追う背中
その日、僕は農作業を終え、トーマスさんやリアと一緒に遅い昼食を食べていた。
のんびりと話をしていると、エドガー様の使いの方がやってきた。僕が呼び出されるのは珍しいことだった。
用件を尋ねても、使いの方は詳しいことを話さず、騎士団の詰所まで同行するようにと告げた。
言われるままに詰所へ向かい、中へ入る。
そこにはエドガー様とヘーゼル騎士団長をはじめ、騎士団の幹部たちが揃っていた。
そして、ロイドさんもいた。
僕からちらりと見えたロイドさんの表情は、これまでにないほど厳しかった。
「エドガー様。こんにちは」
「ああ、ラルフ。呼び出してすまない。座ってくれ」
「ラルフを呼んだのは他でもなく、実は今日ヘルビーストの討伐が決定した。一週間後だ」
「決まったんですか」
「ああ。そして、いきなりの話で驚くかもしれないが、私はラルフにも討伐に参加してほしいと考えている」
思わず、その場にいる全員を見回した。
誰もが硬い表情をしていた。
「今回の作戦では、ヘルビーストを発見することが重要になる。君の能力があれば、敵に先手を打てる可能性が高まると考えている」
エドガー様は一度言葉を切った。
「この点については、すでに全員で話し合った。君の能力を作戦に組み込むことには、ここにいる全員が賛成している」
そして、ロイドさんへ視線を向けた。
「ただし、まだ成長途上の君を危険な戦いに連れていくべきではないと、ロイド殿は強く反対している」
僕はロイドさんを見た。
ロイドさんは歯を食いしばり、何も言わなかった。
「その懸念はもっともだ。危険があることは、私も理解している」
エドガー様は再び僕に向き直った。
「しかし、私は領主代行として皆の損耗を減らし、勝つ可能性がわずかでも高まるなら、使える手段はすべて使うつもりだ」
まっすぐに僕の目を見つめる。
「そして、私たちは話し合いの末、君自身の意思を最優先にすることにした」
エドガー様は少し間を置き、丁寧に僕に聞いてくれた。
「ラルフ。今の話を聞いてどう思うか教えてほしい。時間をかけて構わない。誰に遠慮する必要もない。率直に話してほしい」
ヘルビーストと戦う…
そんなこと、想像したこともなかった。
隣に座るロイドさんを見た。
ロイドさんも僕を見たが、何も言わず、険しい顔で前を向いた。
「ぼ、僕は……」
言いかけて、口をつぐむ。
「な、何をすればいいんでしょう……?」
ようやく出た声は震えていた。
「具体的にはロイド殿達と組んで、魔の森の中で斥候を務めてほしい」
膝の上で握りしめた手に、じわりと汗がにじんだ。
「僕……怖いです……」
自分でも情けないと思うほど、小さな声だった。
それでも、僕は顔を上げた。
「でも、父を……傷つけたヘルビーストは、本当に憎いです……」
父の顔が浮かんだ。
あの傷を負った父の姿を思い出す。
もし、あの魔獣がまた誰かを傷つけたら。
もし、僕の力が誰かを守るために使えるのなら。
「……もし、皆さんが同じ目に遭うのを、少しでも防げるなら……。僕でも役に立てるのなら……」
息を吸った。
「ぼ、僕も戦いたいです!」
*
それから、ロイドさんとの本格的な魔の森での訓練が始まった。
これまでの訓練とは違った。
ロイドさんは、僕が自分で状況を判断し、主体的に動けるよう、厳しく指導した。
「ラルフ、あそこを見てみろ」
森を進んでいたロイドさんが、少し先の茂みを指さした。
僕には草木が生い茂っているようにしか見えなかった。
「何かいますか?」
「それを自分で考えろ。周囲をよく見てみろ」
僕は足を止め、茂みの周囲を観察した。折れた枝に、踏み固められた地面。何かが通った跡のようだった。
「何かが通ったんだと思います。でも、いつ通ったのかまでは分かりません」
「そうだな。跡を見つけるだけじゃ足りない。今もそこにいるのか、どこへ向かったのか。周囲の様子から考えるんだ」
僕は改めて茂みを見たが、魔獣の姿は見つけられなかった。
「……分かりません」
「なら、分からないまま近づくな。見落とした可能性も考えて動け」
ロイドさんは少し離れた場所から茂みを確認し、何もいないことを確かめると歩き出した。
昼を過ぎた頃、森の中で休憩を取っていると、ロイドさんが尋ねた。
「敵を見つけたら、どうする?」
「種類や数、動きを確認して、ロイドさんに報告します」
「俺が敵に気づかれて動けなくなったら?」
僕は答えに詰まった。
「……助けようとすると思います」
「そのせいでお前まで動けなくなったら、誰が情報を持ち帰る?」
何も言えなかった。
「仲間を見捨てろと言ってるんじゃない。助けを呼ぶのか、敵の注意をそらすのか、撤退して援軍を連れてくるのか。状況を見て判断しろってことだ」
ロイドさんは真剣な顔で続けた。
「今回の相手はヘルビーストだ。お前の感覚がどれほど優れていても、何もかも分かるわけじゃない。自分の力を過信するな」
*
昼を過ぎ、森の中で休憩を取っていたときだった。
「なあ、ラルフ」
ロイドさんが水筒をしまいながら、僕を見た。
「本当に、討伐に参加するつもりなのか?」
僕は頷いた。
「……はい」
「怖くないのか」
「怖いです」
迷わず答えると、ロイドさんは少しだけ目を細めた。
「エドガー様は、僕の力が役に立つと言っていました。でも、ロイドさんは反対していましたよね」
「ああ」
「……僕が弱いからですか?」
「違う」
ロイドさんは即座に答えた。
「お前がまだ十一歳だからだ。お前はまだ自分がどこまで成長できるのか分かっていない。」
「え……?」
「お前には、まだまだ伸びる余地がある。今はできないことも、経験を積めばできるようになるだろう。俺は、お前がこれからどんな冒険者になるのか、楽しみにしているんだ」
ロイドさんは一度、言葉を切った。
「だからこそ、こんなところで命を懸けてほしくない」
その声は、いつもの指導のときとは違っていた。
「お前がこれから何年もかけて身につけるはずの技術も、出会うはずの人たちも、経験するはずのことも、まだ何一つ始まっていない。俺は、お前がこれからどう成長していくのかを見ていたいんだ」
僕は何も言えなかった。
「今回の討伐に参加すれば、死ぬかもしれない。どれだけ訓練しても、どれだけ準備しても、絶対に安全だとは言えない。そんな危険な任務に、お前を連れていく。それが俺には……」
ロイドさんは、そこで言葉を止めた。
「……決められなかった」
初めて聞くロイドさんの言葉だった。
「お前を鍛えてきたのは、こんなところで使い潰すためじゃない。」
ロイドさんが心配しているのは、僕の力が足りないからだけじゃない。僕が傷つくことを、本当に恐れているのだと分かった。
「でも、ロイドさん」
僕は言葉を探しながら続けた。
「僕、何もしないで待っているの、もう嫌なんです。皆さんが危険な目に遭うかもしれないのに、僕にできることがあるなら……やってみたいんです」
ロイドさんはしばらく僕を見つめていた。
やがて、大きく息を吐いた。
「……分かった。ただし、俺の言うことは必ず守れ」
「はい!」
「危険だと判断したら、すぐに撤退する。敵を見つけても、無理に近づくな。自分の力を過信するな。お前の役目は、敵を倒すことじゃない。見つけて、情報を持ち帰ることだ」
「分かりました」
「それから、俺が何を言おうと、自分で考えることをやめるな。俺だって間違えることはある。状況を見て、おかしいと思ったら声を上げろ」
僕は強く頷いた。
「よし。なら、残りの一週間でできる限りのことを教える。半端な覚悟ではやらせない」
ロイドさんが立ち上がった。
「休憩は終わりだ。戻るぞ、ラルフ」
僕も立ち上がり、ロイドさんの後を追った。
怖さが消えたわけではない。
それでも、僕はロイドさんの後を追った。




