八年前の悪夢
ヘルビーストの報告を受けたエドガーは口を開いた。
「八年前のヘルビーストとの戦闘について、詳しく聞きたい」
その表情から、ラルフにも軽い話ではないことが伝わってきた。
「記録はすでに読んでいる。」
「八年前に起きた戦闘。ダライとの貿易友好関係のために表敬訪問した帰りの街道にて、突発的にヘルビーストと遭遇。」
「1個中隊24名の騎士団と冒険者の応援21 名のうち死者18名。重軽傷17名。前任の騎士団長ドノガと代表を務めた私の兄も命を落とした。その戦闘記録は何度も目を通したが、記録だけでは分からないことがある」
エドガーは二人を見た。
「お前たちにとっては、思い出したくない話かもしれない。だが、今のうちに情報を整理しておきたい。実際にあの戦いを経験した者達の口から、話が聞きたい」
ロイドはすぐには答えなかった。
八年前。
あの時の光景は、今でも忘れられない。
「騎士団側の生き残りにも、話を聞く必要があります」
ヘーゼルが口を開いた。
「私は当時、ドノガ様の命令でヴェネディクタに居たため現場に居合わせられませんでした。前線にいた騎士は今も何人か残っています。呼びましょう」
「頼む」
ヘーゼルは部下に指示を出した。
しばらくして、二人の騎士が部屋へ入ってきた。
一人は、当時前線で部隊を率いていた騎士、ダリオ・ヴェイン。もう一人は、前任の騎士団長直属の護衛を務めていたセドリック・ハルトだった。
二人とも、八年前の戦いを生き延びた歴戦の者たちだった。
「すまないな。思い出したくないだろうが、当時の戦いについて話を聞きたい」
エドガーの言葉に、二人は顔を見合わせた。
「……承知しました」
先に答えたのはダリオだった。
「まず率直に聞きたい。ヘルビーストは、どれほどの相手だった?」
エドガーの問いに、ダリオは少し考えてから答えた。
「正面からぶつかれば、こちらの攻撃が通じるかどうかを考える以前に、次の一撃をどう避けるかで精一杯でした」
「攻撃が通じなかったのか?」
「まったく効かなかった、とまでは言えません。ただ、こちらが捉えようとする間に、向こうはそれ以上の損害を与えてきた。ビーストの名の通り四つ足の黒い魔獣で非常に俊敏で、数で押し切れる単純な相手ではありませんでした」
ダリオは拳を握った。
「部隊を組んで対処しましたが、前衛が崩れると後ろも持ちません。負傷者を下げようにも、退路を確保するだけで手一杯でした」
「ドノガ団長は、その状況でどう動いた?」
「最後まで前線に残りました」
今度はセドリックが答えた。
「ドノガ様は、負傷者と後退する騎士たちを逃がすために、ヘルビーストの前に立ち続けました。私たちにも撤退を命じましたが、ご自身は退こうとされませんでした」
「なぜ、ドノガ団長は一人で残った?」
「誰かが時間を稼がなければ、負傷者を連れて退くこともできなかったからです」
セドリックは、エドガーの目をまっすぐ見た。
「ドノガ様は、それを理解しておられました。だから私たちを下がらせたのです」
部屋に沈黙が落ちた。
エドガーは視線を伏せ、次の問いを口にした。
「ドノガ団長は、ヘルビーストに傷を負わせたと記録にある。実際には何があった?」
セドリックは一度目を閉じた。
「私は、その瞬間を見ました」
声がわずかに震えていた。
「ドノガ様はヘルビーストの攻撃を受けながらも退きませんでした。最後の一撃を放つために、相手の攻撃を避けることよりも、攻撃を届かせることを選ばれたのです」
「相打ちを覚悟していたということか」
「はい。ドノガ様はすでに前線維持のため致命傷に近い傷を負っていました。そして相打ち覚悟で…一撃はヘルビーストにも届きました。あいつの片目を潰し、そのままヘルビーストは森へと姿を消しました」
「追撃は?」
「できませんでした。残った者たちも負傷しており、追えば全滅する危険がありました」
エドガーは静かにうなずいた。
「分かった。ロイド、お前は冒険者側にいたな」
「ああ」
ロイドは短く答えた。
「あの時は、森からの魔獣の急な襲撃に備えるため、前隊と後隊の2隊編成で行軍していた。俺は後隊だった。到着した時には、すでに戦場はひどい有様だった」
彼は言葉を選ぶように、ゆっくりと続けた。
「冒険者も何人も倒れていた。負傷者を救い出そうとしても、ヘルビーストの動きを止められなければ近づくことすら難しい。そもそも相手が1体の魔物というのも信じられなかった。誰かを助けに行けば、別の誰かが危険にさらされる。そういう状況だった」
「お前自身も重傷を負ったと記録にある」
「ああ。俺もまともに戦い続けられる状態じゃなかった。仲間を助けるつもりで前に出たが、結局、助けられなかった奴もいる」
ロイドは視線を落とした。
「強い魔物なら、冒険者として何度も相手にしてきた。だが、あいつは別だった。こちらが戦い方を考える余裕すら与えてくれない。普通の魔物と同じ考え方では、どうにもならなかった」
エドガーはしばらく黙っていた。
「兄は……前線で指揮を執っていたんだな」
「そうだ」
ロイドは答えた。
「俺が見た限り、ドノガ団長と同じくあんたの兄上は最後まで前に立っていた。周囲が崩れ始めても、逃げる者を責めることもせず、むしろ自分が残って時間を稼ごうとしていた」
エドガーの表情は変わらなかった。
だが、握られた手には力がこもっていた。
「記録には、兄が最後まで兵を鼓舞し、撤退を支援したとある。実際に見た者の話を聞きたかった」
「勇敢だったよ。ただ、勇敢であることと、勝てることは別だ」
ロイドは淡々と言った。
「俺たちは、勝てなかった。団長の一撃でヘルビーストが退いたから、あの戦いは終わった。そしてあんたの兄貴の陣頭指揮もなけりゃ……生き残った者はもっと少なかっただろう」
誰も否定しなかった。
エドガーはダリオとセドリックに向き直った。
「今の騎士団で、同じ状況になった場合はどうだ?」
ダリオは即答しなかった。
「正直に申し上げれば、今も容易ではありません。八年前とは部隊の構成も違いますし、当時の経験を持つ騎士も減っています」
「今回のスタンピードで負傷した者も多い。すぐに全員が復帰できるわけではないな」
ヘーゼルが補足した。
「はい。街の復旧にも人手が必要です。戦える者をすべて警備に回せば、今度は負傷者の救護や物資の確保が滞ります」
エドガーは机の上に置かれた報告書へ目を落とした。
「交易路が閉ざされた場合の影響も考えなければならない。食料や薬品、修繕に必要な資材が届かなくなれば、街を守る力そのものが落ちていく」
「交易隊がダライに留まっている以上、今は安全が確認できるまで無理に街道を通すべきではありません」
ヘーゼルが言った。
「分かっている。だが、閉鎖が長引くことも想定しておけ。ダライとの連絡を維持し、街に残る物資を確認する。負傷者の回復状況と、騎士団が動かせる人数も整理して報告してくれ」
「承知しました」
「ロイド。冒険者ギルドでも、今回の魔物の動きと、過去の記録に共通点がないか確認してほしい」
「分かった」
エドガーは最後に、二人の騎士へ視線を戻した。
「八年前のヘルビーストと、今回目撃された個体が同じものなのか。傷が残っているのか。何が目的で動いているのか。今の時点では、どれも断定できない」
彼は一つずつ言葉を区切った。
「だからこそ、分かっていることと、分かっていないことを混同するな。確認できた事実から順に整理していく」
その場にいた者たちがうなずいた。
話は終わった。
八年前に一度だけ退いたヘルビースト
今度は街を守る側も無傷ではない。
エドガーは窓の外へ目を向けた。
壊れた城壁が静かに佇んでいた。




