今自分にできること
ギルドを訪れてから、三日が経った。
ラルフは家の裏手にある森で、薬草を探していた。
以前、リアとマリーを探したときには、遠くの足跡や小さな物音に気づくことができた。あのときは、自分でも不思議なくらい、周囲の様子がよく分かった。
しかし、今は違う。
目を凝らしても、すぐに薬草が見つかるわけではない。似たような葉を見分けるのにも時間がかかるし、ようやく見つけたものが目的の薬草ではなかったこともある。
それでも、ラルフは諦めなかった。
日当たりのよい場所と、湿った土の多い場所。周囲に生えている植物の種類。昨日見つけた場所と、今日見つけた場所。
一つずつ観察し、覚え、間違えたところは次に確かめる。
すぐに成果が出るわけではなかったが、少しずつ採取できる薬草は増えていた。
昼過ぎ、ラルフは採取した薬草を持ってエレナの店を訪れた。
「いらっしゃい。今日はどうだった?」
店内には乾燥させた薬草の香りが漂っていた。棚には大小さまざまな瓶が並び、壁には植物の図や、細かな文字が書き込まれた紙が貼られている。
エレナは受け取った薬草を一つずつ確認していった。
葉の状態を確かめ、茎を指先で軽く曲げ、傷みがないかを調べる。
「うん。前より状態がいいわね」
彼女は薬草を分けながら、代金を計算した。
ラルフが受け取った金額は、昨日よりもわずかに多かった。
「……昨日より、少し多いです」
「品質がよくなっているもの。きちんと状態を見て採れるようになってきたわね」
エレナは満足そうに頷いた。
「採った場所も覚えておきなさい。同じ種類でも、生えている環境によって状態が違うことがあるから。うまくいかなかった場所も、記録しておけば次に役立つわ」
「分かりました」
ラルフは教えられたことを頭の中で整理した。
薬草を見つけることだけが目的ではない。どこに生えていたのか、どういう状態だったのか。それを覚えていけば、次はもっと効率よく探せるようになる。
地道な作業だった。
けれど、今の自分にできることは、こうして一つずつ増やしていくしかなかった。
薬草の代金を受け取ると、ラルフは店を後にした。
その足で向かったのは冒険者ギルドだった。
受付でロイドの所在を尋ねると、奥の部屋にいると教えられた。ラルフが訪ねると、ロイドは書類から顔を上げた。
「ラルフか。どうした?」
「父さんたちのことで、何か新しい情報がないかと思って」
ロイドは少しだけ表情を曇らせた。
「残念だが、今のところ新しい情報はない」
「そうですか……」
分かっていたことだった。それでも、直接聞かずにはいられなかった。
ロイドは書類を脇に置き、思い出したように続けた。
「そういえば、今回こちらへ来るはずだった交易隊も、到着しなかったらしい」
ラルフは顔を上げた。
「交易隊も……?」
「ああ。詳しい状況は分からん。途中で引き返したのか、それとも何かあったのか。今の段階では判断できない」
ラルフは黙り込んだ。
両親が向かったのは、魔の森を通る街道だった。
そして、その街道を通るはずだった交易隊まで到着していない。
偶然なのだろうか。
それとも、森で何かが起きているのだろうか。
「……森の様子が変わっているんでしょうか」
「可能性はある。だが、確かなことは何も分かっていない」
ロイドの答えは慎重だった。
「だからといって、何もせずに待っているわけにもいかないんです」
ラルフはロイドを見つめた。
「俺に、戦い方を教えてください」
ロイドはすぐには答えなかった。
「前にも言ったはずだ。魔の森は危険だ。一人で入れば、確実に死ぬぞ」
「分かっています」
「本当に分かっているのか?」
「……今のままじゃ、何もできないことは分かっています」
ラルフは拳を握った。
「だから、強くなりたいんです。父さんたちを探しに行けるくらいに」
しばらくの沈黙のあと、ロイドは椅子の背にもたれた。
「お前の守護は、何だった?」
「天秤傭兵です」
「天秤傭兵?」
ロイドは聞き慣れない言葉を確かめるように繰り返した。
「…傭兵の守護自体は、それほど珍しいものじゃない。冒険者には割と多い守護だ」
「そうなんですか?」
「ああ。傭兵は依頼を受け、報酬と引き換えに仕事をする戦士のことだ。傭兵の守護も、依頼や契約を結ぶことで力を発揮する性質があると言われている。能力で言えば武芸一般に秀でているオールラウンダーが多いというイメージだ。契約ごとについても冒険者はギルドを通じて依頼を受けることが多いから、相性がいいんだろうな」
ロイドは腕を組んだ。
「ただ、天秤傭兵という名前は聞いたことがない。少なくとも傭兵と同じように戦闘職の一種なんだろうくらいしか分からんな」
「じゃあ、僕の守護が何をできるのかも……」
「今は分からん。名前だけで能力を決めつけるのは危険だ。分からないことは、分からないままにしておこう」
ラルフは頷いた。
自分の守護が何なのか。それが分かれば、両親を探す手掛かりになるかもしれない。
しかし、今はまだ何も分からない。
「それより、武器の扱いを覚えたいんだったな」
ロイドは立ち上がり、訓練場へ向かった。
「お前の体格で大斧を扱うのは難しい。振り回されて終わりだ。まずはナイフかショートソードだな。軽くて取り回しがよく、今のお前でも扱いやすい」
訓練場の隅には、木製の模擬剣が何本も置かれていた。
ロイドはその中から二本を選び、一方をラルフに渡した。
「まず、俺の動きを見ていろ」
ロイドは模擬剣を構えた。
次の瞬間、剣が動いた。
頭上からの鋭い振り下ろし。そこから間を置かずに繰り出される横薙ぎ。戻した剣を斜めに切り返し、最後は一直線の突きへとつなげる。
一連の動作に無駄がなかった。
速さだけではない。剣の軌道は正確で、踏み込みから腕の動きまでが一つにつながっている。
ラルフは息を詰めて見ていた。
「できる範囲で真似してみろ」
ラルフは模擬剣を構えた。
最初の振り下ろしは、狙った位置から少しずれた。横薙ぎでは肩に余計な力が入り、切り返しもぎこちない。最後の突きは足が追いつかず、上半身だけが前に出た。
「もう一度」
ロイドの声に、ラルフは構え直した。
二度目。三度目。
何度か繰り返すうちに、少しずつ動きが整っていった。最初に指摘された足の位置を直し、剣の軌道を意識する。失敗した動きをそのまま繰り返すことはなかった。
粗さは残っている。力も足りない。
それでも、剣筋には見るべきものがあった。
ロイドはラルフの動きを注意深く観察した。
十一歳で、これはなかなかのものだな。
動きを見る目がある。指摘を受ければ修正できるし、身体の動かし方にも妙な癖が少ない。
さすが、戦鬼の息子か。
ふと、自分が十一歳だった頃を思い出した。
同じ年齢の自分と比べても、ラルフには確かな素質がある。正しく鍛えれば、強くなるだろう。
だが、それと魔の森で生き残れるかどうかは別の話だった。
「そこまでだ」
ラルフが剣を下ろした。
「どうでしたか?」
「剣の扱いには素質がある。動きを見る目も悪くない。教えたことを覚えるのも早い」
ラルフの表情がわずかに明るくなった。
しかし、ロイドは続けた。
「だが、今のお前が魔の森に入れば、簡単に死ぬ」
ラルフの表情が固まった。
「剣を振れることと、森で生き残ることは違う。相手はお前が構えるまで待ってはくれない。気づく前に襲われることもある。逃げるべき相手を見極める判断も、魔物の習性についての知識も、危険を察知する経験も足りていない」
「……はい」
「剣の腕だけを磨けばいいわけじゃない。森では、戦わずに済ませることも、退くことも必要になる。武器を持っているからといって、勝てる相手ばかりじゃないんだ」
ロイドは模擬剣を受け取り、元の場所に戻した。
ラルフは何も言わなかった。
強くなりたい。両親を探したい。
その気持ちは変わらない。
だが、今の自分には足りないものが多すぎる。その事実を、ラルフ自身も理解していた。
ロイドは少年を見た。
父親を失ったかもしれない子供が、何もできずに待つことに耐えられないのは分かる。自分の手で探しに行こうとする気持ちも、止めることはできないだろう。
だからこそ、無謀な行動に出る前に教えなければならなかった。
剣の振り方だけではない。
周囲を見ること。危険を察すること。勝てない相手から逃げること。生きて帰るために、何を選ぶべきか。
教えるべきことはいくらでもある。
ラルフを魔の森に向かわせないことができないのなら、せめて、向かう前に生き残るための知識と技術を身につけさせる。
ロイドは模擬剣を置いたまま、しばらく考え込んでいた。
この少年を、無謀な挑戦で死なせるわけにはいかない。
今の自分にできることは、それしかなかった。




