天秤に載せるもの
一刻半後、エドガーは再度全員を騎士団詰所に招集した。
「すまない。あらためて皆から上がった現状の情報を整理し、今後の方針を協議したい」
エドガーが口を開いた。
ヘーゼルは一度ラルフに視線を向け、それからエドガーに尋ねた。
「人払いは必要ありませんか?」
「構わない。ラルフにも聞いておいてもらいたい」
「承知しました」
ヘーゼルは控えていた騎士に指示を出した。
「帰還したスレイ、および副団長は全員呼んでくれ」
「はっ」
騎士が退室すると、エドガーは卓上の地図へ目を落とした。
ほどなくして、会議室の扉が開いた。
先に入ってきたのはスレイだった。その後ろに、二人の騎士が続く。
まだ若い相貌だが鋭い目つき。ヴァンはエドガーに一礼した。
大柄のカーンもまた、静かに頭を下げた。
残る一人の副団長グレンは、街道での襲撃後にスレイと別行動を取り、現在も消息が分かっていない。
「急な呼び出しに応じてくれて感謝する。座ってくれ」
全員が席に着いたのを確認すると、エドガーは会議を始めた。
「まず、今回の魔物の襲撃による被害だ。住民8名、騎士3名、冒険者1名が死亡。負傷者も多数に上っている。街門の復旧と、防衛体制の立て直しが必要になる」
彼は報告書を一枚めくった。
「そして、ヘルビーストだ」
指先が、ベネディクタとダライを結ぶ街道をなぞった。
「前回の交易隊は、帰路でヘルビーストに遭遇し、ダライに留まっている。本来なら、その隊が戻った後に次の交易隊が出発する予定だった。しかし、その出発予定日はすでに過ぎている」
「街道の安全が確認できない以上、次の隊を出発させることはできません」
ヘーゼルが答えた。
「分かっている。問題は、この状態がいつまで続くかだ」
エドガーはスレイに目を向けた。
「スレイ。街道でヘルビーストと接敵した際、どのような状況だった?」
「街道で遭遇した際、ヘルビーストは我々の進路上に現れました。こちらから仕掛ける余裕はなく、グレンと相談したうえで、早馬であることを活かし回避を優先することにしました」
「相手の動きはどうだった?」
「非常に速く、こちらの動きを見極めているように感じました。少なくとも、正面から戦闘を仕掛けて安全に突破できる相手ではないと判断しました」
「 片目に傷はあったか?」
「 グレンは確認できたかもしれませんが私には分かりませんでした。」
「ふむ」
スレイは言葉を選びながら続けた。
「私が言えるのは、あの場で戦わなかった以上、討伐が可能かどうか断言することはできません」
「率直な意見でいい。現在の騎士団の戦力で、討伐行動を実行できると思うか?」
スレイは一度、ヘーゼルへ視線を向けた。
「十分な準備と、適切な人員の選定は必要です。今回のように偶然遭遇した状況で戦うのと、討伐を目的に部隊を編成するのとでは条件が違います。ただし、今の戦力で確実に討伐できるとまでは言えません」
「分かった。現場を経験した者の意見として参考にする」
エドガーは頷き、次の資料を取り出した。
「もう一つ、これまでのヘルビースト出現情報について確認をしておきたい」
彼はラルフへ視線を向けた。
「ラルフ。両親が消息を絶ったのは、二か月ほど前だったな」
「はい」
「その際、交易路の調査中にヘルビーストと遭遇し、ラルフの父ベルク殿が重傷を負った。つまり、少なくともその頃には、すでに街道に現れていたことになる」
エドガーは地図へ目を落とした。
「1ヶ月前に出発した最初の交易隊は幸運にも通過できた。だが、次の帰路では遭遇し、ダライに留まっている。そして今回の魔物の襲撃だ」
彼は指先で街道をなぞった。
「魔物襲撃時にヘルビーストの目撃情報が上がっているが、因果関係が不明な現状ではヘルビーストが魔物の襲撃を引き起こしたと決めつけず、まずは事実を集める必要がある」
「森の中で、魔物の分布に変化が起きている可能性もあります」
ロイドが言った。
「そうだ。偵察は必要になる。ただし、今の戦力で大規模な調査を行う余裕はない」
エドガーは八年前の記録を手に取った。
「当時、ヘルビーストとの戦闘に投入されたのは、騎士24名と冒険者21名。合計45名だ。そのうち18名が死亡し、17名が負傷した」
会議室が静かになった。
「先代騎士団長ドノガは、撤退する者たちを逃がすために戦い、命を落とした。ヘルビーストには片目を潰すほどの傷を負わせたが、討伐には至っていない」
エドガーは記録を閉じた。
「この記録から分かるのは、ヘルビーストはけっして倒せない相手ではない。だが大きな犠牲が伴う事も容易に想像がつく」
「現在の戦力では、八年前と同じ規模の部隊を組むのは難しいでしょう」
ヘーゼルが言った。
「騎士団も今回の襲撃で消耗しています。街の防衛を維持しながら、どれだけ討伐に回せるかが問題です」
「冒険者ギルドも同じだな。動ける者はいるが、負傷者の治療や街の復旧にも人手が必要になる」
ロイドの言葉に、エドガーは頷いた。
「だからこそ、戦力をどう使うかを考えなければならない」
皆が深刻な面持ちで地図に目を落とした。
誰も口を開こうとはしなかった。
ふいに、エドガーはラルフへ声をかけた。
「ところでラルフ。君は十一歳だったな」
「は、はい」
「両親がいなくなって二か月ほどになる。家は農家だったな。両親がいない間、家のことはどうしていた?」
「畑の仕事は、父さんに教わっていたので……。できることは自分でやっています」
「大変だったな…ところで家の畑では主に何を作っている?」
「芋です」
「そうか。買い物も君が?」
「はい。必要なものは街で買っています」
この街の防衛の要ともいえる重臣たちは、不思議そうにこの会話を聞いていた。
エドガーは小さく頷いた。
「ちなみに、両親がいなくなってから、君が買った食料品の中で、一番高かったものは何だ?」
「…塩だと思います…」
ラルフは何を聞かれているのかわからないまま正直に答えた。
エドガーは表情を変えなかった。
「ありがとう。大変参考になった」
彼は卓上の報告書へ視線を戻した。
「今ラルフの話にもあった通り、すでに塩の価格は上がり始めている。街道の危険が知られ、次の交易隊が予定どおり出発できなかったことで、商人たちも供給の先行きを警戒している」
エドガーは資料を開いた。
「定期交易で帰路に積む塩は、一回あたりおよそ10トンだ。通常なら年間で八回ほど、合計80トン前後の塩が入ってくる」
「だが、その流れはすでに止まっている」
エドガーは皆を見回した。
「現在の備蓄は、通常の消費量で換算して約四か月分しかない」
「現地で生産できる塩もありますが、領内の需要をすべて賄える量ではありません」
ヘーゼルが塩の領内供給量について答えた。
「そうだ。交易が再開しなければ、備蓄は確実に減っていく」
エドガーは資料を閉じた。
「塩の価格が高騰して困るのは、貴族ではない」
静かな声だった。
「我々は値上がりしても、必要なものを買うことができる。だが、日々の暮らしに余裕のない者はそうはいかない。食料を自給できる農家であっても、塩は買わなければならない。価格が上がれば、真っ先に負担を強いられるのは庶民だ」
ラルフは黙って話を聞いていた。
母が塩を大切に使っていたことを思い出す。
芋や野菜なら、自分たちの畑で作ることができる。けれど、塩は違う。
必要なものなのに、自分たちだけでは用意できない。
「塩の不足は、食卓だけの問題ではない。保存食の加工にも、皮革の処理にも使う。このまま保存食の備蓄が出来なければ……冬には大勢の餓死者がでるだろう……」
エドガーは地図へ目を落とした。
「交易路を放置すれば、領内の塩の価格はさらに上がる。当然、備蓄が尽きるまで待つこともできない。しかしヘルビーストの討伐を急ぎすぎれば、騎士団と冒険者にさらなる犠牲が出る。」
彼は、地図に記されたベネディクタの街を指した。
「我々が守るべきものは、街の城壁だけではない。そこに暮らす者たちの生活もだ」
誰も口を挟まなかった。
エドガーは、地図の上に並ぶ街道と集落を見渡した。
「まずは、ヘルビーストの捜索と監視を行う。相手の位置と行動を把握し、討伐に必要な戦力を見極めること。無用な接触は避けてくれ」
「騎士団は、街の警備と復旧に必要な人員を確保したうえで、出動可能な戦力を算出してくれ。討伐に何人出せるかだけでなく、街を守るために何人残す必要があるかも考慮すること」
「はっ。それぞれ、担当を決めて進めます」
ヘーゼルが答えた。
「ロイド殿には、調査に適した冒険者を選んでほしい。戦闘能力だけでなく、追跡や斥候に向いた者を優先してほしい」
「承知した」
「ダライとの連絡は継続すること。交易隊の状況と街道周辺の情報を共有してもらいたい。グレンの捜索も続けてくれ」
エドガーは一人ずつ顔を見て、指示が伝わったことを確かめた。
「次の報告では、交易路を取り戻すために必要な戦力と、その間に街の防衛を維持できるかを判断できる材料を揃えてほしい」
そして、最後にエドガーはラルフの目を見て続けた。
「五万人の領民を守るために、我々は何を優先し、何を選ばなければいけないのか。各自、その問いを忘れないでくれ」
「以上だ。今できることから始めてくれ」
会議は、そこで一区切りとなった。
ヘーゼルとロイドが次の仕事へ移ろうと話し合う中、ラルフは椅子に座ったまま、卓上の地図を見つめていた。
自分が答えたのは、家で買った食料品の名前だけだった。
それなのに、その一言が街全体の問題につながった。
エドガーは、ラルフの答えを特別なものとして扱ったわけではない。ただ、聞いただけだ。
自分の家で使う塩と、街道の向こうで起きていることが、どうして一つにつながるのか。
ラルフには、まだ分からなかった。
ただ、エドガーが見ているものは、自分が見ているものよりも、ずっとずっと広いのだということだけは分かった。




