
女性の表情が変わった。
「気になった?」
「はい。周りの草と少し違う気がして……」
女性はしばらく黙ってラルフを見つめたあと、再び薬草へ目を向けた。
「……なるほど。そういうこともあるのね」
それ以上は追及せず、彼女は薬草を丁寧に包み直した。
「それで、これを売りに来たの?」
「いえ、まずは本物かどうか知りたくて……」
「そう。なら、買い取り価格も教えてあげる」
女性は机の引き出しから帳簿を取り出し、計算を始めた。
しばらくして、彼女は顔を上げた。
「この品質なら、金貨数枚にはなるわね」
「……え?」
ラルフは思わず聞き返した。
金貨数枚。
それは、ラルフが畑仕事で得られる収入の半月分に相当する金額だった。
「そんなにするんですか?」
「ええ。もちろん、品質によって値段は変わるけれど、この状態なら十分に価値があるわ」
ラルフは薬草を見つめた。
ただ、気になったから採取しただけの草だった。それが、これほどの価値を持っているとは思わなかった。
ふと、両親の顔が脳裏に浮かんだ。
もし、この薬草でポーションを作ることができたら。
怪我を治療するための回復薬。母の回復魔法とは違うが、冒険者が持っていれば、いざというときに役立つものだ。
父と母がどこかで怪我をしていたとしても、ポーションがあれば助けられるかもしれない。
「あの……」
ラルフは、意を決して口を開いた。
「この薬草で、ポーションを作ってもらうことはできますか?」
女性は一瞬、目を丸くした。
「ポーションに?」
「はい。両親を探しに行くときに、役に立つかもしれないと思って……。この薬草を売ったお金で、作ってもらうことはできませんか?」
女性は少し考え、帳簿を確認した。
「作ること自体はできるわ。でも、この薬草を使ったポーションは、調合にも相応の費用がかかるの」
「……どれくらいですか?」
告げられた金額は、ラルフが簡単に用意できるものではなかった。
薬草を売ったお金だけでは足りない。
「そんなに……」
ラルフは肩を落とした。
「すみません。やっぱり、今回は大丈夫です」
生活費も必要だった。畑を維持するためのお金も、これから両親を探すための資金も必要になる。
今の自分には、無理をしてポーションを作る余裕はなかった。
ラルフが薬草を包み直そうとした、そのときだった。
「待って」
女性が声をかけた。
「ひとつ、提案があるんだけど」
「……何ですか?」
女性は机に両手をつき、身を乗り出した。
「もし、その薬草を定期的に採取できるのなら、私と契約しない?」
「契約、ですか?」
「そう。あなたが採取した薬草を、私が継続的に買い取るの。品質が一定以上なら、相応の値段でね」
女性は真剣な表情で続けた。
「この薬草は珍しいだけじゃない。品質のいいものを安定して入手できれば、私の店にとっても大きな利益になる。あなたにとっても、定期的な収入になるはずよ」
ラルフは目を見開いた。
定期的な収入。
それなら、畑を維持しながら両親を探すための資金を貯められるかもしれない。
「でも……僕、薬草のことはあまり詳しくないんです。今回も、たまたま見つけただけで……」
「構わないわ。採取場所や方法については、これから教えることもできる。もちろん、品質の確認はこちらでするわ」
女性は笑った。
「それに、あなたには何か、普通の人とは違うものがあるのかもしれないしね」
ラルフは、思わず彼女を見つめた。
森で感じた不思議な感覚。
遠くの足跡が見え、小さな音が聞こえ、ほかの草に紛れた薬草が気になったこと。
もしかすると、守護の力なのだろうか。
「……僕で、本当にいいんですか?」
「ええ。むしろ、こちらからお願いしたいくらいよ」
女性は、机の上の薬草を大切そうに包み直した。
「私はエレナ。薬師よ。薬草のことなら、町で私に敵う人間はそう多くないわ」
少し自慢げに胸を張る。
「それで、あなたの名前は?」
「ラルフです」
「ラルフね。じゃあ、これからよろしく」
エレナは手を差し出した。
ラルフは、その手を見つめた。
初めての正式な契約。
少し緊張しながら、ラルフはエレナの手を握った。
「……よろしくお願いします」
「こちらこそ。採取した薬草は、必ず私のところに持ってきてね。品質を確認して、きちんと買い取るから」
「はい!」
ラルフは力強くうなずいた。
両親を探すために、まずは資金を稼ぐ。
そのための新しい仕事が、今日から始まることになった。
「そういえば、ラルフ。さっき、両親を探しているって言っていたわね」
契約の話がひと段落したところで、エレナが尋ねた。
「はい。ひと月ほど前に、仕事で出かけたまま帰ってこなくて……」
「お仕事で?」
「はい。父と母は、魔物の調査に出かけたんです。でも、いつもなら数日で戻ってくるはずなのに、今回は何の連絡もなくて……」
エレナの表情が少し曇った。
「それは心配ね……。ご両親は、冒険者なの?」
「父は農業をしながら、ときどき冒険者の仕事も受けています。母は回復魔法が使えるので、怪我人の治療を手伝うこともありました」
「そう……。お母さんは回復魔法使いなのね」
エレナは少し考え込んだあと、尋ねた。
「お母さんのお名前は?」
「ミアです」
「……ミア?」
エレナの手が止まった。
「ミアっていうのね。お母さんの旧姓、知ってる?」
「はい。ミア・クロージアです」
その名前を聞いた瞬間、エレナは目を見開いた。
「ミア・クロージア……」
小さく名前を繰り返し、やがて懐かしそうに微笑んだ。
「やっぱり間違いないわ。私の知っているミアよ」
「母を知っているんですか?」
「ええ。同じ学校で学んだ同級生なの。回復魔法の才能があってね。私たちの中でも、特に優秀な人だったわ」
エレナは遠い昔を思い出すように、少しだけ目を細めた。
「私は卒業してから、他の街で研究者として働くようになって、ミアも自分の道を歩んでいたから、いつの間にか疎遠になってしまったの」
そこで一度言葉を切り、ラルフを見つめた。
「でも、ずっと会いたいと思っていた人の一人よ」
「……そうだったんですか」
「ええ。昔の友人って、不思議なものね。会わなくなって何年も経つのに、名前を聞いただけで、当時のことをいろいろと思い出すんだから」
エレナは懐かしそうに笑った。
「まさか、こんなところでミアの息子に会えるなんて思ってもいなかったわ」
その笑顔は、先ほどまで薬草を前にして見せていた興奮とは違う、柔らかなものだった。
「それで、ご両親を探しているのね」
ラルフはうなずいた。
「はい。ひと月ほど前に、父と母が魔物の調査に出かけたまま、帰ってこなくなったんです」
エレナの表情から笑みが消えた。
「そんなことが……」
「手がかりもほとんどなくて。だから、僕も自分で探しに行こうと思っています」
エレナはしばらく黙ってラルフを見つめていたが、やがて静かに口を開いた。
「心配でしょうね。大切な家族が突然いなくなってしまったんだもの」
「……はい」
「ミアは優秀な回復魔法使いよ。それに、あなたのお父さんも、何の考えもなく危険な場所へ踏み込むような人ではないのでしょう?」
「……はい。父は、無謀なことはするなって、いつも言っていました」
「だったら、今は簡単に諦めてはいけないわね」
エレナはラルフの肩にそっと手を置いた。
「私にできることがあれば協力するわ。すぐに手がかりが見つかるとは限らないけれど、相談くらいならいつでも乗るから」
「本当ですか?」
「もちろんよ。ミアは私にとって、ずっと会いたいと思っていた友人なんだから。その息子が困っているのに、何もしないわけにはいかないでしょう?」
ラルフは深く頭を下げた。
「ありがとうございます……!」
母のことを覚えていてくれる人がいた。
しかも、母にまた会いたいと思っていた人が、今、自分の目の前にいる。
ラルフは胸の奥が温かくなるのを感じた。
「母のことを知っている人に会えて、本当に嬉しいです。父と母を探すのも、頑張れそうな気がします」
「ふふっ。なら、まずはしっかり食べて、しっかり休むこと。困ったことがあったら私に相談しに来なさい。わたしでできることなら力になるわ。」
エレナは屈託ない笑顔でラルフを勇気づけた。
「はい!」
ラルフも、自然と笑顔になった。




