素質
翌日、ラルフは冒険者ギルドでロイドと合流した。
「おう!ラルフ。今日はどうする?」
「森へ行きたいですっ!」
「ずいぶん熱心だな。よし、んじゃ今日はもう少し森の中まで入ってみるか」
「はい!」
ギルドを出て、森へ向かう道を歩く。
ラルフは気になっていたことを尋ねた。
「ロイドさん。魔獣を調べててずっと疑問だったんですが、初めて見る魔獣のランクって、どうやって見分けるんですか?」
「ん?簡単だ。でかくて、速くて、強くて、怖いやつほど高ランクだ」
「……どこかの定食屋さんみたいですね」
「ははっ確かにそうだな!」
ロイドは楽しそうに笑った。
「まあ、見た目だけで決められるもんじゃないな。大きくても動きが鈍いのもいれば、小さくても厄介な毒を持つやつもいる。攻撃力だけじゃなく、速さや習性、対処の難しさも含めて判断するんだ」
「じゃあ、見たことのない魔獣に出会ったら?」
「まず距離を取る。むやみに近づかず、動きや周囲の様子を観察する。分からないことが多いなら、戦わずに引くのが鉄則だ」
ロイドはラルフの頭に手を置いた。
「冒険者は、生きて帰ってこそだ」
「はい!」
*
頭上を覆う枝葉のせいで、森の中は街道よりも薄暗かった。
踏みしめる落ち葉が、かさりと音を立てる。
ラルフは腰の剣に手を添え、前を歩くロイドの背中を追った。
「昨日と違って、今日は中に入る。足元ばかりじゃなく、木の上や、左右の茂みも確認しろ」
「はい」
「俺から少し離れて周囲を見てもいい。ただし、お互いが見えないところへは行くな」
ラルフは頷き、ロイドの斜め後ろへ移動した。
目の前には木々が立ち並び、大小さまざまな草が地面を覆っている。倒れた木の幹には苔が生え、ところどころに小さな穴が開いていた。
「ラルフ、あそこの地面を見てみろ」
ロイドが指さした先には、土が掘り返された跡があった。
「何かが通った跡ですか?」
「そうだ。爪の跡が残っている。大きさからすると、E−Dランクくらいの魔獣だろうな」
ロイドはしゃがみ込み、地面を指でなぞった。
「土がまだ乾ききっていない。そう古い跡じゃない。が、今も近くにいるとは限らない」
ラルフも隣にしゃがみ、跡を観察した。
土の盛り上がり。潰れた草。近くの木の根元に残った、浅い引っかき傷。
その周囲にも注意を向ける。
ラルフは顔を上げ、森の奥を見渡した。
「……あっちかな」
「何がだ?」
「この跡見てたら…あっちが気になります」
ラルフが示したのは、少し離れた茂みだった。
ロイドはすぐには動かなかった。
耳を澄ませ、風の向きを確かめ、周囲の地面を見渡す。
何も聞こえない。目立った痕跡もない。
「理由は?」
「……うまく言えません」
ラルフは困ったように眉を寄せた。
ロイドはラルフの顔を見たあと、ゆっくりと茂みへ視線を向けた。
「分かった。俺が確認する。お前はここで待っていろ」
ロイドは足音を殺し、木の陰を伝って茂みへ近づいた。
枝を避け、地面を確認し、視界を遮る葉の隙間から奥を覗く。
茂みの奥で何かが動いた。
草の間から、小型の魔獣が顔を出す。犬に似た姿のグラスハウンドだった。
魔獣は鼻先を動かし、周囲の匂いを嗅いでいる。
ロイドは静かにラルフのもとへ戻った。
「よく気づいたな。あそこに一匹いた」
「本当ですか?」
「ああ。ただ、どうして分かった?」
「だから、分からないんです……」
ラルフは首を傾げた。
ロイドはしばらく少年を見つめたが、それ以上は追及しなかった。
「まあいい。次は、どうやって近づくか考えてみろ」
ラルフはグラスハウンドのいる茂みを見た。
風は、こちらから魔獣へ向かって吹いている。
「このまま近づいたら、匂いで気づかれますよね?」
「そうだ。どうする?」
ラルフは周囲を見回した。
左側には草の薄い地面が続いている。右側には倒木があり、その向こうに岩が並んでいた。
「右側から回れば、倒木と岩で姿を隠せると思います。風下ですし。でも、足音が出るかもしれません」
「いい判断だ。じゃあ、どうする?」
「……ゆっくり進みます。枝を踏まないように」
「よし。行ってみろ」
ラルフは慎重に歩き始めた。
一歩進むたびに足元を確かめ、枯れ枝を避ける。倒木の陰に身を隠し、岩の向こうから茂みを覗いた。
グラスハウンドはまだ気づいていない。
ラルフはロイドへ振り返り、小さく頷いた。
ロイドが合図を送る。
二人はそれ以上近づかず、魔獣の様子をしばらく観察した。
やがてグラスハウンドは顔を上げ、別の方向へ歩き去っていった。
「よし、ここまでだ」
ロイドがラルフの肩を叩いた。
「気づかれませんでしたね!」
「今回はな。だが、風向きが変わっていたらどうなっていたか分からない。相手がこちらに気づいた場合、どう動くかも考えておく必要がある」
ラルフは真剣な顔で頷いた。
*
さらに森の奥へ進んだ。
今度は、木の根元に小さな穴が開いていた。周囲の草が踏み荒らされ、土には細かな爪跡が残っている。
「魔獣の跡だ。周囲を確認しろ」
ラルフは目を凝らした。
穴の近く。倒木の下。木の根の隙間。
何かが気になった。
「……上です」
ラルフは木の枝を見上げた。
ロイドも視線を上げたが、葉が重なっていて、すぐには何も見えなかった。
「どこだ?」
「右の、太い枝のところです」
ロイドは角度を変えた。
葉の間に、茶色い毛並みが見えた。
Eクラス程度の小型の魔獣が枝に身体を伏せ、こちらの様子を窺っていた。
魔獣が枝から飛び降りた。
地面に着地すると、低い姿勢でラルフたちへ向き直る。
「下がれ!」
ロイドが前へ出た。
魔獣が飛びかかる。ロイドは半歩横へずれ、剣の柄で魔獣の身体を弾いた。
魔獣が地面を転がる。
「今だ!」
ラルフは剣を構えた。
だが、魔獣が素早く立ちなおり踏み込むタイミングを失った。
「慌てるな! 相手の動きを見ろ!」
ロイドが魔獣の進路を塞ぐ。
魔獣は左右へ動き、隙を探していた。
ラルフはその動きを追った。
右へ動く。止まる。低く身を沈める。
魔獣が飛びかかった。
ラルフは反射的に横へ避けた。
茶色い体躯が目の前を通り過ぎる。
「そこだ!」
ロイドの声に、ラルフは振り返り、
体勢を立て直す前に、剣を振り下ろす。
深い一撃を受けた魔獣は数歩よろめき、そのまま倒れた。
「……やった」
緊張と興奮でラルフはしばらく動けなかった。
ロイドが魔獣へ近づき、動かないことを確かめる。
「初めての討伐だな!」
「はい……!」
ラルフの顔が、ぱっと明るくなった。
「でも、最後はロイドさんが助けてくれたから……」
「最初から一人で何でもできる奴はいない。大丈夫だ。次に生かせばいい」
ロイドは剣を納めた。
「それより、討伐したら終わりじゃないぞ」
「え?」
「素材を採る。魔獣によっては、皮や牙、爪が売れる。傷をつけすぎれば価値が下がることもある。どう扱うか、覚えておけ」
ロイドはナイフを取り出し、魔獣の皮を剥ぐ手順を見せた。
どこから刃を入れるのか。皮を傷つけないためには、どの角度で刃を動かすのか。力を入れすぎると、どこに傷がつくのか。
ラルフは一つ一つ目で追った。
「次はお前がやってみろ」
「はい!」
ラルフはナイフを受け取り、教わったとおりに刃を入れた。
だが、最初の一手で力を入れすぎ、皮の一部を傷つけてしまった。
「あっ……」
「力を抜け。刃を押し込むんじゃない。皮と身の間の組織を探るように動かせ」
ロイドが手元を指さす。
ラルフは刃の角度を変え、ゆっくりと動かした。
少しずつ、皮が身から剥がれていく。
時間はかかったが、最後まで自分の手で作業を終えた。
「できた……!」
「上出来だ。最初からきれいにできる奴はいないからな」
「 お前も帰ったら自分に合うナイフを何点か探すといい。冒険者の必需品だ」
ロイドは剥いだ皮を確認し、袋へ収めた。
ラルフは自分の手を見つめた。
魔獣を倒すだけでは冒険者の仕事は終わらない。
素材を無駄にしないことも、冒険者に必要な技術。
成長の実感が嬉しかった。
*
昼を過ぎたが、二人はさらに森の中を進んでいた。
ロイドは周囲を確認しながら、時折、地面の痕跡や木の幹についた傷をラルフに見せた。
ラルフも、それらを見逃さないよう注意していた。
だが、しばらく歩いたところで、ラルフが突然足を止めた。
「ロイドさん」
「どうした?」
「……こっちへ行かない方がいいと思います」
ラルフが示したのは、二人が進もうとしていた方向だった。
ロイドは足元を見た。
目立った足跡はない。草が大きく踏み荒らされた様子もない。風向きにも、特に変わったところはなかった。
「何か見つけたのか?」
「いえ……でも、なんだかひどく嫌な感じがします」
ラルフは自分でも困惑していた。
何が嫌なのか、どこがおかしいのか。説明しようとしても、言葉が出てこない。
ただ、そちらへ進んではいけない。
そんな感覚だけが、はっきりとあった。
ロイドは周囲を見渡した。
森の中は静かだった。鳥の声が聞こえ、遠くで枝が揺れる音がする。
経験から危険を察知しようと、ロイドは耳を澄ませ、風の匂いを確かめた。
それでも、明確な異常は見つからなかった。
「……分かった。少し待て」
ロイドは進路を変え、近くの木の陰から慎重に周囲を探った。
そのときだった。
遠くの木々の間で、何か大きな黒い影が動いた。
ロイドの目が細くなる。
影は木の幹の向こうへ消えた。姿をはっきりと確認することはできなかったが、見間違いではない。
ロイドはすぐにラルフのもとへ戻った。
「ラルフ、静かに。俺の後ろへ」
その声には、先ほどまでとは違う緊張があった。
ラルフは息を潜め、ロイドの指示に従った。
ロイドは黒い影が消えた方向を見つめていた。
あの大きさ。あの動き。
八年前の記憶が、脳裏をよぎる。
ヘルビースト。
確証はない。だが、もしそうなら、絶対に長居するわけにはいかなかった。
ロイドはラルフの肩へ手を置いた。
「戻るぞ。音を立てるな」
二人は来た道を慎重に引き返し始めた。
ロイドは周囲への警戒を一時も解かなかった。黒い影が再び現れないか、足音が近づいてこないか。最大限の注意で何度も背後を確認しながら、少しずつ森の出口を目指す。
やがて、木々の隙間から街の近くの道が見えてきた。
そこでようやく、ロイドは足を止めた。
「……ふぅ。ここまで来れば大丈夫だろう」
ラルフも大きく息を吐いた。
「さっきの、何だったんでしょう?」
「分からん。だが、分からないものに近づかないのが基本だ」
ロイドはラルフの顔を見た。
「それより、どうしてあの方向が危険だと思ったんだ?」
「……分からないです」
ラルフは困ったように笑った。
「本当に、なんとなくです」
ロイドはしばらく黙っていた。
自分なら、足跡や匂い、物音、風向きから危険を探る。
長い経験のなかで少しずつ身につけてきた技術だ。
だが、ラルフは違う。
目に見える痕跡もなく、明確な理由も説明できない。それなのに、危険があるかもしれない方向を察知した。
今日だけではない。採集している森の中でもみられた動きだ。
偶然で片づけるには多すぎる。
「……お前、やっぱり面白い感覚を持っているな」
「そうですか?」
「ああ。だが、それだけに頼るなよ。過信は慢心を生む」
「はい!」
ラルフは素直に頷いた。
ロイドはもう一度、森の奥へ目を向けた。
「こんなところまで来てるのか…やはり、早く片をつけないとな…」




