斥候
街道は、深い森の中を縫うように続いていた。
スレイは馬を進めながら、左右の木々に目を配っていた。同行する二人の騎士も、周囲への警戒を怠らない。
ダリオとセドリック。へルビーストとの戦いを生き延びた騎士だった。
今回の任務は討伐ではない。ヘルビーストの所在と行動を確認し、得られた情報を持ち帰ることが最優先だった。
森の奥から獣の気配がした。
スレイは馬の速度を落とし、木々の隙間へ目を向けた。
黒い影が現れた。
「……止まれ」
三人は馬を止めた。
その先にいたのは、四本の脚で地面を踏みしめる黒い獣だった。
ヘルビースト。
その姿を目にした二人の騎士の表情が強張った。かつての戦場が脳裏をよぎったのだろう。それでも、二人は馬を刺激しないよう手綱を緩め、黙って獣を見つめた。
「刺激するな。まずは観察する」
スレイが声を潜める。
ヘルビーストが横を向いた。その右目には、古い傷が残っていた。
「……右目の傷。間違いないな」
ダリオが目を細めた。
「ああ。ドノガ様が負わせた傷と一致する」
八年前、ドノガが与えたと思われるその傷が、今も残っている。
「同じ個体である可能性は高いだろう」
「断定は帰還してからだ。今は確認できた事実を持ち帰る」
スレイの言葉に、二人はうなずいた。
三人が観察を続けていると、森の奥から別の魔物が姿を現した。
魔物はヘルビーストを見るなり進路を変え、森の奥へと消えていった。
三人は刺激しないよう距離を保ちながら観察を続けた。
「騎乗したまま追跡する。無理に接近する必要はない。気づかれたら、迷わず離脱する」
ダリオとセドリックがうなずく。
三人は馬に乗り、ヘルビーストを見失わない距離から追跡を始めた。
獣が進路を変えれば、こちらも地形を見ながら距離を保つ。しばらくは問題なく追跡できていた。
だが、森が開けた場所に差しかかったとき、ヘルビーストが突然足を止めた。
黒い獣が振り返る。
その視線が、三人を捉えた。
「……気づかれたか」
セドリックがつぶやいた直後、ヘルビーストが身を低くした。
「離脱!」
スレイの号令と同時に、ダリオもセドリックも馬を走らせた。
スレイも手綱を引いたが、すぐには馬を走らせなかった。
背後で、ヘルビーストが地面を蹴る音が響く。
――まだだ。
スレイは迫る獣との距離を測った。
ヘルビーストが迫る。
馬の背に振動が伝わり、黒い獣の姿が大きくなっていく。
――ここだ。
スレイは手綱を引き、馬の向きを変えた。
ヘルビーストが、先ほどまで馬のいた場所を駆け抜ける。
スレイは馬を走らせた。背後から迫る気配は消えない。獣は驚くべき速度で追いすがってくる。
スレイは片手で手綱を操り馬を走らせたまま半身を捻らせヘルビーストに振り返った。
腰の弓を手に取り、一瞬で狙いを定めた。
「必ず倒す。待っていろ。」
矢を放つ。
矢はヘルビーストの頭部を捉えたが、硬い頭蓋骨に弾かれ、地面へ落ちた。
ヘルビーストの走る速度も変わらず、目立った損傷を与えた様子はない。
「……化け物め」
スレイは攻撃を諦め、馬の進路を選びながら距離を広げることに集中した。
やがて背後の気配が遠のき、十分に離れたところで馬を止めた。少し先では、二人が待っていた。
「スレイ殿」
二人は彼の姿を確認して安堵したが、すぐに表情を引き締めた。
「今の判断は、あまりに危険です」
一人が静かに告げた。
「ヘルビーストが追っている間、我々から援護できる距離ではありませんでした。あなたが戻らなければ、情報を持ち帰るどころではなかったでしょう」
スレイは二人の言葉を受け止めた。
「すまない。確かめたいことがあった」
「…後衛を想定した位置からの離脱ですか」
「ああ。あの距離から馬の機動力を生かして逃げ切れるか、実戦を想定して試した」
「危険を冒す価値があったと?」
「今回の条件では離脱できた。だが、地形や馬の状態、相手の動きが違えば結果も変わる。これだけで安全だとは言えない」
スレイは弓を収めた。
「もう一つ、頭部に矢を当てても、ほとんど効果がないな。討伐するなら、攻撃部隊の攻撃を頭部以外に集中させる必要があるだろう」
二人は顔を見合わせた。
危険な検証だったことに変わりはない。だが、実戦に向けた情報が得られたのも確かだった。
「次に同じことをする場合は、事前に説明してください」
「ああ。約束しよう」
スレイは森の奥へ目を向けた。
三人は得られた情報を整理しながら、ベネディクタへ戻ることにした。
◇
ロイドは、エドガーの執務室を訪れていた。
「ラルフの調査結果を報告しに来た」
「すまない。どうだった?」
ロイドは報告書を差し出した。
「まず、採集量が異常に多い。だが、単に手当たり次第に集めているわけじゃない」
エドガーは報告書を開いた。
「採集場所を把握していて、どこに何が生えているのかを覚えている。移動する順番もよく考えられていた。採集場所を行き来する無駄が少ない」
「事前に場所を把握していたのか?」
「それもあるだろうが、実際に移動しながら判断しているようだった。観察力が高い結果薬草を見つけ続けている。そんな様子だった」
エドガーは報告書に目を落とした。
「採集の判断については?」
「未成熟な薬草は残していた。根ごと採る必要がないものは、次も育つように採り方を選んでいる。採集場所を使い切らず、次に来たときのことまで考えているんだろう」
「1ヶ月程度の採集経験でそこまで判断できていると」
「ああ。少なくとも、俺が見た限りではな」
ロイドは続けた。
「薬草の状態を見分ける目もいい。大きさだけでなく、傷みの有無や育ち具合を確かめて採るものを選んでいた。農作業で鍛えられているのかもな。」
エドガーは報告書を読み進めた。
「周囲への警戒も優秀と書いてあるが」
ロイドは少し苦い顔をして頭を掻いた。
「俺は離れた場所から、気配を抑えて様子を見ていた。だが、何度かこちらのいる方向を気にする素振りがあった。確信を持って見つけたわけじゃないだろうが、俺が気づかれそうになるとは思わなかった」
エドガーが顔を上げた。
「ロイド殿ほどの方が?」
「ああ。俺も斥候には自信があるほうだ。魔物の狩りで周囲に溶け込んで様子をうかがうことには慣れているからな。それでも、あいつは何か違和感を覚えたらしい」
ロイドは、わずかに眉を寄せた。
「周囲の変化を拾う感覚も優れているのかもしれないな。経験を積めば、斥候としても相当な適性を見せる可能性はある」
「天秤傭兵の影響なのか、それとも本人がもともと持っている資質なのか……」
「そこまでは分からん。今回の観察だけで、守護との関係を断定することはできない」
エドガーは報告書を閉じた。
「分かった。報告に感謝する」
「ああ。ただ能力があるからといっても、斥候として必要な知識も経験も、まだまだこれからだな」
「本人の意思も確認する必要があるか」
「そういうことだ。あいつはまだ十一歳だ」
エドガーは報告書を机の上に置いた。
ラルフの能力は、まだ未知数の部分が多い。だが、薬草採集で見せた観察力と判断力は、やはり非凡なものだった。
その可能性をどう扱うべきか。
エドガーはすぐに結論を出さず、報告書をしまった。




