初めての依頼 ②
家の裏手から続く道を歩きながら、ラルフは周囲を注意深く見渡していた。
マリーが最後に目撃されたのは、畑の方へ歩いていく姿だったという。
ならば、まずは畑の周辺を探し、それでも見つからなければ森の近くまで範囲を広げていく。
父から教わった捜索の基本だった。
「マリー! どこにいるの?」
リアが声を張り上げる。
しかし、返事はなかった。
二人は畑の脇を通り、草むらの中を覗き込んだ。
普段、マリーがよく昼寝をしている木の根元や、日差しを避けられる茂みの陰も確認したが、猫の姿は見当たらない。
「いないね……」
リアが肩を落とした。
「もう少し先を探してみよう」
ラルフはそう答え、台地の縁に向かって歩き始めた。
ふと、ラルフの足が止まった。
「……あれ?」
「どうしたの?」
リアが振り返る。
ラルフは、少し先にある草地を見つめていた。
二人が立っている場所からは、まだかなり距離がある。
地面には短い草が生え、その向こうには木々が点々と並んでいる。
特に変わったものはない。
少なくとも、リアにはそう見えた。
しかし、ラルフの目には、草地の一角に小さな跡が見えていた。
地面に残された、いくつもの窪み。
その間隔と形を見て、ラルフは自然と口を開いた。
「……あそこ、猫の足跡がある」
「えっ?」
リアは目を凝らした。
けれど、何も見えない。
「どこ?」
「ほら、あの草が少し倒れているところ。その手前の土にも、小さな跡が続いてる」
ラルフが指を差す。
リアは示された場所をじっと見つめた。
それでも、やはり分からなかった。
「あそこまで見えるの?」
「うん?」
ラルフは不思議そうにリアを見た。
「見えるだろ?」
「見えないよ! 遠くて何も分からないもん!」
リアは慌てて首を振った。
ラルフはもう一度、遠くの地面に目を向けた。
確かに、足跡はそこにある。
小さな窪みが、草地の向こうへと続いていた。
「そっか。じゃあ、近くまで行って確かめよう」
ラルフは何でもないことのように歩き出した。
リアは、その後ろ姿を呆然と見つめてから、慌てて追いかけた。
少し進むと、ラルフの言ったとおり、地面に小さな足跡が残っていた。
猫のものだった。
リアは思わず声を上げた。
「本当にあった!」
「うん。マリーのかもしれないね」
ラルフはしゃがみ込み、足跡を確認した。
「まだ新しいと思う。こっちに続いてる」
「でも、私、全然見えなかったよ……」
リアは自分の目をこすった。
同じ場所を歩いてきたはずなのに、どうしてラルフには見つけられたのだろう。
ラルフはそんなリアの疑問に気づく様子もなく、足跡を追い始めた。
やがて、二人は台地の縁に近い森の入り口へとたどり着いた。
木々の間から、涼しい風が吹き抜ける。
森の中は薄暗く、草むらの奥には何が潜んでいるのか分からない。
ラルフは立ち止まり、周囲を見渡した。
その瞬間。
「……あっちだ」
小さくつぶやいた。
「え?」
リアが顔を上げる。
ラルフは森の方へ視線を向けていた。
「今、何か音がした」
「音?」
リアは耳を澄ませた。
風が葉を揺らす音しか聞こえない。
「何も聞こえないよ?」
「そう? あっちの茂みの向こう。何かが動いたような音がしたんだけど」
ラルフは首を傾げながら、ゆっくりと歩き始めた。
リアも慌てて後を追う。
すると、しばらくして、再び小さな音が聞こえた。
カサリ。
草を踏むような、ごくかすかな音だった。
ラルフはすぐに足を止めた。
「ほら、今の!」
「えっ……?」
リアは驚いて周囲を見回した。
今度は、彼女にもかすかに聞こえた気がした。
ラルフは音がする前から、その方向を気にしていた。
まるで、音が聞こえることが当たり前であるかのように。
「マリーかな?」
ラルフは茂みを見つめた。
「マリーならいいんだけど……」
そう言いながら、慎重に近づいていく。
リアはラルフの服の裾をつまんだ。
「ねえ、ラルフ」
「ん?」
「どうして、そんなにいろいろ分かるの?」
ラルフはきょとんとした。
「何が?」
「足跡も、音も! 私には全然分からなかったのに、ラルフは遠くから見つけちゃうし、ちっちゃな音だってすぐに気づくんだもん!」
リアは興奮した様子で続けた。
「すごいよ! もしかして、それが天秤傭兵の守護の力なの?」
「えっ……?」
ラルフは、自分の手を見下ろした。
言われてみれば、確かに不思議だった。
遠くにある小さな足跡が、はっきりと見えていた。
風に揺れる木々の音に紛れてしまいそうな物音も、聞き逃さなかった。
けれど、ラルフ自身には、何か特別なことをしているという感覚がなかった。
ただ、マリーを探していただけだ。
「……そうなのかな?」
ラルフは首を傾げた。
「でも、普通に見えるし、聞こえるからなあ」
「普通じゃないよ!」
リアは即座に言い返した。
「私にはできないもん!」
あまりにも真剣な顔にラルフは思わず笑ってしまった。
「そっか。じゃあ、ちょっと便利な守護なのかもしれないね」
「ちょっとどころじゃないと思う!」
リアは頬を膨らませた。
神官にも分からなかった守護。
何ができるのか、本人にも分からないと話していた守護。
それなのに、ラルフは今、誰にも教わることなく、その力を使っているように見えた。
リアは、2歳しか変わらないラルフが急に頼もしく思えてきた。
「ねえ、ラルフ。マリー、見つかりそう?」
「うん。きっと大丈夫だよ」
ラルフは、森の奥へと続く草むらを見つめた。
その視線の先には、まだ二人には見えていない小さな足跡が続いていた。
ラルフは、それを当たり前のように追い始める。
自分の身に何が起きているのか、気づかないまま。




