重たい現実
「少々お待ちください。ギルドマスターに確認してまいります」
受付の女性はそう告げると、カウンターの奥へと姿を消した。
ラルフはその場で待ちながら、落ち着かない気持ちで周囲を見渡していた。
冒険者ギルドは、いつもと変わらない活気に満ちている。依頼書を確認する者、仲間と談笑する者、装備を整えて出発する者。
両親がいなくなってから、もうひと月が経っていた。
この場所には、父と母を知っている人がいる。最後に何をしていたのかを知る人もいるはずだ。
何か一つでも、新しい手がかりが見つかればいい。
受付の奥から話を聞いた顔見知りの職員が声をかけてくれた。
「ラルフ君、こちらへどうぞ」
案内された部屋には、ギルドマスターのロイドが待っていた。
「久しぶりだな、ラルフ」
「ロイドさん……」
ラルフは何度か顔を合わせたことがある。最近では、両親の捜索隊を指揮している姿も見かけていた。
「両親のことを聞きに来たんだな」
「はい。父さんと母さんが最後に受けた依頼のことを知りたいんです。それから、捜索で何かわかったことがあれば教えてください」
ロイドはうなずき、机の上に地図を広げた。
「お前の両親が受けた最後の依頼は、魔の森を通る街道の状態確認だった」
「はい。父と母もそのように話していました。具体的にはどんな依頼なんですか?」
「ああ。そのままだな。魔物の出現状況に変化がないか、街道沿いを調べる仕事だ」
ロイドは街から森へと伸びる街道を指でなぞった。
「ベネディクタから外へ出るには、魔の森を通るこの街道を利用するしかない。近隣の町との交易を維持するためにも、街道を使わないわけにはいかないんだ」
「でも、魔の森って……危険なんですよね?」
「そのとおりだ。だから交易も簡単な仕事じゃない」
ロイドは地図の街道を指でなぞりながら説明を続けた。
「お前にもわかる通り説明すると、交易商人が街を出るのは、およそ月に一度。その際には、領主直属の騎士団から二個小隊、合わせて十二人の護衛がつく。それだけの戦力を揃えても、目的地まで無事にたどり着けるのは全体の八割程度だ」
「八割……?」
「五回に一回は、途中で危険を察知して引き返す。場合によっては、商人や護衛が行方不明になることもある」
ラルフは息を呑んだ。
十二人もの騎士が護衛についていても、五回に一回は無事に交易を終えられない。
それが、この街の外へ出るということなのだ。
「そんなに危ないのに、どうして交易を続けるんですか?」
「交易を止めれば、この街の暮らしが成り立たなくなるからだ」
ロイドは淡々と答えた。
「この街だけで、すべての物資を賄えるわけじゃない。食料の一部も、道具や薬の材料も、外から入ってくるものに頼っている。商人が命がけで街道を2カ月に1回往復してくれるからこそ、ベネディクタの生活は守られているんだ」
ラルフは地図を見つめた。
自分が暮らしている街の外で、そんな危険なことが繰り返されていたとは知らなかった。
「街道を安全に使い続けるには、魔物の動きを把握しなければならない。出現する場所が変わったのか、今まで見かけなかった種類が現れたのか。それを知ることは、商人だけでなく、この街で暮らすすべての人間に関わる問題なんだ」
ロイドは地図の途中を指した。
「街からおよそ三キロ進むと、泉のある開けた場所に出る。ここは街道を通る商人や騎士団が休憩や補給に使う場所だ。ここまでは比較的警戒しやすいが、泉を越えると魔物の危険が大きくなる」
「じゃあ、父さんたちの依頼は……」
「今回の調査は、その泉までの区間が対象だった。街道周辺で魔物の目撃情報に変化があってな。出現する場所や種類が変わっていないか、確認する必要があったんだ」
ラルフは地図を見つめた。
街から三キロ。
騎士団の護衛がついていても、命がけになる道だ。
「そんなところを……父さんと母さんの二人だけで調べたんですか?」
「ああ」
ロイドは静かに答えた。
「ベルクとミアなら遂行できる。俺たちはそう判断した」
「どうしてですか?」
ラルフの声が少し強くなった。
「だって、十二人も騎士団が必要な場所なんでしょう? そんな危ないところなのに、どうして二人だけで……」
「ミアは回復魔法に優れていた。それに、ベルクは経験豊富で判断力もある。二人の連携についても、ギルド内での評価は高かった」
ロイドは一度言葉を切った。
「何より、俺はベルクを信頼していた」
「……父さんを?」
「ああ。長い付き合いなんだ。あいつが無謀なことをする人間じゃないのは、よく知っている。だから今回も、二人なら問題なく帰ってくると思っていた」
ロイドの声に迷いはなかった。
だからこそ、ラルフには、その言葉がつらかった。
「……じゃあ、どうして帰ってこないんですか」
ロイドは答えなかった。
「父さんは、無茶をするなっていつも言ってました。危ないと思ったら逃げろって。ちゃんと考えてから行動しろって……」
ラルフの声が震え始めた。
「母さんだって、危ないことをする人じゃありません。二人とも、ちゃんと帰ってくるって……」
最後の言葉が途切れた。
ロイドは、ラルフの言葉を遮らずに聞いていた。
やがてラルフは、涙をこらえながら顔を上げた。
「それなのに、どうして……!」
小さな拳が机を叩いた。
「二人なら大丈夫だって思ったんでしょう? だったら、どうして二人はいないんですか!」
声が部屋に響いた。
「僕、ずっと待ってるんです! 毎日、帰ってくるかもしれないって思って……。夜になると、今日も帰ってこなかったって……!」
ラルフの目から涙がこぼれた。
「もう一か月も経ってるのに、何もわからないんです! 父さんも母さんも、どこにいるのかさえわからないんです!」
言い終わるころには、ラルフは泣いていた。
止めようとしても、涙が次々とあふれてくる。
「なのに……もう探さないんですか……?」
ロイドは唇を引き結んだ。
「ラルフ……」
「捜索隊は、もう終わりなんでしょう? 何も見つかってないのに……。どうして、終わりにできるんですか……!」
ロイドはすぐには答えられなかった。
「……すまない」
ようやく出た言葉は、それだけだった。
ラルフは涙を拭った。
「ロイドさんが謝ったって、父さんも母さんも帰ってこないじゃないですか……!」
言ってから、ラルフははっとした。
目の前のロイドを困らせたいわけではなかった。
でも、どうしようもなかった。
悲しい。怖い。何もわからない。
父と母がどこかで助けを待っているかもしれないのに、自分には何もできない。
その苦しさを、どうしたらいいのかわからなかった。
ロイドは責めることも、言い返すこともしなかった。
「そうだな。俺が謝っても、何も変わらない」
彼はラルフの目を見た。
「それでも、二人を帰せなかったことを、俺は申し訳なく思っている。今回の依頼を出したのは俺だ。二人を信頼していたからこそ任せた。その結果、二人が戻らなくなった。その事実から、俺は逃げるつもりはない」
ラルフはうつむいたまま、肩を震わせていた。
「捜索では、街道沿いだけでなく、泉の周辺とその先まで調べた。だが、足跡も、装備の破片も、争った痕跡も見つからなかった。魔物に襲われたと断定できる証拠すらない」
「何も……ないんですか?」
「ああ」
ロイドの声も苦しそうだった。
「二人がどこへ行ったのか、なぜ帰ってこないのか。俺にもわからない」
ラルフは両手で顔を覆った。
何もわからない。
その言葉が、何よりもつらかった。
もし、魔物に襲われたのなら。もし、どこかで怪我をしているのなら。
どんなに恐ろしいことでも、何かがわかれば、探すためにできることがあるかもしれない。
けれど、今は何もない。
「……僕、どうしたらいいんですか」
かすれた声が漏れた。
「僕、父さんと母さんを見つけたいんです……。でも、どこを探せばいいのかもわからない……」
ロイドはしばらく黙っていた。
それから、机の上の地図をラルフのほうへ押し出した。
「今、俺たちが調べた場所はここに記してある。捜索記録もまとめてある。必要なら持っていくといい」
ラルフは涙に濡れた顔を上げた。
「……見てもいいんですか?」
「もちろんだ。二人のことを知りたいというお前に、隠す理由はない」
ラルフは震える手で地図と記録を受け取った。
「ありがとうございます……」
ロイドは小さくうなずいた。
「だが、ラルフ。一つだけ、絶対に約束してほしいことがある」
「……何ですか?」
「一人で魔の森へ入るな」
ロイドの声は、先ほどまでよりも厳しかった。
「お前は十一歳だ。守護を授かったばかりで、冒険者としての経験もない。そんなお前が、魔の森に一人で入ったらどうなると思う?」
ラルフは答えられなかった。
「確実に死ぬぞ」
はっきりと告げられた言葉に、ラルフの肩がびくりと震えた。
「森の魔物は、街道で見かけるものばかりじゃない。どこに潜んでいるのかも、どれほど強いのかもわからない相手がいる。お前が気づく前に襲われることだってある。どれだけ両親を心配していても、お前まで命を落としたら、何の意味もない」
「でも……父さんと母さん、帰ってこないじゃないですか……!」
ラルフは涙を拭いながら、ロイドを見上げた。
「父さんは強いんでしょう? 母さんだって回復魔法が使えるんでしょう? それなのに、どうして……!」
「……ああ。ベルクは強かった」
ロイドは静かにうなずいた。
「お前は、父親の守護が何だったか知っているか?」
突然の問いに、ラルフは戸惑った。
「斧を使う守護だったと思います。父さん、いつも斧を使っていたから……」
「ベルクの守護は『戦鬼』だ。斧を扱う戦士の中でも、極めて希少な上級守護だよ」
「……戦鬼?」
「ああ。この街で戦鬼の守護を持つ者は、俺の知る限り、領主直属騎士団の団長と、かつて冒険者として活動していた者しかいない」
ラルフは目を見開いた。
「そんなに……珍しいんですか?」
「誰でも授かれるような守護じゃない。戦鬼は高い戦闘能力を持つ。ベルクはその力を実戦で使いこなせる男だった。冒険者として活動していた頃から、騎士団にも一目置かれていた」
ラルフは言葉を失った。
父が斧を使う姿なら、何度も見たことがある。
薪を割るときも、農作業をするときも、父はいつも斧を手にしていた。
それが上級守護によるものだとは知らなかった。
「父さんが……そんなにすごい人だったなんて……」
「ミアも優秀な回復魔法の使い手だった。戦鬼の守護を持つベルクと、ミアの回復魔法。その二人だからこそ、今回の調査を任せられると判断したんだ」
ロイドの声には、確かな信頼があった。
「ベルクは強さを誇るような男じゃなかった。勝てない相手とは戦わない。危険を感じれば退く。無謀な戦いをしない男だった。だから俺は、あいつを信頼していた」
ラルフは唇を震わせた。
「じゃあ……父さんも母さんも、普通の人よりずっと強かったんですよね?」
「ああ」
「それなのに……」
ラルフの目から、再び涙があふれた。
ロイドは答えられなかった。
ラルフは何度も首を振った。
「だったら、どうして何もわからないんですか! どうして、二人ともいなくなっちゃったんですか!」
声が震え、言葉が途切れる。
強かったのなら、きっと大丈夫だと思いたかった。
父は自分が知っているよりもずっと優れた戦士だった。母も、ただ優しいだけの人ではなかった。
それなのに、二人は帰ってこない。
強さも、経験も、優れた守護も、二人が今どこにいるのかを教えてはくれなかった。
「……もう一か月も経ってるのに」
ラルフの声は、かすれていた。
「そんな二人が、どこにいるのかもわからないなんて……。僕、どうしたらいいんですか……」
ロイドはしばらく黙っていた。
「捜索を打ち切ったのは、手がかりがなかったからだ。街道沿いだけでなく、泉の周辺も、その先も調べた。だが、何も見つからなかった。人員にも限りがある。手がかりがないまま、いつまでも同じ規模の捜索を続けることはできなかったんだ」
「……見つかってないのに」
「ああ」
ロイドは苦しそうにうなずいた。
「だからといって、二人が死んだと決まったわけじゃない。俺たちにも、今は何も断言できない」
ラルフは地図と捜索記録を胸に抱いた。
今すぐ森へ行きたい。自分で探したい。
その気持ちは変わらなかった。
それでも、父ならどうするだろう。
まずは状況を確かめろ。何が起きたのかを考えろ。勝てない相手と戦うな。
きっと、そう言うはずだった。
「……はい」
ラルフは顔を上げた。
「僕、絶対に父さんと母さんを見つけます」
涙声だったが、その言葉だけははっきりしていた。
ロイドは、まっすぐにラルフを見つめた。
「ああ。二人が無事に帰ってくることを願っている」
ラルフは深く頭を下げ、部屋を後にした。
ギルドを出ると、街にはいつもどおりの人々の暮らしがあった。
荷車が行き交い、商人たちが声を張り上げ、子供たちが道を走っている。
何も変わっていないように見える街の中で、ラルフだけが取り残されている気がした。
父が上級守護を持つ優れた戦士だったことも、母が優れた回復魔法の使い手だったことも、初めて知った。
二人がどれほど信頼されていたのかも、今になって知った。
それなのに、二人がどこへ消えたのかは、何一つわからない。
ラルフは手元の地図を見つめた。
もう、待っているだけではいられない。
父と母がどこにいるのかを知るために。
ラルフは地図と記録を抱え直し、家へ向かって歩き始めた。




