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#8

 市場の片隅で屋台の準備を始めようとした矢先、クレアが私の小袖をまじまじと見つめて言った。


「そういえばガラシャちゃん、その服、いくらなんでも目立ちすぎ!」

「……おや。さほど華美な装いではないつもりですが」


 白の練絹に淡い水色で桔梗紋を刺繍したこの小袖は、私にとってはごく簡素な普段着である。だが、異世界の住人であるクレアの目には、見たこともない極上の布地と不思議な仕立てに映るらしい。


「こんなの、王族が着るような生地だよ! こないだも目立ってたし、変な人に目をつけられたら大変だから、これ羽織って!」


 そう言って彼女が貸してくれたのは、厚手の麻でできた地味な茶色の外套であった。


(なるほど。身分を隠し、市井に紛れるための忍びの装束ですね)


 私は深く納得し、頭からすっぽりとフードを被った。

 粗末な布の肌触りさえ、今の私には自由の証のように感じられる。


 私たちは、昨日私が作り上げた『発光する泥(超回復ポーション)』を木箱に並べた。


「可愛いガラスの小瓶に入れればいいのに、なんでそんな竹の水筒みたいなのに入れるの?」


「陣中における水筒といえば、竹筒か瓢箪(ひょうたん)と相場が決まっておりますから」


 私の謎のこだわりに、クレアは深いため息をついた。

 気を取り直し、生前、京の町衆がやっていた商いを思い出し、見よう見まねで声を張り上げてみる。


「さあさあ、皆々様! 此れなるは万病を退け、士気を鼓舞する秘薬にて候! 一服いかがでございましょう!」


「待って待って!!! 売り文句が古臭いし、なんか重い!  『採れたて新鮮な薬草ジュースですよー!』くらいでいいから!」


 クレアのお手本に従い、私は小首を傾げて「しんせん……な、じゅーすですわ」と引き攣った笑顔を見せた。


 しかし、竹筒の隙間から漏れ出る不気味な光と、かすかに漂う青臭い泥の匂いのせいか、客は遠巻きに見るだけで一向に寄り付かない。

(やはり、見た目が少々武骨すぎたやもしれぬ)

 そう思っていた折、広場の喧騒がふっと割れた。


 ガチャリ、ガチャリと、重い金属音を引きずりながら一人の男が歩いてくる。


 銀色の甲冑は無残にひしゃげ、全身が泥と血に塗れていた。

 魔物との死闘の帰りであろう。


 周囲の民草は関わり合いを恐れて道を譲っているが、男は激痛に耐えながらも決して背筋を曲げず、ただ真っ直ぐに前を見据えて歩を進めていた。


 その姿を見た瞬間、私の胸の奥で何かが大きく跳ねた。


 整った顔立ち。

 理知的で深く刻まれた眉間の皺。


 そして何より、己の命を削ってでも民を守らんとする、悲壮なまでの「義」の気配。


(父上……?)


 見間違えるはずもない。

 その生真面目な佇まいは、私が幼き日に憧憬の眼差しで見上げていた、若き日の父・明智光秀に瓜二つであったのだ。


「すまない……この辺りに、回復薬を売る店は……ないか……」


 男はとうとう限界を迎え、私たちの屋台の前でガクリと膝をついた。


「ひっ! せ、聖騎士様!? すぐに大聖堂へ……!」


 慌てふためくクレアを片手で制し、私は屋台から歩み出た。


「よくぞご無事で帰還なされました、誇り高き武士(もののふ)よ」


 私は彼の前に静かにしゃがみ込み、深く頭を下げた。

 民のために命を懸ける者へは、最大限の敬意を払わねばならない。


 外套のフードの下から覗くその顔は、やはり父の面影を強く宿していた。

 胸の奥が締め付けられるような懐かしさに、私は無意識に袖口をきつく握りしめた。


「当店の特製秘薬にございます。一息にお飲みくださいませ」


 私は最も大きく光っている竹筒の栓を抜き、彼に差し出した。


「か、かたじけない……。この御恩は……」


 聖騎士は受け取った竹筒を両手で持ち、躊躇うことなく一気に煽った。


 ゴクリ。

 刹那、聖騎士の顔面からすべての感情と血の気が消失した。


「……っ!?」


 カッと見開かれた両眼は完全に白目を向き、口からは一筋の泡が吹き出し、金属音を立てて仰向けにぶっ倒れたのである。


「いやああああっ!? 聖騎士様が死んだああああっ! ガラシャちゃん、とどめ刺しちゃったよ!」


 クレアが頭を抱えて絶叫する。

 周囲の者たちが悲鳴を上げ、パニックに陥る中。

 私はただ一人、静かに感嘆の息を漏らしていた。


「……さすがは歴戦の猛者。致死量ののようなものを恐れぬ、見事な飲みっぷりです」


 私は真顔で、パチパチと上品な拍手を送った。


 その直後である。


 倒れ伏した聖騎士の全身が、竹筒から発せられていたのと同じ、目を開けていられないほどの純白の恩寵の光に包み込まれた。


「な、なんだこれは!?」


 光が収まると、そこには血の汚れも傷跡も完全に消え去り、凹んだ鎧までピカピカに修復された聖騎士の姿があった。

 彼はバチッと目を開け、バネ仕掛けのように跳ね起きた。


「わ、我が傷が……完全に癒えている!? 身体の底から力が湧いてくるぞ! ……味は、泥と腐葉土をすり潰したような地獄の業火であったが!」


 彼は自身の身体を確かめるように触り、それからハッとして私を見た。

 私は静かに立ち上がり、外套のフードを少し直した。


「お口に合いませんでしたか? 陣中食ゆえ、味よりも効果を重んじましたの」


 聖騎士――アーサーと名乗ったその青年は、呆然と私を見下ろした。


 ボロの外套を羽織っていても、私の身に染みついた武家の作法と矜持は隠しきれなかったのだろう。

 彼は私の顔立ちと、一切動じない静かな佇まいに、息を呑むような顔をした。


「そなたは……ただの町娘ではないな。このような神話級の霊薬を、見ず知らずの私に惜しげもなく与えてくれるとは。この御恩、聖都防衛隊小隊長アーサー、生涯忘れぬ!」


 アーサーは冷たい石畳に片膝をつき、騎士としての最上級の礼をとった。


 異界の騎士にかしずかれながら、私はただ静かに微笑んだ。

 そこに浮ついた恋情など入り込む隙はない。

 あるのはただ、忠義に厚き一人の武士に対する純粋な敬意のみである。


「お気になさらず。民を守るお役目、大儀でございました」


 こうして、特製ポーションの売上第一号(お代はいただいていないが)が決まり、私の静かなる市井の暮らしに、また一つ奇妙な縁が結ばれることとなったのである。


 クレアが背後で「商売になってないし、心臓に悪すぎる……!」とうずくまっていることには、あえて気づかぬふりをしておいた。

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