合理の檻
「外壁の応急処置は二日。内壁は、最低限の防御に使えるまで数日。全体の完成には十日以上、という見込みです」
ヘーゼルの報告を聞き、エドガーは机上の図面に目を落とした。
「分かった。工期については、その見込みで進めてくれ。熟練工を門と基礎に集中させて、ほかの作業は補助要員を増やす。領主府から職人と資材を手配する」
「承知しました」
「そのうえで、完成までの防衛と、完成後の運用について確認したい」
エドガーは図面の外壁と内壁を指でなぞった。
「内壁が使えるようになれば、外壁が突破されても街への侵入を即座に許す事はなくなる。敵を食い止める時間が増えるし、外側の守備隊が後退して態勢を立て直す余地もできる。理解はこれでいいか?」
「基本的にはそのとおりです。ただし、外壁と内壁の間に敵が入り込んだ場合、そこに残った守備隊が孤立する危険があります」
ヘーゼルは図面の一角を指した。
「外壁を守る部隊と内壁を守る部隊を分けるだけでは不十分です。二重に壁を築いても、部隊の運用次第でかえって混乱を招きます」
「なら、退路と援護の方法を決めておこう。建設担当にも、内壁から味方を誤射しないための射線を確認してもらいたい」
「分かりました」
「工事の段階ごとに、守備配置も変える必要があるな。応急処置が終わった段階、内壁の一部が使える段階、完成後。それぞれで必要な人員を出してくれ」
ヘーゼルは頷いた。
「工事中は、壁の守備だけでなく、職人と資材の安全も確保しなければなりません。街道の警戒や巡回を維持したまま、どこまで人員を回せるか計算します」
「頼む。壁を築くこと自体が目的じゃない。壁ができるまで街を守り、できた後は、その防御力を最大限に使える状態にすることが目的だ」
エドガーは図面を脇へ置いた。
「次は、ヘルビーストへの対応だ」
部屋にいた者たちの視線が集まった。
「現時点で討伐の可否は判断できない。ただ、現状の戦力についてはすでに把握している。」
「防衛戦において全騎士団員150名のうち、死亡者は3名。重傷者が8名、軽傷者12名のうち9名はまだ任務に戻せない。現時点で即応可能なのは130名だ」
エドガーは数字を読み上げるだけで終わらせず、ヘーゼルへ問いかけた。
「この130名を、街の防衛、巡回、街道の連絡、斥候、そして討伐準備に振り分ける」
「必要な各任務を維持したうえで、実際に何人を討伐へ回せるか算出してほしい」
ヘーゼルは答えた。
「現状の試算では領外任務には熟練の実戦経験者を中心に大体45名ほど選抜できます。ただし、その中には斥候や支援要員、街道の連絡や外周の警戒に必要な人員もいますから、45名全員をヘルビーストとの戦闘に投入できるわけではありません」
「分かっている。今、必要なのは最大人数ではなく、実際に動かせる人数だ」
「であれば、最大で35名ほどでしょうな」
エドガーは一枚の紙を取り出した。
「では35名の人員を念頭に、八年前の戦闘記録と今回得られている情報から考えた戦い方について分析を聞いてほしい。異論や修正点があれば、遠慮なく言ってくれ」
ヘーゼルをはじめ、スレイ、ヴァン、カーン、そして戦闘経験者のダリオとセドリックが、エドガーのほうを向いた。
「まず、ヘルビーストは体格で押し切る他の大型魔物とは違う。最大の問題は速度と、攻撃の対象を絞らせない捉えづらい動きだ。これまでのような正面から厚い前衛をぶつければ解決するという相手ではない」
「私も、前衛の数を増やすだけでは対応できないと考えます」
ヘーゼルが同意した。
「前衛が厚くても、相手の速度についていけなければ、攻撃を受ける場所を変えられるだけです。かといって、前衛を薄くすれば突破される危険が増す」
「ああ。そこで、前衛と後衛を一つの塊として考えるのではなく、役割を分けて運用したほうがいいと考えている」
エドガーは紙に線を引いた。
「前衛は相手を倒すことを目的にせず、後衛が攻撃や支援を行える時間を作る。つまり盾のみを持った盾兵による抑え込みを提案したい。」
「盾兵は集団でお互いをカバーしあいながら防御力を高め、相手の最大の武器である機動力を奪う。」
「後衛は前衛が崩れた際に巻き込まれない位置に馬上体勢を維持した状態で遊撃および必要な支援を行う。」
「そして、救助と撤退を担う人員を、最初から別に確保しておく」
ロイドが腕を組んだ。
「後衛の主力攻撃部隊を機動力ある遊撃にすることでヘルビーストの攻撃目標を前衛の盾部隊に集中させるということか」
「なかなか方向性はいい。ただ、ヘルビーストの速度を考えると、前衛が時間を稼ぎ続けられる保証はない」
「さらに攻撃を受け止める役割を固定しすぎると、相手に動きを読まれる可能性もある」
ロイドの指摘を受けエドガーは続ける。
「そこは懸念している。なので槍などの中衛部隊をおいて前衛のカバーができる配置にしてはどうだろう」
ヘーゼルは紙に目を落とした。
「戦いは机上だけで決めても意味はありません。実際にどの程度の距離で連携できるか、訓練で確認し有効か判断する必要があります」
「そうだな。これは現時点での案だ。実際の配置は、訓練を踏まえヘーゼルが判断してくれ」
エドガーは続けた。
「後衛についても、ヘルビーストが前衛を突破した場合にそのまま攻撃を続けてしまえば、味方を巻き込む可能性もある。攻撃を継続する条件と、位置を変える条件を決めておくべきだと考えている」
「賛成です」
セドリックが言った。
「後衛が攻撃を続けるか、味方の援護に回るか。それをその場の判断だけに任せれば、連携が乱れる。前衛の状態を確認する役として全体の監視役を置くのも手でしょう」
「その役割を担う人間まで含めて編成する必要があるな」
エドガーはヘーゼルに視線を戻した。
「この案では、討伐部隊の中に、前衛、中衛、後衛、斥候・連絡、救助・撤退支援という役割を設ける。ただし、これは五つの独立した集団を作るという意味ではない。状況に応じて互いを支えられる編成にしたい」
「役割を明確にすることには賛成です。ただし、救助要員を完全に戦闘から切り離すと、その人数だけ前線の戦力が減ります。負傷者が出なければ、その人員をどう使うかも考えなければなりません」
ヘーゼルの指摘に、エドガーは頷いた。
「固定する必要はない。平時は別の役割を担い、負傷者が出たときに救助へ移る人員を決めておけばいい。重要なのは、誰が助けに行くのかを、その場にいる全員が同時に判断しないことだ」
「それなら実行できます」
ヘーゼルは答えた。
「訓練では、前衛が突破された場合、後衛が攻撃を中止して位置を変える場合、負傷者が出た場合を想定します。実際の動きまで確認しておけば、現場で判断する負担を減らせます」
「頼む。討伐に参加できる最大人数は35名だが、最初から35名を一つの戦闘に投入する前提にはしたくない。斥候と連絡、救助・撤退支援を含めて、実際にどのくらいの人数を戦闘の中心に置けるか、訓練の上、編成案を出してほしい」
「承知しました。必要な任務の維持を考慮したうえで、現実的な人数を算出します」
エドガーはロイドへ向き直った。
「冒険者側にも、この役割分担を共有したい。騎士団と冒険者では普段の指揮系統が違う。戦闘中に指示が食い違わないよう、共通の規則を決めてくれ」
「分かった。全員を同じ訓練に参加させるのは難しいが、撤退の合図や救助の手順なら共有できる」
「それでいい。まずは、守るべき最低限の規則を揃えよう」
エドガーは最後に、斥候の運用を確認した。
「斥候はヘルビーストの位置、移動速度、接近された際に離脱できるか。その情報を持ち帰ることが任務だ。接触しても戦わず、危険が増したら調査を打ち切っていい」
「その条件なら、斥候の人選も変わりますね」
スレイが言った。
「戦闘能力だけでなく、状況判断と離脱能力を重視する必要があります」
「そうだ。討伐部隊に入る経験者と、斥候に適した経験者は、必ずしも同じではない」
エドガーは書類をまとめた。
「工事の進捗に応じた防衛配置、討伐部隊の編成案、斥候の計画。この三つを並行して進めてくれ。報告が揃った時点で、初めて討伐の可否を判断する」
ヘーゼルが立ち上がった。
「分かりました。騎士団の編成と配置はこちらでまとめます。エドガー様には、必要な人員と資材の確保をお願いします」
「任せてくれ」
会議は終わった。
討伐の方針が決まったわけではない。ヘルビーストを倒せる保証もない。
それでも、何を準備し、どの段階で判断するのかは明確になった。
エドガーに必要なのは、確信を装うことではない。限られた情報の中で、実行可能な選択肢を増やすことだった。
◇
会議の後、エドガーは別の報告書を開いた。
戦いに必要な様々な備蓄品の中でも、ポーションは悩みの種だった。
エドガーは帰ろうとしているロイドを見つけ呼び止めた。
「ロイド殿。ラルフが薬草を採取しているところを、実際に見たことはあるか?」
「採取している様子を詳しく見たことはない。魔の森へ入るなとは言っているが、領内のどこで何を採っているのかまでは把握していない」
「なら、普段どおりに採取しているところを見てほしい。採取場所、薬草の見分け方、集める速度。本人を問い詰める必要はない。見て分かったことだけを教えてくれ」
「何か問題が?」
「問題があると決まったわけではない。だから、先に結論を決めずに調べたい」
「分かった」
ロイドが退室すると、エドガーは報告書をもう一度読み直した。
ポーションの備蓄を進めるために領内の薬師の実績を調べていておかしな事に気がついた。
エレナ薬品店―
エレナが開いた新しい店だったが、領内の他の薬品店と比較し、ここ最近のポーション納品数が群を抜いて高かった。
至急指示をし、研究所にて品質確認も行ったが問題なしとの報告だった。
エレナから直接に話を聞く機会を設けると、むしろよく聞いてくれたとラルフの採集量の異常性について1時間ほど熱弁されてしまった。
ラルフ。
天秤傭兵がどのような守護かまだ判明していない。
教会との情報交換で把握できる範囲では、戦闘職系の守護を得る者は1割に満たない。
そしてその中でも、天秤傭兵はこれまでに存在が確認されていない戦闘職系の守護だ。
だが、珍しいから強いとは限らない。名称から能力を推測することにも限界がある。
どのような条件で能力が発現するのか。
本人が意識して使えるものなのか。
能力の強さに変動があるのか。
分からないことばかりだった。
エドガー自身、十一歳で希少な軍師の守護が発現してから、物事を分析する能力が大きく変わった。
いやむしろ考えを止めることができなくなった。
しかし、知識が突然増えたわけではない。
経験の不足まで埋まったわけでもない。
以前より多くの可能性を考えられるようになった一方で、選択肢が増えるほど、判断しなければならない問題も増えていった。
それはエドガーを苦しめた。
ラルフの守護についてもきっと同じだ。
能力を知ることができれば、彼自身の力で彼の望む状況は作りやすくなるだろう。
けれど、能力の価値が明らかになれば、彼を利用しようとする者が現れる可能性もある。
それはベネディクタの内部だけの問題ではない。
他の勢力がその価値に気づけば、ラルフを自勢力へ招こうとするかもしれない。
本人が応じなければ、別の手段を考える者もいるだろう。
そして、ラルフの両親は今、ダライにいる。
彼を動かそうとする者にとって利用できる弱点にもなり得る。
エドガーは、その可能性を無視できなかった。
保護するために把握することと、利用するために把握すること。
その境界は、能力の仕組みを知っただけでは決まらない。
「……厄介だな」
エドガーは呟いた。
領主代行として考えれば、答えは単純だった。
領地にとって価値のある人材を確保し、他国に渡らないようにする。
だが、ラルフは物資でも兵器でもない。
まだ十一歳の子供だ。自分の守護についてさえ、十分に理解していない可能性がある。
領地の都合だけで彼を囲い込めば、守るための行動が本人を縛ることになる。
順番を誤れば、善意から始めた行動が、かえって危険を増やすこともある。
軍師の守護は、エドガーに多くの選択肢を見せる。
しかし、その中から選ぶ責任まで、代わりに引き受けてくれるわけではない。
兄なら、どう考えただろうか。
ふと浮かんだ問いを、エドガーは打ち消さなかった。
兄は、目の前の人間を見捨てない人だった。
そのために自分が傷つくことも、ためらわなかった。
エドガーは兄を尊敬している。その気持ちに嘘はない。
けれど、領主代行として守るべきものは、一人ではない。騎士団も、市民も、街道を行き交う商人も、領地に暮らす五万人の人々もいる。
その全員を守るために、目の前の一人をどう扱うべきなのか。
合理性は答えを与えてくれるようでいて、ときに選択肢を狭めていく。
人を守るために、その人の自由を制限する。
領地を守るために、誰かの価値を見極める。
そして、守るという言葉を掲げながら、自分の判断で相手の人生を決めてしまう。
それは、守護の力なのか。
それとも、人を縛る呪いなのか。
エドガーには、まだ答えが出せなかった。




