表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/8

#7

 朝霧が晴れ、小鳥たちの囀りが森の静寂を溶かし始めた頃。

 修道院跡地の庭で、私は縁側に腰を下ろし、朝の冷たい空気を胸いっぱいに吸い込んでいた。


「姫君、この辺りの土の具合はいかがでござろうか!」


 目の前では、真っ白でフワフワな毛並みを持つ巨大な元・魔狼――シロが、前足を器用に使って畑の畝を作っている。

 その凄まじい脚力は、もはや名馬のそれを優に超え、錆びた鍬など不要なほどの速さで土を耕していく。


「ええ、いと見事な手際です。ご苦労様、シロ」


 私が微笑みかけると、シロは「ありがたき幸せ!」と尻尾を千切れんばかりに振った。


 ――カラン、カラカラカラッ!!


 ふと、獣道の方角から、空き缶を打ち鳴らすようなけたたましい音が響き渡った。

 私が仕掛けておいた『鳴子』の音である。

 野盗か、あるいは新たな魔物か。

 私は反射的に身を低くし、懐の銀の簪に指をかけた。


「ひゃああっ!?」


 だが、聞こえてきたのは少女の可愛らしい悲鳴であった。

 私は警戒を解き、慌てて門の跡へと駆け寄った。

 そこには、抱えた紙袋を落とすまいと必死にバランスを取りながら、私が丹精込めて掘った落とし穴の縁で尻餅をついている少女――クレアの姿があった。


「ガラシャちゃん!? な、なんで普通の家の入り口に、魔物用のトラップが仕掛けてあるの!?」


「申し訳ありません、クレア。夜盗や獣害への備えとして、少々ばかり陣の普請をしておりまして……お怪我はございませんか」


 私が手を差し伸べると、クレアは震える足で立ち上がり、深い穴の底に敷き詰められた竹槍(代わりの鋭い枝)を見て、顔を引きつらせた。


「陣の普請って……これ、落ちたら完全に串刺しだよ!? 平和な聖都で、どんなサバイバル生活を送るつもりなの!?」


「油断は死を招きますゆえ」


「ここは戦場じゃないから!」


 朝一番からの鋭いツッコミに、私は目を伏せて反省の意を示した。

 確かに、普通の町娘の家には堀も落とし穴もないのが常識であった。

 気をつけねばならない。


「おお、これはクレア殿。」


 そこに、泥だらけの顔をしたシロが駆け寄ってきて、前足を折って器用に平伏した。


「相変わらず不思議ねえ~、喋るなんて。 しかもなんか武士みたいな口調だし」


 クレアは頭を抱え、深いため息をついた。


 * * *


 修道院の中へと案内し、お茶を淹れると、クレアはようやく落ち着きを取り戻したようであった。


 彼女が持ってきてくれた紙袋からは、昨日市場でいただいたのと同じ、甘く香ばしい焼きたてのパンの匂いが漂っている。


「それでね、ガラシャちゃん」


 木杯の茶を一口飲んだクレアは、ふと真面目な顔つきになり、私をまっすぐに見据えた。


「昨日、市場で絹の布を出したことや、その……無意識に出ちゃうピリピリした雰囲気。それに、こんなえげつない罠を真顔で作ったり、喋る魔獣をペットにしてたり……」


 彼女は一つ一つ数え上げるように指を折り、最後にビシッと私を指差した。


「ガラシャちゃん、絶対にどこかの国から亡命してきた、世間知らずの高貴な貴族のお嬢様でしょ!」


(……さても)


 私は木杯を持ったまま、微かに動作を止めた。

 異界の姫であることは秘密であるが、彼女の推察は当たらずとも遠からずである。私が無言で目を伏せると、クレアは「やっぱり」と深く頷いた。


「この聖都は平和だけど、そういう『訳あり』感を出してると、変な商人に騙されたり、良からぬ輩に目をつけられたりするかもしれないよ。だから……」


 クレアはぐっと身を乗り出した。


「私と一緒に、普通の『町娘』っぽく振る舞う練習をしよう!」


「……町娘の振る舞い、ですか」


「そう! その堅苦しい喋り方とか、隙のない姿勢とか、全部一旦忘れて! もっとこう、感情を表に出して、キャピキャピするの!」


 キャピキャピ。

 聞き慣れぬ言葉の響きに、私は首を傾げた。


 だが、郷に入っては郷に従うのが武家の娘の鉄則である。

 生前、幼き頃より和歌や漢籍、茶の湯を学んできた私は、勉学にかけては誰にも引けを取らぬ自負があった。そして基督教に出会ってからも。


 この世界の「常識」とやらも、完璧に習得してみせよう。

 私は心の中の書物に筆を下ろすつもりで、真剣に居住まいを正した。


「承知いたしました。教えを乞う用意はできております」

「その『承知いたしました』から変えよっか。『うん、わかった!』でいいの。じゃあ、お手本見せるね」


 クレアは立ち上がり、机の上のパンを両手で持ち上げ、ぱぁっと花が咲いたような笑顔を作った。


「『わぁ、このパンすっごく美味しそー! ありがとー!』……ほら、こんな感じ!  やってみて!」


(なるほど。声を高くし、顔の筋肉を緩め、全身で喜びを表現するのですね)


 私は立ち上がり、クレアからパンを受け取った。

 精神年齢三十七歳。

 大名家の奥方として、常に感情を押し殺し、冷徹なまでの気品を保ってきたこの私が、いま、異世界の少女の振る舞いを模倣する。


 私はパンを不自然なほど高く掲げ、口角を無理やり引き上げ、喉の奥から絞り出すような高い声を出した。


「わ、わぁ……! この南蛮菓子、いと、美味しそぉー、ですわっ☆」


 ピシッ、と。

 空気が凍りついた音がした。


 私は右足を少し浮かせ、小首を傾げるという「可愛らしい」とされる動作を組み込んでみたのだがクレアの顔は引き攣っていた。


「が、ガラシャちゃん……。なんか違う。全然違う。目が笑ってないし、声が震えてるし、動きがカラクリ人形みたいになってる!」


「……おや。完璧に模倣したつもりでしたが」


「ダメだ、歴戦の武士が無理して町娘のコスプレしてるみたいになってる……! もっと力抜いて!」


「力、ですか……。ならば、こうでしょうか。きゃあ、うふふ、すごぉーい☆」


「怖い怖い怖い! 怨念がこもってる!」


(……くっ)


 私は小袖の袖をきつく握りしめ、目を固く閉じた。

 本能寺の変ののち、幽閉先の味土野で死の恐怖と向き合った日々ですら、これほどの精神的苦痛は味わわなかったやもしれぬ。

 三十七年の矜持が、音を立てて崩れ去っていくのを感じた。


 * * *


 ひとしきりの指導(という名の凄まじき苦行)を終え、クレアは机に突っ伏してぜえぜえと息を吐いていた。


「はあ、はあ……教えるのも体力使うなぁ……。でも、少しはマシになった、かな」


「……お手数をおかけいたしました」


 私は微かに息を乱しながら、乱れた小袖の襟元を直した。

 疲労困憊のクレアを見下ろし、私はふと、あることを思い立った。


(これほど尽力してくれた客人に対し、ただ茶を出すだけでは武家の名折れ。そうだ、私自ら『陣中食』を振る舞い、英気を養っていただこう)


 戦国の世において、食とはすなわち「命」であった。


 父上・明智光秀は、戦陣において配下の者たちに温かな粥を振る舞うことを何より重んじておられた。

『戦場における温かい飯は、何よりの贅沢であり、士気に直結する。見た目や味など二の次。腹に入って血肉となれば、みな同じことよ』と。


 その教えは、私の魂に深く刻み込まれている。


「クレア、少々お待ちください。すぐにお食事の用意をいたしますわ」

「えっ?  ガラシャちゃん、料理できるの?」

「ええ。少々お時間をいただきますが」


 私は裏庭へ出ると、シロが耕した土の傍らに生えている、あの『チカチカと異常発光する巨大な薬草』を力任せに数本むしり取った。

 さらに、その辺りに生えている見知らぬ野草や、ヨゼフ殿が置いていってくれた芋のような野菜を抱え、台所へと戻った。


 大きな鉄鍋に水を張り、竈に火を入れる。

 

 料理の作法など、大名家の姫が知るはずもない。

 屋敷にいれば豪勢な食事があった、しかし。

 その調理法は分からずじまいであった。


 私が知る唯一の調理法は、野戦における「すべてを鍋に放り込み、煮えたぎらせる」という陣中食の概念のみである。


 私は手にした薬草も、野草も、芋も、泥がついたまま(細かく刻むことすら面倒になり)手でちぎって鍋へと次々に放り込んだ。

 グツグツと沸き立つ音とともに、鍋の中身は次第に形を失い、ドロドロの暗緑色へと変貌していく。


(……うむ。良い煮え具合です)

 立ち上る湯気は、酷く青臭く、泥のような匂いがした。見た目は、雨上がりの沼地の泥そのものである。だが、腹に入ればみな同じ。


 しかし、このままではただの草の煮汁だ。

 私は鍋の前に静かに跪き、胸元のロザリオを固く両手で握りしめた。

 客人をもてなす糧に、いと高き祝福を。


「主よ(ドミネ)――この糧に、清らかなる恩寵を与えたまえ(ベネディク・ドミネ)」


 カッ……!!!


 祈りを紡いだ瞬間、私の手元から放たれた純白の光が、鍋を包み込んだ。

 グツグツと煮えたぎる暗緑色の泥が、一瞬にして眩いばかりの神聖な光を帯び、チカチカと輝き始めたのである。


 恩寵が込められた、極上の陣中食の完成であった。


 * * *


「お待たせいたしました、クレア。温かいうちにお召し上がりくださいませ」


 私は木の椀に波々と注いだ『発光する泥』を、笑顔で机に置いた。


「…………えっ?」


 クレアの顔から、スッと表情が消えた。

 彼女は椀の中身と、私の顔を交互に数度見比べた後、引きつった声で尋ねた。


「えっと……ガラシャちゃん。これは……何かの魔法薬ポーションの調合失敗作……かな?」


「陣中食……いえ、この辺りの薬草や野菜を煮込んだスープですわ。見た目は少々武骨ですが、栄養は保証いたします」


「スープ……これが……? いや、なんか沼の底みたいな色してるし、謎の光を放ってるんだけど……!」

 

 クレアは必死に後ずさろうとしたが、私は「さあ、遠慮なさらず」と椀を彼女の手に押し付けた。


「私の故郷では、客人に出されたものを残すことは、切腹に値する非礼とされておりまして」


「重い!! 食事の重さが急に重くなった!!」


 クレアは涙目になりながらも、覚悟を決めたように木のスプーンを手に取った。


「い、いただきます……」


 彼女は震える手で発光する泥をすくい、おそるおそる口へと運んだ。


 ゴクリ。

 その瞬間であった。


「――っ!?」


 クレアの目がカッと見開かれ、顔面から一気に血の気が引いていく。

 木のスプーンがカランと音を立てて床に落ちた。


「……ま、まっっっず……っ!! 泥と、雑草と、腐葉土を一緒にすり潰したみたいな……おえっ……」


 彼女は白目を剥き、そのまま糸の切れた傀儡のように、後ろへバタリと倒れ込んだ。


「ク、クレア!? お気を確かに!」


 まさか、野草の中に毒草が混ざっていたのか。

 私は血の気を引き、急いで彼女に駆け寄ろうとした。


 だが、次の瞬間である。

 倒れ込んだクレアの身体全体が、ふわりと淡い純白の光に包み込まれた。

 それは、私が鍋に込めた『浄化と治癒の恩寵』の光であった。


「……あれ?」


 気を失うかと思われたクレアが、パチリと目を開け、弾かれたように身を起こした。


 その瞳には、先ほどの疲労困憊の色は微塵もなく、むしろ恐ろしいほどの活力が満ち溢れていた。


「え? 嘘……? なにこれ!?」


 クレアは自分の両手を見つめ、身体をペタペタと触り始めた。


「朝早くからパン生地をこねて、肩も腰もバキバキだったのに……ウソみたいに羽が生えたみたいに軽い! 徹夜明けの目のクマも消えてるし、なんかお肌もツヤツヤなんだけど!?」


 彼女は信じられないものを見る目で、机の上の椀を指差した。


「ガラシャちゃん! これ、ただのスープじゃないよ! 完全に最高級の『超回復ポーション』だよ! いや、神殿の司教様が使う回復魔法より凄いかも!」


 驚愕して捲し立てるクレアに対し、私はただ静かに、優雅に微笑んでみせた。


「良き陣中食は、心身の疲労を癒し、士気を高めますゆえ。お気に召したようで何よりですわ」


「味は地獄だけど、効果は天国……!」


 クレアは呆然と呟いた後、ハッと何かに気づいたように顔を輝かせた。


「ねえガラシャちゃん! これ、瓶に詰めて市場で冒険者に売ろうよ! どんな大怪我も一瞬で治るなら、絶対に大金貨で売れるって! いや、でもこの致死量のマズさをどう誤魔化すかが問題だけど……!」


 すっかり商人の娘の顔になったクレアが、ブツブツと戦略を練り始める。

 その賑やかで逞しい姿を見つめながら、私は胸の奥が温かくなるのを感じていた。


 言葉遣いの指導は失敗に終わったが、腹を割って話せ、私のいびつな料理を食べて(気絶しかけながらも)笑ってくれる友人ができた。


(主よ。この穏やかで騒がしい縁に、心よりの感謝を)


 私は目を伏せ、胸元のロザリオにそっと触れた。

 この泥臭くも温かい日常こそが、私がいま最も愛おしいと感じる「平和」の形であった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ