こころがまえ
ラルフの生活に新しい日課が加わった。
午前中は冒険者ギルドへ顔を出し、見習いでもできる仕事を受ける。
倉庫の整理、荷物運び、商店への配達、人手の足りない家の手伝い。
初めて訪れる場所も多く、ラルフにとっては見るものすべてが新鮮だった。
仕事を終えれば、依頼人から礼を言われる。
それが嬉しくて、ラルフは毎日仕事へ通った。
そんなある日、ロイドとの訓練中に、ラルフは思い出したように話し始めた。
「そういえば、ロイドさん。最近、不思議なことがあるんです」
「不思議なこと?」
「はい。ギルドの仕事でいろんな場所に行くじゃないですか。倉庫にも、商店にも、町外れの家にも行ったんですけど……」
「うん」
「どこに行っても、必ずマリーが寝てるんですよ」
「……マリー?」
「リアの飼い猫です。荷物を届けに行った先でも、倉庫の隅でも、商店の軒先でも。気づくと、すやすや寝てるんです」
ラルフは真剣な顔で首を傾げた。
「マリーの行動範囲って、すごいですよね」
「……お前、仕事中何してるんだ?」
「え? あ、いや気づくとマリーが!」
ロイドは、笑いをこらえるように口元を押さえた。
あの猫なら本当に町中を歩き回っていても不思議ではなかった。
「まあ、町の地理を覚えるにはいい経験だな」
「はい! おかげで、知らない道もだいぶ覚えました」
*
午後の訓練。
ロイドの木剣が、ラルフの肩口へと迫った。
ラルフは相手の動きに反応し、木剣を差し出す。
ガンッ!
木剣同士がぶつかり、ロイドの攻撃がわずかに逸れた。
「……お?」
ロイドは距離を取った。
以前なら、防ぐことすらできなかった一撃だ。
「今の!」
「ああ。だが、まだ一度だ」
「はい!」
ロイドが再び踏み込む。
今度はラルフの反応が遅れ、木剣を弾き飛ばされた。
「っ!」
「まだまだだな」
ラルフは木剣を拾い上げた。
それでも、以前とは違う。
ロイドの動きが、少しずつ見えるようになってきた。
*
訓練を終え、二人は木剣を片づけていた。
「ラルフ。さっきの一撃だが、どうやって防いだか言葉にできるか?」
「えっと……」
ラルフは少し考え込んだ。
「剣だけを見ていたときは、どこから攻撃が来るのか分かりませんでした。でも、ロイドさんの身体全体を見るようにしたら、動き始めるのが少し分かったんです」
「全体?」
「はい。腕や足だけじゃなくて、身体がどう動こうとしているのかを見る感じです」
ロイドは頷いた。
「そうか。なら、もう一度やってみよう」
二人は再び向かい合った。
ロイドの表情が変わる。
身体から鋭い殺気が放たれた。
次の瞬間、ロイドが踏み込む。
足が踏み込み、腰が回り、肩が動く。
来る。
ラルフは攻撃の起こりを捉え、木剣を差し出した。
ガンッ!
今度は、ロイドの攻撃をしっかりと受け止めた。
腕に強い衝撃が走る。それでも、木剣は弾き飛ばされなかった。
ラルフの顔に喜びが浮かぶ。
「甘い」
ロイドの声が響いた。
受け止められたはずの木剣が、わずかに動きを変える。
気づけば木剣がラルフの胸元で止まっていた。
「えっ――」
ラルフは目を見開いた。
身体の動きは見えていた。攻撃の起こりも捉えたはずだった。
「今、何が起きたか分かるか?」
「……途中で、攻撃を変えたんですか?」
「そうだ」
ロイドは木剣を下ろした。
「相手の身体を見るのは大事だ。だが、動きが分かったからといって、相手の考えまで分かったことにはならない」
ロイドはラルフの目を見た。
「相手も生きている。お前に読まれたと気づけば、動きを変えてくる。わざと隙を見せることだってある」
「わざと……?」
「ああ。相手に攻撃を読ませて、そこを狙う。そういう駆け引きもあるんだ」
ロイドは木剣を構え直した。
「魔獣だって同じだ。いつも単純な動きをするとは限らない。狡猾な魔獣もいるし、死に物狂いでこちらを倒そうとしてくる魔獣もいる」
ラルフは真剣に耳を傾けた。
ロイドの声が、少し低くなる。
「捉えた、勝ったと思った瞬間が、一番危ない。相手が倒れるまで、最後まで動きを見続けろ。判断を止めるな」
「……はい」
「お前が相手を見ているように、相手もお前を見ているからな」
ラルフは、先ほどの一撃を思い返した。
動きが見えたと思った瞬間、自分は安心してしまった。
「もう一度、お願いします」
ラルフが木剣を構えた。
ロイドは小さく笑った。
「よし。今度は、最後まで気を抜くなよ」
二人は再び立ち合った。
ラルフはロイドの身体全体を見ながら、攻撃の起こりを捉えようとする。
しかし、今度は動きが見えても、すぐに決めつけない。
次はどう来るのか。
何度も木剣を弾き飛ばされ、何度も隙を突かれた。
だが、そのたびにラルフは、何を見落としたのか、何が違うのかを考えた。
訓練が終わる頃には、ラルフの腕は疲れ切っていたが、その顔には確かな手応えがあった。
「……確実に上達しているな」
ロイドが言った。
「本当ですか?」
「ああ。俺には及ばないが、以前とは違う。相手の動きを捉えようとする心ができてきた」
ラルフは嬉しそうに頷いた。
「そろそろ、いいかもしれないな」
「え?」
「街の近くの魔の森で、経験を積んでみるか」
ラルフの表情が明るくなった。
「本当ですか?」
「ああ。ただし、俺の指示には必ず従うこと。まずは、魔の森で何を警戒し、どう動くべきなのかを覚えるんだ」
「分かりました」
「よし。準備ができたら出発しよう」
初めての魔の森……。
新しい経験が、ラルフを待っていた。




