門が破れる日 ③
ロイドはラルフたちの前に立ち、剣を構えた。
灰黒色の巨体。鋭い爪に、獲物を噛み砕く牙。
その姿を見た瞬間、ロイドの眉がわずかに動いた。
「……よりによって、グラウヴォルフか」
Cランクの魔物。
十一歳の少年が相手にするような魔物ではない。経験の浅い冒険者なら、対処を誤れば命を落としかねない相手だ。
グラウヴォルフが低く唸り、地面を蹴った。
ロイドは迫る巨体を紙一重でかわす。振り下ろされた爪が地面をえぐり、土が飛び散った。
すれ違いざま、ロイドの剣が魔物の前脚を斬りつける。
浅い傷を負ったグラウヴォルフは、すぐさま体勢を立て直し、ロイドへ向き直った。
その動きに隙はない。
ロイドは剣を構え直しながら、背後のラルフをちらりと見た。
肩には傷があり、呼吸も乱れている。手元には、もはや剣もない。
それでも、ラルフは生きていた。
しかも、倒れたグラウヴォルフの毛皮には、少年がつけたと思われる傷が残っている。
「……十一歳で、こいつに手傷を負わせたのか」
思わず、そんな言葉が漏れた。
もちろん、傷を負わせたからといって、勝てる相手だったわけではない。実際、ラルフは剣を失い、今にも倒れそうな状態だった。
それでも、Cランクの魔物を相手に、ここまで生き延びたこと自体が驚きだった。
ロイドはすぐに意識を切り替えた。
感心している場合ではない。
グラウヴォルフが再び姿勢を低くする。
「二人とも、下がっていろ。絶対に前へ出るな!」
ロイドの声に、ラルフは息を呑んだ。
次の瞬間、魔物が飛びかかってきた。
ロイドは正面から受け止めようとはせず、攻撃の軌道を見切って身体を横へ流す。鋭い爪が空を切った直後、剣を返して前脚を狙った。
今度は先ほどより深く傷が入った。
グラウヴォルフが吠え、巨体をひねる。続けざまに振るわれた爪を、ロイドは半歩下がってかわした。
力任せに攻めているわけではない。
魔物の動きを見極め、攻撃の届かない位置へ身を置き、隙が生まれた瞬間だけ剣を振るう。
ラルフは、その戦いを食い入るように見つめていた。
自分が何度も繰り返した動きと、ロイドの動きは似ている。
だが、同じ剣を使っているとは思えないほど違っていた。
無駄な動きがない。攻撃を避けた直後には、もう次の一手へ移っている。
これが、本物の戦士の戦いなのか。
グラウヴォルフが地面を蹴った。
ロイドは迫る巨体を引きつけ、攻撃が届く直前に身を沈めた。魔物の爪が頭上を通り過ぎる。
すれ違いざまに剣が走り、脇腹を深く斬り裂いた。
グラウヴォルフは着地すると、怒りに満ちた唸り声を上げた。
傷を負っても、動きは鈍らない。
ロイドは剣を握り直した。
Cランクの魔物を侮るつもりはない。だが、動きも特徴も知っている相手だ。焦らず対処すれば、仕留められる。
問題は、目の前の魔物だけではなかった。
門の方角から、警鐘が鳴り続けている。
スタンピードは終わっていない。
街の別の場所でも、誰かが魔物と戦っているはずだ。騎士団も出撃しているだろうが、押し寄せた魔物がどれほどの数なのか、どこまで侵入しているのか、まだ分かっていない。
一刻も早く、門の状況を確かめる必要があった。
しかし、ラルフは負傷している。リアも恐怖で身体がすくんでいる。二人をこの場に残していくわけにはいかなかった。
ロイドは魔物の動きを見据えた。
早く仕留める。
グラウヴォルフが再び突進してきた。
ロイドは攻撃をかわしながら間合いを詰める。魔物が振り返るより早く、剣を前脚へ走らせた。
体勢が崩れる。
その隙を逃さず、ロイドは踏み込んだ。
剣が首筋を正確に捉える。
一閃。
グラウヴォルフの巨体がよろめき、地面へ崩れ落ちた。
ロイドは剣を構えたまま、しばらく魔物の様子をうかがった。動き出す気配がないことを確かめてから、ようやく剣を下ろす。
「……よし」
剣についた血を払い、鞘へ収めた。
それから、ラルフたちへ振り返る。
「二人とも、動けるか?」
「……はい」
ラルフは答えたものの、声には力がなかった。肩を押さえ、どうにか立っている状態だ。
「リアは?」
「……だ、大丈夫」
リアは涙を拭いながら答えた。腕の中では、マリーが身を縮めている。
ロイドは二人の様子を確かめ、ラルフの傷へ目を向けた。
「お前は無理をするな。傷を押さえていろ」
「でも、ロイドさん……」
「いいから言うことを聞け」
有無を言わせない口調だった。
ラルフは口を閉じた。
ロイドは倒れたグラウヴォルフへ目を向けた。
十一歳の少年が、Cランクの魔物を相手に手傷を負わせ、ここまで生き延びた。
それは確かに、並外れたことだった。
だが、あと少しロイドの到着が遅れていれば…
「……よく戦った」
ロイドはラルフを見て言った。
「だが、覚えておけ。最後の最後まで生き残ることを捨てるな。」
「……はい」
「お前がリアを守ろうとしたことは分かっている。だが、死んでしまえば、誰も守れない」
ラルフは唇を噛んだ。
「……分かっています」
「よく戦い抜いた。」
ロイドはそこで言葉を切った。
ラルフの目は、まだ倒れた魔物を見ていた。
この少年には、確かに何かがある。
だが、才能があることと、戦場で生き残れることは別の話だ。今のラルフには、実戦経験も、魔物の知識も、危険を察知して退く判断力も足りていない。
今回のような状況で、再び同じことをすれば命の保証はない。
だからこそ、これからの訓練では剣の技術だけでなく、生き残るための判断も教えなければならない。
「……ロイドさん。門の方は……」
ラルフの問いに、ロイドは警鐘の響く方角へ顔を向けた。
「まだ終わっていない」
遠くから、いくつもの叫び声が聞こえる。
このグラウヴォルフを倒したところで、スタンピードが止まるわけではない。街へ押し寄せた魔物の群れがどれほどの規模なのか、どこまで侵入しているのか、まだ何も分かっていなかった。
騎士団はすでに出撃しているはずだ。
ロイドも門へ向かい、戦況を確かめなければならない。
だが、その前にやることがある。
「まずは二人を安全な場所へ連れていく。歩けるか、ラルフ?」
「……はい」
「リア、お前もだ。マリーをしっかり抱いていろ」
「はい……」
ロイドはラルフの肩を支え、リアがその後ろについたことを確かめてから歩き始めた。
急ぎたいところだが、負傷したラルフを無理に歩かせるわけにもいかない。周囲への警戒を怠らず、街へ戻るための道を選ぶ。
その間も、ロイドの頭から門の状況が離れることはなかった。
ベネディクタは、これまで一度もスタンピードに襲われたことがない。
長い歴史の中で、魔物の脅威は常に存在していた。だからこそ、街は備えを整え、騎士団も戦う力を磨いてきた。
しかし、実際に街全体が魔物の群れに襲われた経験はない。
これまでの備えがどこまで通用するのか。
今、試されている。
もし…、騎士団が本腰を入れても勝てない相手が現れたなら、どうするのか。
答えは簡単だった。
その時は、ベネディクタそのものが滅ぶ。
個人の力でどうにかできる範囲を超えてしまえば、一人の冒険者が何をしようと大勢は変わらない。
ロイドはその現実を理解していた。
だからといって、最初から諦めるつもりもない。
騎士団が戦っているのなら、自分も加勢する。自分にできることをする。それだけだ。
「ラルフ」
「……はい」
「歩けなくなったら、すぐに言え。意地を張るな」
「……分かりました」
「よし」
ロイドはそれ以上、何も言わなかった。
三人の歩く先から、警鐘が鳴り続けている。
まだ、何も終わっていない。
街を守るための戦いは、今も続いていた。




