門が破れる日 ⑤
「少し、時間をもらえるか」
戦場の後始末が始まった頃、ロイドは騎士団長ヘーゼルに声をかけた。
ヘーゼルは負傷者の搬送状況を確認していたが、ロイドの表情を見ると手を止めた。
「構わない。何かあったのか?」
「内密に話したいことがある」
その言葉に、ヘーゼルの表情がわずかに引き締まった。
「分かった。場所を変えよう」
二人は騎士たちから離れた詰め所へ向かった。
室内に入り、扉を閉める。
ヘーゼルはロイドに向き直った。
「それで、何を見た?」
「森の高台に、ヘルビーストがいた」
ヘーゼルの目が細くなった。
「……ヘルビーストだと?」
「ああ。間違いない」
「こちらに向かっているのか?」
「いや。戦いを見ていただけだ。しばらく戦場を眺めた後、森の奥へ消えた。殺気も消えた」
ヘーゼルは腕を組み、しばらく考え込んだ。
「今回の魔物の群れと一緒に動いていた、ということか?」
「そこまでは分からない。ただ、あのタイミングで姿を見せたことが気になっている」
「偶然、近くにいただけという可能性もあるな」
「もちろんだ。だが、今回の襲撃そのものがおかしい」
ロイドは窓の外へ目を向けた。
「魔物の生息域に変化が起きた可能性は以前から考えられていた。だが、今回は群れの規模が大きすぎる。まるで、何かに追い立てられているようだった」
「……追い立てられている、か」
「魔物は、自分より圧倒的に強い存在から逃げることがある。すべての魔物がそうするわけじゃないが、少なくとも、強者を避けようとする習性はある」
「つまり、森の中にヘルビーストがいたことで、ほかの魔物が逃げ出した可能性があると?」
「そうだ。ヘルビーストが意図的に追い立てたのか、単にその存在から逃げた結果なのかは分からない。だが、今回のスタンピードに関係している可能性はある」
ヘーゼルは、ゆっくりとうなずいた。
「確かに、あれほどの群れが一斉に動いた理由としては考えられるな」
「それと、もう一つ気になることがある」
ロイドは視線を戻した。
「交易隊のことだ」
ヘーゼルの表情が変わった。
「今回、こちらへ来るはずだった交易隊が到着しなかった件か」
「ああ。交易隊が予定どおりに到着しなかった。魔の森で何かが起きているのだとすれば、今回の襲撃と無関係とは言い切れない」
「交易馬車には副団長のスレイとグレンの二人をつけている。護衛としては十分な戦力のはずだ。それでも戻らないとなると、道中で何かあった可能性は高いがあの2人なら壊滅というのは考えづらい」
「スレイとグレンか。確かにあの2人なら。ただし相手が悪ければ話は別だ。護衛が強ければ必ず無事に帰れる、というわけじゃない」
ヘーゼルは険しい表情で考え込んだ。
「交易路で魔物の動きが変わっている。交易隊が戻らない。そして、今回のスタンピードの最中にヘルビーストが現れた……」
「まだ、全部がつながっているとは限らない。だが、別々の出来事として片づけるには、気になる点が多い」
「同感だ」
ヘーゼルは短く答えた。
「交易隊の安否を確認する必要があるな。次の連絡を待つだけでは遅いかもしれない」
「ただ、森の中の状況が分からないまま、大人数を送り込むのは危険だ。今回の襲撃で、魔の森が以前より危険になっている可能性もある」
「まずは今回の被害状況と、これまでの交易路の記録を照らし合わせよう。騎士団でも情報を整理する」
「冒険者ギルド側で把握している情報も確認しておく」
二人はしばらく黙り込んだ。
今回のスタンピードが、単なる偶然ではないとすれば。
魔の森では、彼らの知らない何かが起きている。
やがて、ロイドが口を開いた。
「ヘーゼル。一つ、聞いておきたいことがある」
「何だ?」
「お前なら、ヘルビーストを倒せるか?」
ヘーゼルは、すぐには答えなかった。
ロイドの顔を見つめ、それから静かに息を吐く。
「騎士団長として戦うなら、無理だろうな」
「……そうか」
「騎士団が総力を挙げれば勝てる、という単純な相手ではない。被害が甚大になる事は容易に想定できる相手だ。守る存在が増える戦いは不利になる」
ヘーゼルはそこで言葉を切った。
「ただし、一対一で戦うという話なら……可能性がまったくないとは言い切れない」
ロイドは黙ってその言葉を聞いていた。
「もちろん、相手の状態や能力にもよる。実際に戦ったわけでもないのに、断言はできないがな」
「お前らしい答えだ」
「お前が聞いたんだろう」
ヘーゼルは、わずかに笑った。
ロイドも口元を緩めたが、すぐに表情を戻した。
「俺が見た限り、あいつは普通じゃない。8年前と同じく正面から戦うことになれば、相当な覚悟が必要になる」
「なら、今は戦わずに済む方法を考えるべきだな。あれが何を目的に動いているのかも分からないんだ」
「ああ。こちらから手を出す理由はない」
ヘーゼルは机に手を置いた。
「騎士団には警戒態勢を維持させる。今は負傷者の救助と、街の被害状況の確認を優先しよう。交易路については、状況が落ち着いてから改めて対応を考える」
「分かった。俺もギルドで情報を集めておく」
「頼む」
二人はそれ以上の話を切り上げ、詰め所を後にした。
ヘーゼルは騎士たちへの指示を出すため、戦場へと戻っていく。
その背中を見送りながら、ロイドは小さく息を吐いた。
「さすがの戦鬼か」
誰に聞かせるでもなく、つぶやく。
一対一なら可能性はある。
あれほどの存在を前にして、そう言い切れる者は多くない。
ロイドは、忌々しそうに森の奥へと視線を向けた。
そして彼もまた、救助と被害状況の確認に加わるために歩き出した。




