エドガー・フォン・ベネディクタ
魔物の襲撃が終わったベネディクタの街には、重苦しい空気が漂っていた。
戦闘が行われた門の周辺には、砕けた石材や折れた木材が散乱していた。魔物の爪痕が刻まれた石畳には血が染み込み、破損した門扉は大きく歪んでいる。門柱にも亀裂が入り、以前と同じように街を守ることは難しい状態だった。
騎士たちは周囲の警戒を続けながら、倒れた仲間や負傷者の搬送に追われていた。
冒険者たちは討伐した魔物の死骸を運び出し、住民たちは家屋の被害を確認している。屋根を壊された家、壁を破られた商店、倒壊した露店。戦闘の爪痕は、門の周辺だけにとどまってはいなかった。
街のあちこちから、負傷者を呼ぶ声や家族の名を探す声が聞こえてくる。
救護所では回復魔法の使い手たちが治療を続けていた。重傷者の治療が優先され、軽傷者は順番を待っている。
そして、治療を必要としなくなった者たちの中には、二度と目を覚まさない者もいた。
市民の死亡者は八名。
騎士団にも数名の死者が出ており、重傷者と軽傷者が複数確認されていた。冒険者ギルドからも、一名の死亡が報告されている。
ベネディクタが築かれて以来、経験したことのない被害だった。
街を守ることはできた。
だが、守りきれなかった命もあった。
そして街が襲われるという恐怖が、戦闘が終わった今も、人々の心に重くのしかかっていた。
◇
騎士団の詰所では、騎士団長ヘーゼルと冒険者ギルド長ロイドが、被害状況と今後の対応について話し合っていた。
机の上には、現場から届いた報告書が並んでいる。
「市民の死亡者は八名。騎士団にも数名の死者が出た。重傷者、軽傷者ともに複数いる」
ヘーゼルが報告書に目を落とした。
「冒険者ギルドからも一名の死者が出ている。負傷者の治療と、遺族への連絡を進めているところた」
ロイドが答える。
「門の損傷も大きい。応急補強は進めているが、完全な修復には時間がかかるだろう」
「警備に支障が出ないよう、人員の配置を見直す必要があるか」
「そうだな。復旧作業と警戒を両立させなければならん」
ヘーゼルは書類を机に置いた。
「負傷者の治療を優先し、動ける者は救助と警戒に回す。門の修復に必要な資材も早急に確認しよう」
「冒険者ギルドからも、動ける者を出せるよう調整する」
ロイドが答えた、そのときだった。
廊下から慌ただしい足音が聞こえてきた。
「騎士団長。エドガー様がお見えです」
ヘーゼルが顔を上げる。
「エドガー様が?」
扉の向こうから、側近の声が聞こえた。
「エドガー様、正式な被害報告書はまだ完成しておりません。今しばらくお待ちいただくべきかと……」
「報告書など待っていられるか。街が襲われたんだぞ。私は現場の状況を知りたい。だから来た。それだけだ」
扉が開いた。
エドガー・フォン・ベネディクタ。領主の息子で、十五歳になる少年だった。
その後ろには、困り果てた様子の側近が控えている。
「騎士団長ヘーゼル、冒険者ギルド長ロイド。話を聞かせてくれ」
エドガーは二人を見据えた。
「報告書にまとめる前の話で構わない。現場で何が起き、今後何が必要なのか。君たちの意見を聞きたい」
ヘーゼルが姿勢を正した。
「市民の死亡者は八名。騎士団にも数名の死者が出ており、重軽傷者も複数おります。冒険者ギルドでも一名の死亡が確認されています。門の損傷も大きく、応急処置を進めているところです」
「分かった。負傷者の治療と、亡くなった者の遺族への対応を優先してくれ。行方不明者の確認も引き続き頼む」
「承知しました」
「門の修復と、住民の生活再建には何が必要だ?」
ヘーゼルが現状を説明する。
「木材と鉄材が不足する見込みです。門の周辺も危険なため、修復が終わるまで通行を制限する必要があります」
「応急修理だけで済ませるべきではないな」
エドガーは地図を見下ろした。
「今回、門が破られたことで、街の人々は自分たちの暮らす場所が安全ではないと知った。門を直すだけでは、その恐怖は拭えない」
ヘーゼルは黙って続きを促した。
「門は二重構造に作り直すべきだ。外側の門が破られたとしても、内側の門で侵入を食い止める。二つの門の間に防衛できる空間を設ければ、騎士団が態勢を立て直す時間も稼げる」
ロイドがうなずいた。
「確かに、今回のような突進を受けた場合、一つの門だけでは防ぎきれない可能性がある。ただし改造には時間と資金が必要だ」
「領主家の備蓄を使え。民間の工房にも協力を要請する。費用はこちらで負担する」
即断だった。
エドガーは門の位置を指でなぞった。
「外門と内門の間には、騎士が展開できる広さを確保する。門の上から攻撃できる設備も整える。修復費用だけでなく、今後の防衛を考えた設計に変更してほしい」
「設計と資材の見積もりを急がせます」
ヘーゼルが答えた。
さらにエドガーは続ける。
「家屋の安全確認が終わるまでは住民を戻さないこと。家を失った者には、領主家の倉庫と集会所を開放する。食料と寝具も手配しよう」
「承知しました」
「瓦礫の撤去には冒険者ギルドにも協力を頼む。正式な依頼として報酬を支払う」
「動ける冒険者を集めよう」
ロイドが答えると、エドガーはうなずいた。
「頼む。ただし、負傷者に無理をさせるな」
そして、ロイドへ視線を戻した。
「今回の襲撃について、ほかに報告しておくべきことはあるか?」
ロイドの表情が引き締まった。
「一つ、重要な報告がある。戦闘が一段落した後、ヘルビーストを目視で確認した」
エドガーの表情が変わった。
「……確かなのか?」
「ああ。俺が直接確認した」
「どこで、どのような状況だった?」
「遠方の高台から、こちらの戦況をうかがうように姿を現した。しばらくして姿を消している」
「襲撃に加わったわけではないのか?」
「少なくとも、確認した間は攻撃してこなかった。ただ、戦場を見下ろすように現れたことが気になるな」
エドガーはしばらく黙り込んだ。
「分かった。これは貴族会で方針を協議する必要があるな」
彼は側近へ向き直った。
「貴族会を招集する準備を進めてくれ。今回の被害への対応に加え、今後の警戒方針も協議する。決定した方針は、騎士団と冒険者ギルドにも共有する」
「承知しました。ただ、協議には正式な報告書が必要になるかと……」
「報告書は後から整えればいい。今は対応を遅らせないことが先だ」
エドガーはヘーゼルとロイドに向き直った。
「目撃時の状況について、詳しい報告をまとめておいてくれ。貴族会での判断に必要になる」
「承知した」
エドガーは一度、窓の外へ目を向けた。
「それから、この後の予定を変更する。亡くなった領民の遺族を訪ねる。騎士団と冒険者ギルドにも慰問に向かう」
「エドガー様、戦闘直後にご自身で出向かれるのは……」
「その話なら、道中で十分聞いた。我々に何ができるか考えろ。最善をつくせ」
側近は口を閉じた。
「家族を失った者も、街を守るために戦って傷ついた者もいる。状況を聞いただけで済ませるつもりはない」
エドガーは続けた。
「門の修復に携わっている職人たちにも顔を出す。急な依頼に応じてくれているのだから、礼を伝えておきたい」
「移動の手配をいたします」
「頼む。遺族への慰問を後回しにするな」
エドガーはヘーゼルとロイドに向き直った。
「二人には引き続き、現場の指揮を頼む。今後のことについては、火急速やかに決定した方針を共有する」
「承知しました」
ヘーゼルが答え、ロイドも一礼した。
エドガーは側近を伴い、詰所を後にした。
その足取りに迷いはなかった。
彼が向かう先には、家族を失った者たちがいる。街を守るために戦い、傷ついた者たちがいる。そして、壊れた街を立て直そうと、今も手を動かしている者たちがいる。
報告書の数字だけでは分からないものを、自分の目で確かめるために。
十五歳の領主子息は、再び街の中へと歩き出した。
◇
その日の午後、ベネディクタでは本格的な復旧作業が始まった。
領主家の倉庫が開放され、家を失った人々が案内されていく。
工房からは職人が集まり、門の補強作業に取りかかった。冒険者たちは瓦礫を運び、騎士たちは警戒と救助を分担した。
救護所には追加の回復魔法の使い手が到着し、治療が続けられた。
それでも街は傷ついていた。
作業の合間に、誰かが亡くなった者の名前を口にした。
壊れた家屋の前で立ち尽くす老人がいた。
泥だらけの人形を抱え、母親の手を握る子供がいた。
昨日まで開いていた店の前には、花が供えられていた。
市民八名の命は戻らない。
騎士団も冒険者ギルドも、仲間を失った。
そして、破損した門は、街が受けた被害の大きさを静かに物語っていた。
復旧は始まったばかりだった。




